第6話 黒の石の国の孤独

冷たい石の廊下に、硬いヒールの足音がこだました。

その歩調のリズムはなんとも速く、かつ威厳が漂っていた。


ここは黒の石の国と呼ばれている南の国で、その名の通り黒の輝石が豊富に採掘される資源に恵まれた国だった。

高値で他国と取引されるその黒の石は、この国に容易に富を引き寄せた。

そのため街に行き交う商人達は皆どこか、いや腹回りにでっぷりと貫禄がついていた。

しかし皆自分だけで富を占有したがり、互いにその貫禄ある腹の内を探り合いどうにか今以上に富を得ようとしていた。


バンッと重たいドアが勢い良く開いて、黒のドレスと輝く装飾で固め上げた女性が付き人を従えて大広間に入ってきた。

その女性はその広い部屋を見渡し、一族が全員集まっていることを確認した。

女性はいかにも偉い人が座るような派手な装飾の付いた椅子に、臆することもなくいつも通りの様子で座ったが、いつもと違うのはその顔にはっきり疲れと諦めが見て取れることだった。

「皆集まったようだな。」

親族一同黒の服を纏い、さらに美しく輝く黒の石で頭の先から足の先まで埋め尽くしていた。

その黒の集団が、全員女王である先程の女性に注目していた。

「今日皆を呼んだのは、預言者セディアナが重要な預言をしたからなのだが、この預言があまりにも急を要し、かつ他言無用の内容であることから急だがここへ集まってもらった。」

女王は付き人に軽く視線を送った。

付き人はその意味を察し、無表情で深々と礼をして大広間から出ていった。

女王が付き人が部屋から出たのを確認すると、再び話し始めた。

「セディアナはこう預言した。一ヶ月後の今日の夕刻、見たこともないような大きな炎が上がり、世界の四分の一がその熱で焼け、その時四分の一の人間が死ぬと…」

『!…』

部屋に氷のような沈黙が流れ、皆が瞬きと呼吸を一時的に忘れていた。

「…そ、それは…ど、どういうことですか?」

青ざめた中年の紳士が女王に問いかけた。

「今言った通り、世界の四分の一が焼ける。多くの人間が死ぬ。」

女王は淡々と答えるだけだった。

部屋にはまた氷のような沈黙が流れた。

誰も口を開こうとしなかった。

それは黒の石の国の王族専属の預言者セディアナが、今まで一度たりとも預言を外したことがないということをこの場にいる全員が知っていたからだ。

セディアナが言うのなら、それはもう変えようの無い事実だった。

女王はめずらしくため息をついてまた話し始めた。

「セディアナが言うには、北隣のカソリに大国アマネが原爆を落とすらしい。」

「!?」

この事実に全員が驚愕した。

「アマネがカソリに原爆を!?」

「今のアマネの国王はどうしようもない暴君だと聞いてはいますが、そこまでとは…」

さっきの中年の紳士が信じられないというように首を振った。

「確かに今のアマネの国王は私でさえ手に負えない。もうどうすることもできないのだよ…セディアナの預言は絶対だ。」

そう女王が言うと、数名の女性が泣きだした。

しかし女王の近くに気配もなく座り、じっとその場のなりゆきを見ていた若い女性は、誰も気づかない程小さく「え?」という顔をしていた。

そしてまた女王が重い口を開いた。

「ここからが本題なのだが…隣国カソリに原爆が落ちるという時点で我が国が無事であるはずがない。世界の四分の一が壊滅的被害を受ける程の威力となると、隣国である我が国も落ちたその瞬間に消し飛ぶ可能性の方が大きい。まぁ…私達もその時一緒に消し飛ぶことになるな…」

数名の女性の嗚咽する音だけが響いた。

「そこでなのだが…セディアナの預言には続きがあってこう言っていた。我々王族は原爆が落ちる一日前に、全員眠るように息を引き取ると。」

この女王の言葉に数名が怪訝な顔をした。

「一日前に…全員眠るように…ですか?」

「あぁそう言っていた。なんでも全員の胸に穴が空いている様子が見えると。」

「穴?」

「…」

女王はまた大きくため息をついて、一度全員から目をそらした。

「…セディアナの預言のすぐ後、私は城専属の医師を全員呼んで事の次第を伝えた。そうすると、胸に穴を空け一日前に眠るように息を引き取ることができる方法があるらしい。何の苦痛も感じず、本当に眠りにつくように…死ねる。」

「そんな方法があるのですか?」

中年の紳士が、もはや後ろに飾ってあるスカイブルーの花瓶と同じ顔色になりながら聞いた。

「あるようだな…なんでも先に手術を受けて肺に穴を空けておき、自分の好きなタイミングで薬を飲んで寝ればいいだけらしい。仕組みはよくわからないが…」

そう言って女王は目を閉じてなんとなく頭を抱えるような素振りを見せた。

「我々王族はここでしか生きられない。この国を出て生きる術などないだろう。皆に聞く、この手術を受けて、この国と共に静かに我が一族を終わらせることに異論はないか?」

またその場が氷のように冷たく固まったが、黒の石の恩恵で成り立ち何百年とこの城から出たこともない一族が、国を出て生きる術などないと皆がわかっていた。

誰も何の反応を示さないまま数分が過ぎたが、一人、また一人と女王の決定に従う意思を表明した。


「ツバキ、お前もそれでいいな?」

女王がふと、近くの若い女性が微動だにせず蒼白な顔で座っているのに気づき声をかけた。

「…」

「ツバキ。」

ツバキと呼ばれた若い女性は顔を上げて、震えながら口を開いた。

「…私は…その手術は受けません。」

女王はじめ全員が一斉にツバキに注目した。

ツバキは今まで女王に反論したことなどなく、いつも一番忠実に従っていたのに…

女王以外の全員が今のは空耳か?となんとなくきょろきょろしていた。

「手術は受けない…と?」

女王が厳しい調子で繰り返した。

「はい。受けたくありません。」

ツバキは人生初とも言える女王への反論で、緊張して全身がガタガタ震えていたが、真っ直ぐに女王と向き合っていた。

その場の全員が息を呑んだ。

「ならばどうするというのだ?当日原爆で死ぬのか?」

「…わかりません…」

「わからない?ツバキ、お前のわがままに付き合っている暇はな…」

「アマネの国王に原爆を落とすのをやめるよう進言できないのですか?まだ一ヶ月もあります、手立ては…あると…」

ツバキはそう言いながらも、自分でも手立てがないことはわかっていた。

『セディアナの預言は絶対…それに…』

女王は自分の言葉を遮られたことと、ツバキが今に限って反論してくることにイライラし始めていた。

「お前もわかっているはずだが、アマネは我が国にとって最大の交易相手国、黒の石の三分の二をアマネに輸出している。残念ながら我が国はアマネとの交易に依存して成り立っているのが現状、アマネの国王に睨まれてはこの国は終わる。そうすれば国民も飢え死にだ。お前は国民が飢えで苦しんだ挙句、原爆で死ねばいいとでも言うのか?」

「違います。我が国にとってアマネとの交易が生命線だということも、アマネの国王に不快な思いをさせれば我が国が終わりだということもわかっています。しかし…」

「しかしなんだと言うのだ、はっきり言わぬか!」

「しかしこれではあまりにも…あっさり諦めすぎではありませんか?こんなに簡単に生きることを諦めるんですか?」

「口を慎め。」

女王の威厳と冷たさの混ざった重厚な一言が部屋にこだました。

「誰も死にたい者などおらぬ。だが現実それが起こるんだ。諦めるどうこうの話しではない、受け入れる他ない。お前が今パニックで現実を受け入れられないのもわかるが、今はお前に付き合っている暇はない。」

ツバキは女王のこの言い方に心が不安で揺れた。

「私はパニックになっているわけではありません。ただ、一ヶ月後死ぬとわかったからじゃあ一日前に楽に死にましょう、というのはあまりにも無責任というか…」

「無責任ねぇ…」

「私達は私達が思っている以上に、自分の命とこの世界に責任を負っているのではないですか?早々に、運命だからと死を受け入れるのはエゴです…受け入れて楽になりたいだけの、人間のエゴです。」

「…」

その場の全員がツバキのこの言葉を聞いて虚ろな目になった。

ツバキも、全員が一斉に引いていっているのをひしひしと感じていた。

しかし女王だけは、怒りの表情でツバキを見据えていた。

「人間のエゴ…確かにそうだろう。しかし今回のことに始まったわけではない、人間はもともとエゴの固まりのような生き物だ。」

「だがお前はその人間を否定する。お前はどの立場からその発言ができる?何様のつもりだ?」

痛い程凍りついた空気が二人の間に流れた。

ツバキは必死に、気を抜いたらもうここで殺されそうな程の強烈な女王の視線に向き合った。


「…私はお前のその目が昔から嫌いであった。」

女王が突然そう言い放った。

ツバキは女王の思いもよらない言葉に、ますます臨戦態勢に入った。

「自分は真っ直ぐで穢れがないとでも言いたげなその目をやめよ!お前とて私やこの国の人間と同じ、強欲で、歪んだ、人間の中の人間なのだ!」

女王はついに逆上してそう叫んだ。

その場の全員が完全にフリーズしたように固まり、冷や汗だけがゆっくりと流れていた。

しかしツバキはもう怯まなかった。

「そんなことは知っています。私は私が強欲で歪んだ罪深い人間だということなんて、とうの昔から知っています!」

その言葉に女王は一瞬驚いたような顔をした。

「でも…」

ツバキは女王を激しい目で見据えた。

「私はあなた達とは違う!」

女王はもう完全に氷のような表情になり、それが逆に、怒りが振り切れたことを表していた。

ツバキは続けた。 

「なぜならあなた達は王族でありそして人間であることに奢り、この世界を汚しても開き直っている。そして悪びれることもなく、苦しみや罪を背負い生きるという人間の責任からも今逃れようとする!」

「私はこの世界を自然を汚している自分が許せない…だから必死に自分の中の闇と苦しみに向き合い、対話し、共にあり、自分の中で処理しようとしている。それがどんなに恐怖を伴うものだとしても、どんなに苦痛だとしても、目を逸らしはしない!」

ツバキは言葉が溢れ出して止まらなかった。

「この世界で自分勝手に生きて、最後も楽に死のうと言うのですか?死という闇が見えても、いのちに背いてはいけない、死が自然と向かえにくるその時まで、私たちは生きる義務がある!」

女王が怒りで小刻みに震えながら叫んだ。

「だからお前は子供なのだ!」

「義務!?…はっ!この国をまとめ発展させてきた私が無責任な人間で義務を果たしていないと!?」

ツバキはもう何度も味わった感覚がまたやってきたことに気づいた。

「違います!あなたがこの国を必死にまとめ支えてきたのは十分に知っていますし、あなたのその力を尊敬してもいます。しかし私は今、国ではなく個々人の生き方と責任の話しをしているんです!」

しかし女王は昔から、ツバキの深い精神性がまったく理解できなかった。

「生き方の責任!?またお前はそんなわけのわからないことを言い出す。お前はこの現実を見ようともせず、頭の中で理想を作り上げているだけだ。それはただの幼い空想にすぎない。あたかも自分が正論のように語るその口調をやめよ!私を誰だと思っているのだ!」

「もう一度言う、お前は子供だ。一人で生きていくこともできない、現実を知らない、思い上がったただの子供だ!」

「…!」

女王の言葉でツバキはハッとした。

自分自身の幼さを突き付けられたようで、悔しさなのか不甲斐無なさなのか自分でもよくわからない涙が滲んだ。

『そう、私は子供だ…外の世界も知らないし、何もできない。』

『でも…』

それでもツバキは、もう自分自身の心に背くことはできなかった。


「わかりました。私はもうここには居られません…」

女王には意外な言葉だったようで、皆にわからない位小さく驚いた。

「私はここから出ていきます。手術を受ける気もありませんし、ここであなた達と死ぬ気もありません。」

ツバキはそう言ったものの、自分の声が震えていることに気づいた。

「…」

女王の目が細く冷たく濁った。

「好きにするがいい。お前がどこで死のうと、もう私には関係ない。もうお前は私の娘でもなくこの一族の人間でもない。それだけ覚悟して行け。」

女王はまるで他人に命令するかのようにそう言い放った。

「わかりました。今まで、お世話になりました。」

ツバキはそう答えて、ドレスを翻して部屋から出ていった。

広い部屋に、目を虚ろに動かすだけの一族全員を残して。




ツバキは自分の部屋へ戻り、黒の石が贅沢に埋め込まれた高級なドレスを乱雑に脱ぎ捨てた。

そして唯一あった一番安い普通の服に着替え、思いつく必要なものだけ小さなカバンに詰め込んだ。

誰にも会わずに出たかった。

世話役や執事達にどんな顔をしてなんと言えばいいのかわからなかったからだ。

ツバキは自分の部屋に別れを告げる気にもならなかった。

『ここに私はいなかった…』

そして振り返ることなく自分の部屋を出て、城の出口へ向かった。

その歩く速さたるや、ツバキが通り過ぎれば風が舞った。

途中でいつもツバキのそばにいる世話役に会ってしまった。

世話役は汚い格好をして猛然と歩いてくるツバキに小さく悲鳴を上げる程驚いた。

「ツバキ様!?どうされたのですか!?その…」

と言いかけているそばを勢いよく横切り、歩き去りながら言葉をかけた。

「すまない…今までありがとう。」

世話役は唖然として立ち尽くしたままだった。


ツバキはその後も何人かに会ったが、皆驚いて立ち尽くすだけだった。

それはツバキには好都合だった。


城を出て少しした時、背中に視線を感じて、一瞬ためらったが振り向いた。

さっきの部屋から、女王がツバキを見ていた。

一瞬目が合った。

すぐに女王は逸らして窓から離れた。

ツバキは女王が見えなくなった窓をしばらく見ていた。

『…行こう。』

そう自分に言い聞かせて、前に向き直りまた足早に歩き出した。


女王は小さくなっていくツバキの背中を、冷たい部屋で一人で見ていた。

女王はツバキが生まれた時のことを思い出していた。

女王の好きな椿の花が、青い空を背に美しく咲き誇る日だった。

少し大きくなって、赤ん坊のツバキが元気に笑った姿。

三歳、言葉を覚えて得意げな顔。

五歳、庭を走りながら振り向いて自分に手を振った。

しかしそれらは走馬灯のように心を駆け抜けたので、女王自身すら気づかない程一瞬だった。


その後、女王は原爆が落ちる一日前に眠るように息を引き取ることになるが、女王は自分の人生にある程度満足していた。

しかしそこがツバキと決定的に違うところであり、女王がツバキを受け入れられなかった最大の理由でもあった。

それは女王の深い深い心の底にあったので、結局最後まで気づかないままだった。


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