第11話 この先へ

三日後。

預言の時間が迫っていた。

ツバキは激しい吐き気を感じていた。

『ここにいる人達が、あと少しで皆死んでしまうなんて…子供も、みんな…』

ツバキは何度も誰かに預言のことを伝えようかと考えたが、結局それはできなかった。

相手にされないかパニックになるか、ここの人達にだけ伝えても対処しようがない。 

ツバキは虚しいあがきだとわかっていても、なんとか最後まで生きる可能性を考えて地下水路でその時を迎えようと考えていた。

ツバキは最後に空を仰いだ。

『世界は今日も変わらず、こんなに穏やかなのに。』

そして静かに、地下水路へと入っていった。




一方、ヒカリはこれでもかという程全力疾走していた。

「ちょっと!待てって!待てっっ!この泥棒~!」

ヒカリは今まで軍のエンブレムに埋め込まれた小さな宝石を一つずつ売って生活資金と旅費にしていた。

しかし今まさにそれが盗まれ、間一髪で気づきはしたものの、足の速い盗人を全力で追いかけているところだった。

「はぁっはぁっ!それはっ…僕のっ…全財産!盗られてっ…たまるか~っ!」

久々の全力疾走にヒカリの足は悲鳴をあげていたが、もはやどちらが悪者かわからない程の激しい形相のヒカリの顔から、非常事態であることはひしひしと伝わってきた。

地下水路に続くトンネルに滑り込んだ盗人。

「はぁっはぁっ…なんて奴だ!足が尋常じゃね~…つか何なんだ!?あの執念。」

ヒカリもすぐにトンネルに滑り込んできた。

ズザッ。

「いたーっ!」

一息つきかけていた盗人が飛び上がった。

「えー!?どんだけ追ってくるんだよっ!」

慌てて水路の中へと走り始めた。


「待てコラっ!」

盗人のプライドVSヒカリの執念。

もう体力の限界を超えて、そんな領域に差し掛かった時、決着が着いた。

ヒカリが盗人に思いっ切り後ろからとび蹴りをくらわした。

膝下ぐらいまである水の中に、盗人が勢い良く吹っ飛ばされた。

「あばっぶばっ!は~…は~…」

盗人はヒカリが物凄い形相で近づいてくるのを見て、ハッと飛び上がってそのまま水の中で正座した。

「すすっ…すいやせんでしたー!」

即土下座した。

しかしヒカリは盗人の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「はぁ~…はぁ~…!お兄ちゃん、随分と楽しい鬼ごっこだったな…俺の全財産…返してもらおうか。」

すると突然盗人が泣き出した。

「すいませんっ!本当に…なんと謝っていいか…でも、どうか聞いてください。実は、母親が病気で…でもうちは貧乏だから病院へ連れていってやることもできず…女手一つで僕を育ててくれた母親が、このままなんの治療も受けることができず死んでいくのかと思うと…不憫で不憫で…」

盗人は鼻水を勢いよくすすった。

ヒカリは胸ぐらを掴む手を緩めた。

「そうか、お母さんがご病気なのか…」

「はい。」

ヒカリも神妙な顔をした。

「…それなら仕方ない。僕の全財産だけど…それは、君が持って帰れ。」

盗人の顔がパッと明るくなった。

「本当ですか!?」

「あぁ…いや、すまない、君がそんな母親思いの青年だったなんて思いもせず……って、そんなわけあるかー!」

ヒカリは盗人をもう一度水の中に突き飛ばした。

「お前嘘下手か!誰がそんな手に引っかかるんだよ!」

盗人は自慢の演技力を否定されて、相当メンタルに傷を負ったようだったがヒカリは無視した。

「とりあえず返せ!そして表に出ろ。」

盗人はまだ演技を見破られたショックに呆然としていて、その手からヒカリがエンブレムをもぎ取ったのを虚ろな様子で見ていた。

「まったく、しょうがな…」


ヒカリがそう言いかけた時、耳を劈くような爆音が聞こえたかと思うと、二人が今のは何だ?と顔を見合わせるより早く激しい揺れが二人を襲った。

水路の中で立っていられない程の揺れに、二人は抗いようもなく水の中を転がった。

すぐに揺れは治まったが、二人はびしょびしょになりながら同じことを考えていた。

「ここにいるのはまずい!」

どちらが叫んだのかわからないぐらい、水路に大声がこだました。

「今のが地震だとしたら、水がどう動くかわからない!とりあえず地上に出よう。」

数秒前のくだらないやりとりは二人の中からすっかり吹き飛んでしまっていた。

「どっちに行けばいいんだ?お前がやたらくねくね逃げるからどの水路から来たのかわからなくなってしまった。」

盗人は青ざめた顔でヒカリを見た。

「俺だってわからない!あんたが物凄い執念で追いかけてくるからまこうと必死だったんだよ!」

ヒカリは青ざめた盗人の目を見て急に冷静になった。

「わかった。とりあえずお互いを責めるのは止めよう、意味がない。」

急に頼れる感じになったヒカリに盗人は驚いていたが、ヒカリはいつものヒカリに戻っただけだった。

その時、前方に音もなく人が現れて盗人が飛び上がった。

いかにもみすぼらしい格好をしたおじいさんだったが、それを見た盗人はすぐに助かったという表情をした。

「ありゃ水の精霊だ。」

「!?お前大丈夫か?…そうか…さっき頭を打ったのか…」

ヒカリは心底心配したような声で盗人に語りかけた。

「いいか、あれはな、ただのおじいさんだ。」

「いや、違うよ!頭おかしくなってねーよ。何優しく哀れんでくれてんだよ。あれは水の精霊ってみんなが呼んでる、この水路に住んでるじいさんだ。でも助かった、あのじいさんに聞けばすぐ地上に出られる。」

そう言って盗人は水の精霊の方に走っていった。


「水の精霊が案内してくれるって!」

そう盗人が言った時、ヒカリは耳の端に低い音を感じた。

『なんだ?』

それと同時に水の精霊もピタッと止まった。

盗人が怪訝そうに水の精霊を見て、振り返りヒカリも同じように止まっているのに気づいた。

「何…?」

その時、水の精霊が叫んだ。

「まずい!後ろから水が押し寄せてくる!とにかく前へ走れ!」

ヒカリ達三人は弾かれたように走り出した。

ヒカリが水の精霊を半ば抱えるように、前へ前へ、水路の中を走った。

水が押し寄せてくる低いゴーッという音がだんだん大きくなってきているのに三人は気づいていた。

その時。

三人は右側の水路から飛び出してきた何かともろにぶつかってしまった。

ヒカリは一瞬、これで死んだのでは、と思う程激しい衝撃だった。

だがすぐにぶつかったのは人だとわかった。

女性が男三人(しかし内一人は精霊)に吹っ飛ばされて、水の中にぐったりと倒れていた。

ヒカリはすぐに精霊を一旦盗人に無理やり預けて、女性に近づいた。

「すみません!大丈夫ですか!?」

女性は顔から血の気が引いていたが、すぐに気がついた。

今の衝撃で目が回り視界がぼやけていたが、ツバキはヒカリの顔を捉えた。

『…え?』

ツバキはヒカリの顔を見て、一瞬時が止まった。


「よかった。とりあえず立てますか?後ろから水が来そうなんです。」

ヒカリがツバキを立たせようとした瞬間。

ツバキの目が見開いて、叫びなのかなんなのかわからない音がツバキの口から発せられ、それによってまた激しい揺れがくるのではないかとヒカリは思った。

ツバキは完全にすくみ上がっていた。

ヒカリはツバキの目線の先を見た。

『…何だ?…人?』

そこにいたのは人だった。

しかし、もう人とは思えない姿になっていた。

その人達は原爆の熱によって皮膚も肉も溶けていて、顔ももうわからず、ただ低いうなり声を上げていた。

一瞬の凍るような沈黙。

「はぁっはぁっ…うぅ…」

ツバキは完全に恐怖の感情が振り切れて、過呼吸になり気絶しそうになっていた。

ヒカリも盗人も精霊も、この世のものとは思えない現実に完全にフリーズしてしまった。

しかしヒカリはこの地獄のような状況の中で、自分のお腹の底が妙に疼くのを感じた。

体が溶けながらせまってくる人達から無理やり目を引き離し、ツバキの目線に割り込むように前にしゃがんだ。

ヒカリは涙でぐしゃぐしゃになったツバキの目を見た。

そして、その奥へ語りかけた。

「大丈夫、立てるから。」

その言葉でやっとツバキはヒカリの顔に焦点と意識が戻った。

そしてヒカリの深い目を見て、やっと体が呼吸の仕方を思い出した。

そしてその瞬間、さっきヒカリが感じていたお腹の底の疼きが、ツバキの中にも頭をもたげた。

しかしその感覚をツバキ自身が実感していたかは定かではない。

「さぁ。」

ヒカリは強くツバキの両肩を掴んで立たせた。

ツバキはなんとも言えない不思議な感覚を味わっていた。

急に全身の力が抜けるような、心から何かが剥がれ落ちるような、そんな感覚を。

その時、フリーズしていた精霊が急に我に返ったかと思うと、今度は激しいパニックに襲われて、今三人が来た方へと走っていった。

ヒカリは慌てて叫んだ。

「待って!そっちからは水が来る!戻って!」

しかし精霊にヒカリの声は届かなかった。 

それどころか、精霊が走っていった方向の先に大量の水が押し寄せてくるのが見えた。

しかしそれでも精霊は止まろうとしない。

前から来る水を視界で捉えていても、もう正常な判断力を失っていた。

ヒカリはその背中に一瞬視線を送った。

そして盗人とツバキに向き直った。

「行こう!」

二人をツバキが来た方向へと促した。

三人は走り出した。


「というかいったい何があったっていうんだ?」

恐怖感を紛らわすためか盗人がしゃべりだしたが、完全にオクターブ声を間違えていた。

「…原爆が落ちたの。」

ツバキが心ここにあらずな様子で答えた。

「え?何だって?」

そう盗人が聞き返すが否か、またツバキが悲鳴をあげた。

三人が向かっている方からも体が溶けた人達が、熱から逃れようとたくさんやって来た。

三人は足を止めた。

「どどどどどどうしたらいいんだよ!前からゾンビのような人、後ろからだって水が来てる!」

盗人がぎゃんぎゃん叫んでも、ヒカリは冷静だった。

「前に行くしかない、水に飲まれたら終わりだ。」

そう言ってヒカリは体が溶けた人達の方へとまた走りだした。

「あんた、どんな心臓してんだよ~…」

盗人がおたおたとついて来ながら、なんとも悲壮な声でそう言った。

体が溶けた人達に近づいていくと、だんだん今まで嗅いだことのない臭いが三人の鼻を劈いた。

走る足に纏わり着く水が、赤黒い見たこともないような色に変わったかと思うと、急に重量を持ちだした。

人間の溶けた皮膚や肉が水と混じって流れているのだ。

ツバキはヒカリの腕をへし折るぐらいの勢いで握った。 

しかし、ヒカリは眉ひとつ動かさなかった。

ツバキは直視できない姿の人達に耐えられず、ほとんど目を閉じてヒカリに引っ張られている状態だった。

ヒカリは先頭で人とも言えないたくさんの人を掻き分けて進んだ。

彼らの体は熱く、掻き分けるヒカリの手も火傷して赤くなっていった。

ヒカリの腕を掴んですぐ後ろにいたツバキが悲鳴をあげて転びそうになった。

倒れている人に足を掴まれたのだ。

ツバキは自分の足を掴む男性とも女性とも判らない人を見て、パニックになりかけた。

その人の目に浮かんだ絶望の色に、涙腺も心も弾け飛んでしまいそうだった。

「…た、すけ…て…」

顔の半分が崩れても、その人の目に涙が浮かんだのがわかった。

「あぁ…!」

ツバキはまた、心が闇に飲み込まれそうになった。

「怖れなくていい、その人は人間だ。」

横からヒカリが優しく、しかし断言するように強く言った。

ツバキはその言葉でハッとした。

『この人は、人間…』

ツバキは急に足を掴むその人へ、人としての慈しみを感じた。

その人の心に寄り添うように、溶けかけている手を取った。 

ツバキは真っ直ぐその人の目を見た。

「…ごめんなさい…」

『どうか安らかに…』

そうその人の心に強く投げかけて、手をほどいて立ち上がった。

もう水もすぐ後ろまで迫っていた。

「もうダメだっ!水が来た!もう…死んじまう…」

盗人はもうすっかり諦めて生気を失くしていた。

「いいからっ!とにかく走れ!」

ヒカリは無意識にツバキを引き寄せながら叫んだ。


その時、ヒカリとツバキは不思議な感覚に包まれた。

胸を大きな温かい手で掴まれて、ぐいっと引っ張られるような感じがしたかと思えば、前方が急に明るくなった。

心が膨らむような感覚、吸う息が光に変わり肺を満たすような。

二人の思考に死は無かった。

二人の心に恐怖は無かった。

ただ精神が静かに高揚していく様を実感していた。

『この先へ…!』 

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