第9話 さらば優しい管理人さん


「――ただし、雨宮さんには私の部屋に住んでもらいます!」


 阿武名さんの声が、あぶな荘202号室の狭い部屋に木霊する。

 

「ちょ、ちょっと、待ってください! 雨宮が阿武名さんの部屋に!?」

「当然でしょう! 騒音って何をするつもりですか!」

「ええっ!? そ、そういう意味じゃ……!」


 まさか騒音という単語をそう取られるとは……。

 阿武名さんの胸を枕にのんびりしている雨宮が、ニヤニヤしながら俺を見つめている。さっきの雨宮の表情は、こうなることが予想できていたのだろう。


「そもそも、尊さんは高校生の女の子じゃありませんか。やむにやまれぬ事情があるとはいえ、会ったばかりの成人男性の部屋に住むなんておかしいです」

「うっ、それは……」


 俺だってそう思う。最初はそう思って、拒否しようとしていたじゃないか。一時の性欲に負けてオッケーしてしまったが、どうして俺は雨宮と住む方向に持っていこうとしているんだ。

 そ、そうだ。反対する理由なんてないじゃないか。こんなに短時間で仲良くなっているし、阿武名さんなら信用できる。雨宮は住む場所を確保できて、俺は元通り自由な一人暮らしに戻るんだ。むしろWin-Winというヤツだよ。


「分かりましたか?」

「…………」


 ほんのちょっぴり……ほんのちょっぴりだけ、雨宮との同居生活が終わってしまうことが悲しく感じたが、俺なんかよりも阿武名さんと暮らす方が、雨宮だって嬉しいはずだ。

 俺みたいな陰キャとは、そもそも住む世界が違うのだから。


 よし、阿武名さんの提案に乗ろう。


 そう思って阿武名さんの方に視線を戻すと、さっきよりもあくどい顔で笑っている雨宮が見えた。出会って間もない俺達だが、あの顔をした時の雨宮にいい思い出がない。とても嫌な予感がする。


 そんな俺の考えと答え合わせをするように、ササッと悲し気な表情を作った雨宮が、阿武名さんに縋りついてウソ泣きを始めやがった。


「結衣さぁん。あたし、羽泉さんに15万円で買われたの……そのお金を返すまでは、羽泉さんの元から離れられないのぉ……」


 テレビに出ている本格派女優も顔負けな演技で、阿武名さんに泣きつく雨宮。

 おい、さっきまでの笑うセール●マンみたいな顔はどうした!?


「は、羽泉さん……!? そんな、女の子の弱みに付け込むようなことを……!」


 そしてコロッと騙される阿武名さん。

 さっきの雨宮と仲良くなる下りでも思ったけど、この人は大丈夫だろうか。簡単に詐欺に引っかかってしまいそうだ。イイ人すぎるのも困りものだよね。


 というか、この流れはマズイ。なんとか弁明しなければ!


「い、いや、15万円でTシャツは買いましたけど……!」

「Tシャツが15万円もするはずないでしょう!」


 なんてこった、言い返せないぜ。

 確かにベーズファンでもない限り、とんでもない高級ブランドでもTシャツ一枚には中々つかない値段だ。それをこのボロアパートに住むような男が、まさか買うとは思わないだろう。


「15万円はしましたが、えっと……」

「いいです。15万円と言うなら、私が代わりに払います!」

「いや、そういうことじゃなくて……」


 別にTシャツだけ置いていってくれればいいんだけど……。

 俺が言葉を続けようとした瞬間に、雨宮からの強烈なインターセプトが入った。


「そうなの……現金で返せって言われてなくて……あの、体でって……」

「雨宮サン!?」


 ついにはウエーンウエーンと露骨な泣き声を発している雨宮が、どんどん導火線に火が付いた爆弾を放り込んでくる。

 どう考えても雨宮の話はオカシイのに、阿武名さんの表情がどんどん暗くなっていくのはナゼ?


「羽泉さんがそんな人だとは思っていませんでした……最低」


 最後の『最低』という部分に何重ものエコーがかかり、何度も何度も俺の脳内でリピートされた。


 ちゃんと否定しなければと思いつつも、阿武名さんから発する威圧感のようなモノに圧倒されて、俺はマトモに喋ることができなかった。冤罪で捕まる人の気持ちってこんな感じなのかな。


「尊さん、警察に連絡しましょう」


 そう言いながら、スマートフォンを操作する阿武名さん。

 ちょっと待って、本当に冤罪で捕まりそうなんですけど!


「ちょっ、だから――」

「いいの、結衣さん! あたしが自分で選んだことなのだから!」

「そ、そんな、ダメですよ! もっと自分を大切にしなさい!」


 俺の声を遮るように叫び、涙の軌跡を空中に描きながら、無駄に劇画タッチで阿武名さんを止める雨宮。

 なぜか阿武名さんまで身振り手振りが多くなり、まるで二人芝居をしているかのようだ。すごい疎外感。


 とりあえず、警察を呼ぶのはやめてくれたけど……これ、どういう状況ですか?


「行く当てのないあたしを拾ってくれたのは事実だし……だから、心配しないで、お姉ちゃん……!」

「うぅっ、尊ちゃん! 辛くなったら、いつでもお姉ちゃんのところに来るのよ!」

「ありがとう……お姉ちゃん、好き!」

「私も好きよ、尊ちゃん!」


 涙を流して熱く抱き合う二人。いや、本当になんだこれ。いつのまに二人は姉妹になったのか。いつも丁寧な喋りの阿武名さんが、砕けた喋りになっているぞ。


 しかも、どんなマジックを使ったのか、雨宮が俺の部屋に残ることになってない……?


「ふふーん」


 よく見てみると、阿武名さんと抱き合いながら、見えないところで雨宮がピースしていやがる。こいつ、すべて計画通りだったということか。

 雨宮、なんておそろしい子ッ!


「羽泉さん」

「……はい」


 まるで親の仇を見るような目で睨んでくる阿武名さん。


「私の大事な尊ちゃんに手を出したら、許しませんからね」


 なんとか言い訳をしたいところだが、今更なにもかも遅い気がする。

 阿武名さんの後ろに隠れた雨宮も指を口元に当ててシーッとしているし、ここで俺が何かを言ったら更にこじれるだけだろう。

 俺のようなカースト最下層の人間には、発言する権利など無いのだ……。


「…………はい」


 蚊の鳴くような声で返事して、がっくりと項垂れる俺。そんな情けない男の元まで雨宮はちょこちょこと寄ってきて、とても楽しそうな声で囁いた。


「これで一緒に住めるね、ハイタツくん」


 こうして雨宮が俺の部屋に残る代わりに、優しい管理人さんを失ったのだった。

 


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