第7話 抑圧の国

「なぜかこの国では精神を病んじまう奴が多くてな、抑鬱と自殺が蔓延している。あまり大きな声では言えんがな。政府が躍起になってなにやら対策を立てても一向に減らない、むしろ増える一方でさ。」

ヒカリは草原より西、抑圧の国と噂されるルフラの国に来ていた。

十日ぶりに人を発見し、テンション高めで入国したヒカリだったが、すぐにこの国の内情を察知し一瞬で真面目なモードに戻った。

小綺麗な大通りから一本路地に入ると、そこには生気のない人達が昼間からふらふらし、浮浪者や裸足で虚ろな目をした子供もいた。

ヒカリはこの現状をしっかり見ながらも、心は揺らさないようにしていた。

とりあえず空腹を満たすため、一番初めに目についた小さな食堂に入った。


「対策というのは具体的にどういうものなんですか?」

ヒカリはカウンターに座り、久々のまともな食事にがっつきながら聞いた。

「まず雇用の充実だろ、それに生活保護も徹底している。普通の病気だけでなく精神的な病気の場合も手厚い保護が受けられることになっている。」

「なるほど…つまりどれだけ生活が保障されていても、抑鬱や自殺は減らないんですね。」

「そう、なんでなんだろうね、私なんか吞気な人間だからよくわからないよ。」

店の主人は肩をすくめてそう言った。


『生活の保障はされている…でもそういう問題でもないよな、この国の人達を見る限り。』

「そもそもこの国ってどういう国なんですか?」

「どういう国?そう聞かれることはないから難しいな~…でも他の国から来た人が驚くのは、この国では怒る人が全くいないというところらしい。」

「えぇ?怒る人が全くいないんですか?」

ヒカリも驚いて今口に入れようとしていたご飯をばらばらと落とした。

「やっぱり驚くんだな~普通のことなんだが。この国では秩序が第一なんだ、だから怒りなんてものは絶対に人に向けてはいけない。争い事はタブーだからな、その原因の怒りなんてもんは根絶されるべきものだと皆信じて疑わないよ。」

「へー、そうなんですね。」

ヒカリは眉間にしわを寄せていた。

「でもじゃあ皆怒りを感じた時はどうしているんですか?」

店主はちょっと怪訝な顔をした。

「ん~…そもそも皆怒りを感じたことないんじゃないかな?」

「えぇ?皆生まれてこのかた怒りを感じたことないんですか!?」

ヒカリはまた驚いて今度は肉をぼとっと落とした。

「そうだなー誰かが怒った姿なんてほとんど見たことないね。」

「えぇ~…考えられないな。でもそれだと怒りが溜まっていって爆発することがあるでしょう?」

「あぁそれが問題なんだよ、時々キレる奴はやっぱりいる。派手にキレちまった奴は秩序を乱したから極刑になることも多い。」

ヒカリは愕然とした。

「あぁいや、キレ具合によって刑は違うがな。」

あまりにもヒカリが愕然としたままなので店主は付け加えた。

しかしその話しでヒカリは理解した。

この国の人達がなんで虚ろな目をしてふらふらと心ここにあらずな様子で歩いているのか。


ヒカリは考えを巡らせて独り言のように話し始めた。

「僕は感情に善し悪しなんてないと思っています。この世に存在しちゃいけない人間がいないように、存在しちゃいけない感情もない。」

店主が手を止めてヒカリを凝視した。

「僕は怒りも悲しみも苦しみも全て、人間としての重要な要素だと思うから喜びや楽しさと同じ位価値があると思うけどな。そもそもこの感情は善いこの感情は悪いって一概には言えないし、僕は過去に怒りを感じたことによって得ることができたものがいっぱいあります。それに怒りを感じないなんて普通の人間なら無理だと思うんですよね~」

「あんた、変わってんな~…でもこの国ではあんまり大きな声でそういうことを言わない方がいい。」

店主は周りを見て気遣わしげにひそひそと言った。

しかし店には他に数名お客さんがいたが、皆一人で虚ろな様子で黙々と食事をしているだけだった。

ヒカリと店主の会話に興味がある人なんて一人もいなかった。

ヒカリは少し安心して振り返り、ふと聞いてみたくなったので店主に質問をした。

「店長さんは、生き物の特権ってなんだと思います?」

「生き物の特権?なんだい急に。そんなこと考えたことないし、そんな発想が浮かんだことすらないよ!生き物の特権て。」

ヒカリは店主の驚いた顔を見て微笑んだ。

「僕は、もし神様が居たとして、その神様がこの世界の全てを創造したとしたら、生き物に与えた特権は欲求と感情を持つことだと思っています。そして人間はラッキーなことにその上に理性と思考と自由意志を与えられた。」

店主はもう開いた口が塞がらない状態だった。

『人間は自由意志をも与えられた存在なのに、この国ではその前段階の感情すら与えられていないのか。』

ヒカリはまた深く考え込むように黙って食事を続けた。


「でもそもそもなんで怒りは出しちゃいけない、感じちゃいけないという風になったんですかね?」

数分後、ずっと黙っていたヒカリが急にさっきの続きかのように話し始めて店主は一瞬固まった。

「…え?なんでかって?さぁ…そういうもんなんだよ、ずっと前から。いいか?太陽は毎日昇って沈むだろ?そういうもんだろ?それと同じように、怒りは出さない、そういうもんなんだ。」

店主はちょっと不安そうな調子でそう言った。

「…なるほどね。」

「いや、わかってくれてよかったよ。」

店主はホッとした顔をして軽快に皿を洗い始めたが、ヒカリが理解したのは店主の言い分の方ではなかった。

『この国の人達は、ただこの国だけの傾向にすぎないものを、太陽が昇り沈む、そんな自然の摂理と同じような、変えようの無い事として捉えているんだ。』

『おそらくその固まった考えと、怒りの抑圧がこの国に蔓延する抑鬱と自殺の根本原因だろうけど…』

ヒカリは店主が気づかない程軽く、溜め息をついた。

『人間の精神には限りない自由があるが、それを知っている人は少ない。どこの国でも、思い込みや刷り込みによってかなり精神の自由が制限されている。そこで幸せになれたらそれにこしたことはないが、そうでない人間の方が多い。』

『何にせよ、上辺の政策だけ変えてもなかなか社会は変わらない。病んでいるのは国ではなく人。順番が意外と大事なんだ、国が変われば人が変わるのではない。人が変われば国が変わる。』

ヒカリは久々のまともな食事でお腹は満足していたが、心はなんだかしっくりこないままだった。

『感覚と感情と切り離された人間は、人間でいられるのかな…それ程までに感情は人間にとって重要なエネルギー源なのに。』

ヒカリは店主に愛想よくお礼を言い、カウンターに代金を置いて店を出た。

店の前にも、虚ろな目をして座り込んでいる人がいた。

ヒカリは真っ直ぐにその人を見て、また歩きだした。

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