第5話 大国の錯乱
ヒカリが国を出て二週間は経っただろうか、イライザの南東の国境では今日もまた軍の若い男達が検疫のため一日中屈み続けていた。
ヒカリに憔悴していた若い男はわかりやすく落ち込んでいた。
二週間ずっと一日中ため息をつき続ける若い男に、同僚達はイライラを通り越してもはや呆れ、ついには温かく見守るようなスタンスへと突入していた。
それというのも、三日前の夕方、若い男のエンドレスなため息に同僚達のイライラもピークに達していた。
ある時ふとため息が途切れたので、同僚達は二週間続いた重苦しい「はぁー…」をやっとやめてくれたのかと思い若い男を振り返った。
しかし、なんと若い男はその場に白目をむいて仰向けに倒れていた。
驚いた同僚は慌てて駆け寄った。
若い男はなんと、ため息のつき過ぎで酸欠になって倒れてしまったのだった。
『天然記念物級のあほだ…』
その場にいた同僚全員がそう思った。
しかしそれ以来、同僚達はこの天然記念物を温かくそっと見守ることにしたのだった。
そんな国境より数千キロ離れた隣国アマネの首都の真ん中、豪華絢爛という言葉がぴったりの王宮の大広間でヨウは一人無表情に食事をしていた。
ヨウは疲れてやつれていた。
ヒカリより少し年上なだけだったが、その硬い表情と冷たく冴えた目はヒカリより十歳は年上に見えた。
「国王!」
側近の男が珍しく少し慌てて、大広間で食事をしているヨウの元へやってきた。
「食事中だ、話しかけるな。」
ヨウは側近を見ることもなく冷たく言った。
「申し訳ありません。しかし、今しがた突然西国のカソリの元首カンダ様がいらっしゃいまして…」
「カンダ!?」
側近の予想だにしなかった発言にヨウも珍しく大声になった。
無駄に人員を投入している給仕達が一斉にヨウを見た。
「はい。」
「私の戴冠式にも来なかった男が今更なんの用だ?」
ヨウは不快の色を隠そうともしなかった。
「どうやら災害や疫病が続く我が国を支援できないかとのことで。」
「支援?カソリが我が国を?」
ヨウはあからさまに鼻で笑った。
「カソリも偉くなったもんだな。いいだろう、会おう。」
そう言ってヨウは食事に全く未練なく席を立った。
ヨウは宮殿内の応接間に行き上座の豪華な椅子に座った。
「ではカンダ様を呼んで参ります。」
そう言って側近の一人がまた部屋を出て行った。
『カンダか、あのはげオヤジ何を考えている。カソリは国交をほとんど行わないはず、それを突然自ら趣くとは。』
ヨウは昼間だというのにどこか薄暗い応接間で一人考えにふけった。
そこへさっき出ていった側近が、かなり頭が寂し気だが品のある初老の男とその男の付き人と思われる若い男と共に部屋に入ってきた。
初老の男がヨウの姿を確認し、勧められた下座の椅子に座る前に話しかけた。
「これは国王、ご無沙汰いたしております。突然の訪問をお許し下され。」
ヨウは感じの良い初老の男、カソリの国の元首カンダのこの挨拶に、ゆっくり瞬きしただけか?と思える程軽く会釈しただけだった。
カンダはヨウのこの行動をポジティブに解釈し、少し微笑んで椅子に腰掛けた。
「まずは先代のご病状はいかがですか?具合を悪くされてから二、三年経つと聞きましたが。」
カンダは気遣うようにそう言ったが、ヨウは「ご心配には及びません」と無表情で言っただけだった。
その反応を見て少し複雑に微笑んで次の言葉を続けた。
「さて、今回突然こちらへお伺い致しましたのは、昨今飢饉や地震、台風、大規模な山火事、と災害が続き疫病も蔓延しているアマネのご支援ができないかと考えた次第でして。」
カンダは心底心配しつつも冷静な言い方をした。
しかしヨウは気に入らない様子だった。
「支援か…そのお気持ちはありがたいが、カンダ、自国の西の治安は改善したのか?そちらが先決ではないのか?」
ヨウはカンダに向かって上から目線でそう言った。
「いえ、西の治安は改善しておりません。あれは政策を変えれば変わるような簡単な問題ではありませんので。しかし、それとこちらを支援させていただく話しはまったく別の話しでございます。」
さすが初老、ヨウのあからさまな上からの態度も軽く受け流してみせた。
「そうか、…で、本題はなんだ?」
ヨウはえぐるようにカンダを見据えた。
ヨウははなからカンダのことを信用していなかったし、信用する気も無かった。
「本題?本題は今話しました支援の…」
「もうよい!」
ヨウはカンダの言葉を遮った。
「カンダ、私の戴冠式にも来ぬ、何年も親交もない、そんなそなたが突然来て支援をしたいはないだろう?本当のことを言わぬか。」
ヨウは最初からカンダが何か別の目的で来たことぐらいわかっていた。
カンダはしばらく黙ってヨウを真っ直ぐ見つめていた。
「国王…あなたは、本当に先代に似ていらっしゃいますね…」
カンダはまったく動じず突然そう言った。
確かにヨウは性格も態度もしゃべり方も先代の国王に瓜二つだった。
カンダはこの言葉を批判的に言ったわけではく、冷静に、むしろ温かく言ったつもりだった。
しかし「先代に似ている」はヨウには禁句だったため、ヨウの顔が一瞬で青く冷たくなった。
カンダはこのヨウの変化を敏感にキャッチし、頭のどこかで別のことを考え始めた。
実はカンダはこの言葉をヨウがどう捉えるのか見るためにあえて言ったのだった。
「西の果てよりそんなことを言いに来たのか?元首とは暇なものなのだな。」
ヨウははき捨てるような言い方をした。
最初から見下すような態度を取っていたヨウに、カンダは冷静に対応し、さらにヨウの心の観察もしていたが、そんなカンダの思惑を知るよしもないカンダの付き人は怒り心頭だった。
付き人の握り締めた手が怒りで震えていた。
ヨウはそれに気づいていたが無視した。
カンダはなだめるように一瞬付き人を見て、またヨウに向き直り答えた。
「こんな広大な国をまとめている国王に比べたら確かに暇なのでしょう。」
少し笑顔で言った。
「しかし、一つ聞いていただけますか?私もそれだけお伝えするために遥々来たわけではありませんので。」
カンダは急に真面目で重い空気を醸し出した。
「なんだ?」
「国王、今のこの国の事態をいかがお考えですか?何年も災害が続き、それに伴う感染症も深刻な問題…人口も確実に減り続け、先代の頃より三分の二になったと聞いております。」
カンダは見事に一切否定的空気を感じさせず、心から心配しているという態度だった。
「で?」
「それらの災害が起こり始めたのは、国王があなたになってからだと。」
労うようにそう言ったが、このカンダの言葉の後にヨウを見たカンダの付き人は直立に立ったまま少し浮いた。
付き人は今まで生きてきて初めて、人の怒りに冷や汗が止まらなくなった。
さすがのカンダも、ヨウのマイナス百度の怒りに少し身震いしていた。
「で?」
「…国王、あなたは国の事とご自身の事を繋げて考えたことがおありですか?」
「で?」
ヨウの側近は微動だにせず、無表情で立っていた。
カンダは少し意を決したように次の言葉を続けた。
「…私は、一国の長の…心象風景は国に投影されると考えています。その前に、全国民の心象風景が国王に投影されるとも思いますが。」
長い沈黙が流れた。
「なるほど、つまり、今この国で起きていることは全て私によって引き起こされていると…?」
ヨウはマイナス百度の視線でカンダを刺した。
カンダは次の言葉を少し考えてから続けた。
「違います、そこが言いたいのではありません。私が言いたいのは国王の心は国に投影される…しかし逆に言えば、国王が変われば国は変わるということです。」
カンダはヨウが刺した視線を真正面から受け止め、そう言った。
付き人がカンダを尊敬しきったように小さく唸った。
「私が変われば国は変わる!?…カンダ、そなた、私が変わる必要がある欠陥人間だとでも言いたいのか?」
「…」
カンダの言いたいこととヨウの受け皿は見事に噛み合わなかった。
ヨウ自身は気づいていなかったが、ヨウの中には自己否定感が強く存在した。
ヨウの自己否定感は心の大部分を占め、何を投げかけられようとそこに落ちていく。
カンダはヨウの国王としての可能性の話しをしていたが、ヨウは今の自分を否定されたとしか思わなかった。
「違いま…」
「違わないだろう!」
ヨウはついに絶叫した。
付き人が直立不動のまま後ろに三十センチ吹っ飛んだ。
しかしカンダも一国の元首、負けてはいなかった。
「違います。私はあなたに、あなたの可能性に気づいてもらいたいだけです。あなたが変われば国民が変わる、国民が変われば国は変わる。一国の長とはそれ程可能性と責任を持った存在であると知っていただきたい。あなたは自分の中に存在する怖れや怒り、悲しみと向き合い、自分を変える覚悟をしていただきたい。あなた自身のため、この国のため、そして世界のために。」
「はっ、私の怖れ!?悲しみ!?何をわけのわからないことを言い出すんだ!…カソリは変わらんなぁ…そして貴様もだカンダ!昔から訳のわからない気味の悪い理論を並べて!…王の心が変われば国は変わる!?そんな理論を貴様が本気で信じているのが理解できない!」
「理論ではなく、現実の法則です。」
「どっちでもいい!貴様に付き合うだけ時間の無駄だった。私は貴様と違って忙しいのでな、お引き取り願おう。」
そう言ってヨウは椅子を回してカンダに背を向けた。
カンダはじっとヨウの背中を見ていた。
「…」
そしてヨウの背中に冷静に話しかけた。
「国王…あなたが先代と和解し、怖れや怒り、悲しみ、孤独と向き合うことを願っております。」
そう言ってカンダも席を立ち、部屋から出て行った。
ヨウは怒りが収まらず、無意識に自分の爪を噛んで落ち着こうとしていた。
『カンダめ、あのじじい、昔からいけ好かない。いつも対等な態度を取っているフリをして私を見下す。自分の方が人間的に上だと思っているのが見え見えだ!』
ヨウのこのカンダへの思いはある意味正しかった。
カンダは今回の忠告に関しても、自分では心底アマネを心配して来訪したと思っていたが、どこかで自分がヨウを変えてあげよう教えてあげようと思っていた。
カンダはとても良い人間であったが、この自分のおごりまでは気づいていなかった。
ヨウは敏感にこのカンダのおごりに反応し抵抗していたが、自分のおごりに気づいていないカンダは、またヨウが向き合うことから逃げたのだと思っていた。
城を出て、付き人がカンダに話しかけた。
「元首、あの国王によくあれだけ進言できましたね、尊敬します。」
「いや、尊敬してもらうほどのことではないよ。ただ彼を変えられなかったのは非常に残念だ…」
カンダはとても残念そうな顔をした。
カンダでさえヨウが変われば世界は変わると思っていた。
そしてこの責任転嫁に気づいていなかった。
カンダもまた、自分を省みることを心の深くで怖れていたのだった…
ヨウはまだ応接間に残って、自分の感情の渦と静かに戦っていた。
そこへ…
突然バーンっという音がして、扉から転がるように一人の男が入ってきた。
「国王!やっと新しいモデルの原爆が完成致しました。いや、開発に十年かけてやっとです!完成したのは最新モデルY―12型です!従来のJ型より数倍の威力で、しかも極限までの軽量化に成功したので持ち運びも簡単!」
国の軍事機関の研究者だった。
その男は部屋に入って来るや否や、興奮してしゃべり続けた。
ヨウとこの部屋のマイナス百度の空気には気づかなかったらしい。
ある意味最強のツワモノがここにいた。
その男は最新モデルの原爆をまるで自分のおもちゃを自慢する子供のような顔で熱く語り、息切れしてゼーゼー言うまでしゃべり続けた。
「はぁ…国王いかがですか?素晴らしいでしょう!ぜひこれをどこかで一度実験したいのですが!」
男はキラキラした顔で一点の迷いもなくそう言った。
早く威力を試してみたくてウズウズしている様子だった。
ヨウは黙って聞いていたがほとんど上の空で、まったく別の物思いにふけっていた。
「…国王?」
ヨウは自分でも理由がわからなかったが、突然走馬灯のように先代のことが頭の中を巡り始めた。
・
・
・
先代、ヨウの父親は現在のアマネを築き上げ、広大な国を統治してきた。
そしてその手腕により多くの国民からの尊敬を集めてきた。
しかしヨウはその表の父親の影に、裏の父親がいること、そしてその裏の父親の下で確実に踏みつけられ虐げられている人がいるということを知っていた。
そしてヨウの母親もその一人だった。
ヨウは幼少の頃より度々、父親に一方的に殴られている母親の姿を見てきた。
そして子供心に父親を蔑み恨み、なによりも母親を守れない自分自身を激しく責め立てていた。
そんな親の歪んだ夫婦関係を見る度に、母親を助けられない自分を否定し、父親に対して執拗な怒りを抱いていった。
しかしそんなヨウの気持ちとは裏腹に、父親はヨウに対して全くの無関心だった。
それはヨウが生まれた時からずっとそうだった。
ヨウは父親に愛されたことがないだけでなく、興味を示されたことすらなかった。
実はそのことが、ヨウの執拗な怒りと恨みの根源だった。
ヨウにとって、無関心はある意味で暴力より暴力的だった。
更にヨウは父親が何人もの愛人を抱えていることを知っていた。
そのことに気づいたのはヨウが十二歳の頃だったが、ヨウはその現実にショックを受け、父親に対して吐き気を伴う嫌悪感を抱いた。
その事実だけでも大打撃だったが、その直後に、母親も前からそのことを知りながら知らないふりをして耐え続けきたのだということを知った。
母親は父親に殴られた後、必ずヨウの部屋へやってきた。
殴られた顔でぼろぼろ泣きながらヨウにすがった。
「私が頼りにできるのはあなただけ」と…
ヨウはその度に母親を優しく受け入れ、自分が守らなければ、母を守れるのは自分だけだ、そして母も自分を必要としている、そう思った。
しかしいつも、しばらくすると父親が神妙な顔をして謝りに来た。
そしてその度に、母親は父親を許し二人でヨウの部屋を去っていった。
『…お母さん…』
ヨウは毎回、広い部屋に一人残された。
幼いヨウは、たった一人で静かに孤独を噛み締めることしか出来なかった。
『それでもいい、それでも…』
しかしヨウはそれでも、強く、何かを覚悟していた。
・
・
・
その時…
「国王!」
またバーンっという音がして、さっきとは別の側近が息を切らして入ってきた。
「何だ?騒々しい…今それどころでは…」
しかし側近はヨウの言葉を遮って叫んだ。
「今…はぁっ…先代が…息を引き取られました!」
水を打ったような冷たい沈黙が流れた。
側近の荒い息づかいだけが微かに部屋に響いた。
この時間の間に、ヨウの心に何があったのか…
それは後々も誰もわからなかった。
ヨウは突然立ち上がったかと思うと、いつもとまったく同じ調子で話し始めた。
「さっきの原爆の話しだが、今からちょうど一ヵ月後、カソリの西と東を隔てる砂漠に落として実験しろ。あの広さがあれば十分だろう。ちょうどカンダへの警告にもなるしな。」
その場の全員が呆気にとられていた。
しかしすぐに研究者の男が、また天才的に空気を読まず嬉しそうに飛び上がった。
「本当ですか!?ではすぐに準備に取り掛かります!」
そう言ってほぼスキップ状態で部屋を出ていった。
「…国王、本当によろしいのですか?」
側近がめずらしく気遣わしげにヨウの意向を確認した。
しかしヨウはチラッと側近を見るといつも通り冷たく言い放った。
「何がだ?」
側近はもう一度ヨウを見て、「いえ」と頭を下げた。
「カンダにはちょうどいい薬になるだろう。今後また今回のようにしゃしゃり出てこられないように釘を刺しておく。あの砂漠は広大だ、問題ない。」
そう言って部屋の扉へと向かった。
しかし実際にはこの原爆で世界の四分の一が壊滅的な被害を受けた。
原爆はなぜか、研究者が予想していた何十倍もの威力を発揮したのだ。
「国王、先代のところへは行かれないのですか?」
応接間を出たヨウが先代がいる方とは真逆に歩き出したので、側近はまためずらしくヨウに質問した。
ヨウもまた訝しげにチラッと側近を見た。
「この後、南の飢饉が深刻な地域の視察だっただろう?」
「…はい。」
「行くぞ。」
「はい。」
二人は長い長い廊下をただ歩いた。
「母上はどうしている?」
ヨウが突然口を開いたので側近は少しビクッとした。
「…あ、はい。先王女様は先代のお側に付きっきりで、息を引き取る瞬間も手を握っておられました。」
側近は「なんとも甲斐甲斐しく」というような言い方をした。
その母親の様子と側近の言い方を聞いて、ヨウの心は嵐の如く乱れた。
しかしヨウはこの心の嵐から身を守るため、意識と心を完全に遮断した。
ヨウはまた、長い長い廊下を、一人で歩き続けた…
ヨウは後々、世界の四分の一を滅ぼした悪魔として人々の間で語られることになる。
しかし実際にはヨウはただの、それこそヒカリとだって何ら変わりないごくごく普通の人間だった。
ただどこかとても繊細で、どうしようもない孤独の闇に抗う術を知らなかっただけなのかもしれない…
一ヵ月後、カソリに原爆が落とされ世界の四分の一が壊滅的被害を受けた後、ヨウの姿を見た者はいない。
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