第8話 管理人さんは癒し系


「……経緯は分かりました」


 高級ソファに座る黒髪の女性が、額に手を当てて大きく溜息を吐いた。


「本当に……いろいろとすみませんでした、阿武名さん」

「ごめんなさい!」


 床にピッチリと正座をして、もはや何度目か分からない謝罪をする、俺with気絶から復活した雨宮。


 俺と雨宮が頭を下げるこの女性は、阿武名あぶな 結衣ゆいさん。俺の部屋のカギを外から開けたマスターキー・・・・・・を持っていることからも分かるように、この『あぶな荘』の管理人さんである。

 艶やかな黒髪を腰まで伸ばし、視覚からも包容力を感じる大きな胸は、その溢れ出る母性を詰め込んだみたいだ。春のひだまりのようなあたかい声で話し、柔和な顔にいつも笑顔を浮かべる、まさに癒し系美人という言葉を体現した存在。

 2つ年下かつカースト最下層の俺を「羽泉さん」と呼び、いつも笑顔で挨拶してくれる物腰の柔らかさを持った、俺が母親以外でマトモに話せる唯一の女性でもある。


 そんな聖母のような阿武名さんが、いまは眉間に寄った皺を指で解しながら、見たこともないような険しい表情をしていた。


「雨宮さんの言葉を信じるならば、いますぐに出ていけとも言えません」


 パオーンショック下半身露出事件があった後、雨宮が家にやってきたところからどうにかこうにか説明し、やむにやまれぬ事情でこうなってしまったことをようやく理解してもらったところである。

 さすがに傷はまだ癒えていないようで、なかなか俺の方を見てくれない。見られたら俺もなんだか変な気持ちになるから、いいんだけれど。というか、俺も阿武名さんをマトモに見れないです。


「な、なにぶん突然だったもので……時間のある時に、阿武名さんにも話そうと、思ってはいたんですけど……」

「昨日の今日ですから、それは仕方ありませんよ。RIMEで一言くらいくれても、とは思いますけれど」


 仕方ないと言いながらも、拗ねた表情で手に持ったスマートフォンを撫でる阿武名さん。

 RIMEライムとは、無料で通話やメールが楽しめるコミュニケーションアプリである。そういえば高級ソファを衝動買いしてしまった時に家賃を滞納してしまい、今後は事前に連絡できるようにと連絡先を交換したんだった。


「せっかく交換しているのに、一度も送ってくれませんし……」

「うっ」


 男が「え? こいつ、俺に気があるのかな?」と軽率に勘違いしそうなほど、拗ねて甘えるような表情と声で、スマートフォンをツンツンとつつく阿武名さん。

 いつも年上のお姉さんといった雰囲気なのに、ふと見せるこういう子供っぽい表情も魅力的だ。これがギャップ萌えってヤツだろうか。危うく俺も分不相応な感情を抱くところであった。


「すみません……家族以外と、RIMEする、習慣がなくて……ッ!」


 陰キャの俺が気軽に女の子とRIMEすることなんてできるはずもない。あれから家賃を払えなくなるような緊急事態はなく、結局は一度もRIMEを送る機会などなかったのだ。

 俺のRIMEのトーク履歴は、父と母……それにベーズの公式アカウントの3件のみ。シンプルでとても見やすいねッ!


「い、いえ、謝らないでください! 私も似たようなものですから!」


 涙で床に水溜りを作る俺に、軽く引いた表情をしながらも、優しく慰めてくれる阿武名さん。やはり聖母だった。

 こんなに美人で性格もいい阿武名さんが、モテないはずもない。きっとRIMEだってひっきりなしだろうに、俺に気を遣って話を合わせてくれる阿武名さんが、とても眩しく見えた。

 あれ、後光が差してる? ありがたや~。


「結衣さんRIMEやってるんだ! あたしとも交換しましょー」

「え!? い、いいですよ。えっと、雨宮さんですよね」


 俺が阿武名如来に手を合わせて拝んでいる間に、女子二人がキャッキャとRIMEを交換しつつはしゃいでいた。

 さすがはハイパー陽キャの雨宮だ。俺が家賃滞納というイベントを経て(わざとじゃないですよ?)、どうにかゲットした阿武名さんのRIMEを、ものの数ラリーでゲットしているぞ。


「尊でいいですよー。あたしも結衣さんって呼んじゃってるし!」

「わかりました、尊さん」

「結衣さんの方が年上なんだから、『さん』なんていらないのにー。あ! 結衣さんのアイコン、『食べ柴』じゃないですか! かわいいー!」

「ふふっ、ありがとうございます。尊さんの『ニャーメイド』もかわいいですね」

「ドマイナーな『ニャーメイド』を知ってるなんて、なかなかやりますね! なんだか結衣さんと趣味あいそう!」


 急に喋りはじめた雨宮に最初は驚いていたものの、すぐにいつものほんわか阿武名さんに戻り、かわいい動物キャラクターの話で楽しそうに盛り上がっている。

 しかも雨宮のヤツ、一気に名前呼びまでしていやがる。距離の詰め方が武道の達人レベルだぜ。コミュニケーションの縮地、使いました?


「尊さんがいい人そうでよかったです。会ったばかりなのに、元気ですごくかわいくて、なんだか妹ができたみたいです」

「あたしもです! こんな美人で優しいお姉ちゃんが欲しかったんだぁ」

「きゃっ! もう……ふふっ、しょうがないですね」


 子供のように飛びついた雨宮を、その大きな胸で見事にキャッチして、優しくサラサラと頭を撫でる阿武名さん。二人の姿は親子のようでもあり、姉妹のようでもある。

 どちらにしろ、まさかさっき出会ったばかりとは信じられないほどに、とても仲が良さそうであった。

 これは雨宮のハイパーコミュニケーション能力の為せる業か、それとも阿武名さんのウルトラ包容力の為せる業か……いや、その二つが相乗効果を生んでいるのかもしれないな。アンビリーバボーだ。


 なんにせよ、丸く収まりそうでよかった。このアパートの管理人である阿武名さんに「出ていけ」と言われてしまえば、さすがにどうしようもなかったからな。雨宮のコミュニケーション能力の高さに感謝。


「なるべく騒音とかは気をつけますから」

「…………」

「雨宮をここに住まわせても……」

「…………」

「あ、あの……?」


 この流れに乗って既成事実を作ってしまおうと、阿武名さんに声をかけてみたわけだが、その瞬間にキャッキャウフフとしていたムードが凍り付いた。どれだけ寒いギャグを言ったとしても、こんなに空気が凍ることは無いだろう。


「騒音……」


 怒りとも困惑ともとれる複雑な表情をした阿武名さんは、グルリと俺の部屋を見渡してから、真っすぐに俺を見つめてきた。なぜか下半身を、ガッツリと数秒間。


「……わかりました、住むことは許します」


 それから頬を赤く染め、プイと顔を逸らして阿武名さんは言った。許すとは言ったものの、その顔は納得しているようには見えない。

 ふと雨宮と目があったが、「分かってないなぁ」と呆れた表情で首を振りやがった。な、なんだ、どういうことだ?


 しばらくそっぽを向いていた阿武名さんだが、大きく深呼吸を一つすると、キッと俺を見つめて叫んだ。


「――ただし、雨宮さんには私の部屋に住んでもらいます!」


 悲報。美少女高校生との同居生活、一日で終わるかもしれません。

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