第4話 風の吹く方へ
キラキラと輝く黄色の世界。
遠くで女性が優しく微笑んでいた。
「風の吹く方へ。」
『…誰?母さん?』
「ぎゃー!」
目を覚ました瞬間、超至近距離に動く黒い塊があったのでヒカリは思わず叫んだ。
それが牛だとわかるまで数秒かかったが、今までの人生でこんなにも牛をドアップで見たことが無かったヒカリは目をしばたかせた。
四方を囲んでいた牛達がヒカリの絶叫にさも迷惑そうな顔をした。
「…あ、ごめんなさい…」
「でもなんで牛?なんで大群!?」
起き上がって辺りを見回すと、自分が牛の大群の中にいることがわかった。
「…まぁでも踏まれなかっただけでもありがたいと思わないとな。」
意外と冷静だった。
牛の大群からなんとか脱出して、また西へと歩き始めた。
ヒカリはトラウマになりそうな目覚めの瞬間の映像をなんとか頭から払拭しようと頭をぶんぶん振った。
そしてさっきまで見ていた夢をもう一度思い出そうとした。
黄色の世界に、女の人がいた。
母親のような気がしたけど、全然雰囲気が違う。
顔を思い出そうと努力したが無理だった。
『でもやっぱり母さんじゃない…誰だろう?』
ヒカリはここ半年、全く同じ夢をよく見ていた。
同じシュチュエーションでいつも同じセリフ「風の吹く方へ」。
「風の吹く方へ…いつもそれだけ。」
ここでは風は必ず東から西へ吹いた。
それは季節、天候関係なくいつも風向きが同じだった。
「…風が吹く方といったら、やっぱり西だよな?」
実はヒカリが国を飛び出した理由の一つに、この何度も見る夢のことが気になって仕方がなかったということもあった。
ヒカリ自身子供じみた考えのように思えて仕方なかったが、この夢に従いたい自分がいることも変えようの無い事実だった。
頭では支離滅裂だとわかっていても、西に行かないことは出来なかったのかもしれない。
草原はいつまでも果てしなく続いていたが、見えるものが明るい緑の草と青い空のコントラストだけなのは全く悪い気がしなかった。
ヒカリはボーっと空を眺めながらぶらぶらと歩き続けた。
草原を歩き続けてもう一週間は経っただろうか、相変わらず出会うものといったら空と草原と牛だけだった。
『でも時々思い出したように羊にも出会っていたか。』
まれに羊を見かけるとなんだか妙に嬉しいという人生で初めての感覚を味わっていた。
その時、二日ぶりに遠くの方に牛以外の生き物の姿を捉え心が躍った。
しかしヒカリはすぐに眉根を寄せた。
「あれはなんだ?」
ヒカリが訝るのも当然、その遠くの方から近づいてくる生き物はばかでかい毛玉のようで、こちらに転がってきているのかと思った。
そのばかでかい毛玉の正体が毛が伸び放題の羊だとわかった時には、羊とヒカリの距離は二十メートルをきっていた。
もう何年も毛を刈っていないと思われるその羊の毛は、あまりにもボリュームを持ちすぎてお腹の毛が地面をこすっていた。
はたと向き合ったヒカリと羊。
数秒の沈黙の後、羊はまたヒカリに近づいてきた。
ヒカリは一度息を呑み、思い切って声を掛けてみた。
「やぁ、とても立派な毛並みだね。その様子を見ると、君も前の居場所から脱出してきたのかい?」
羊はいよいよヒカリの目の前まで近づいてきた。
そして顔を上げて、はっきりとヒカリを見た。
その羊のなんとも穏やかで悟りを開いたような達観した表情に、ヒカリは思わず噴き出しそうになった。
「あ、どうも。」
ヒカリは軽く会釈した。
羊はヒカリの言動に一瞬目を細めて答えた。
そしてゆっくりとヒカリから目をそらしたかと思うと、「すまないね」と言っているかのように少し頭を垂れ、ゆっくりと横を通り過ぎていった。
そしてまたゆったりと東へと歩き始めた。
ヒカリはその歩いていく後ろ姿を見送りながら、その羊に妙なシンパシーを感じる自分を客観的に面白がっていた。
「師匠…」
ヒカリはこの羊に自由への逃走の極意を見た気がした。
その時間違いなく、毛に埋もれた羊の小さな尻尾が得意げに揺れたのをヒカリは見た。
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