第16話 理不尽な状況と無謀な計画

 大量の情報を一気に流し込まれた脳が混乱する。深刻かつ理不尽な状況に心が悲鳴を上げる。


 座り心地の良いはずの代表室の椅子が岩のように固い。足を元の分厚い絨毯が沼のようにぬかるむ。


「つ、つまり王家が火竜襲来の主導権を取るために一番槍を取らないといけない。そのためには正確に火竜の進路を予測する必要がある。だから都市周辺の魔脈の詳細な情報が必要。そういうことですか」

「アントニウス・デュースターが結界から離れて先行する可能性は高くないけどゼロじゃないわ。何より、火竜を有利な場所で迎え撃つためには地の利が大事。ホットスポットを導き出したあの方法で経路を予想してほしいの」


 降ってわいたような七年前の悪夢の再来と、それを前に勢力の計算に忙しい“御両家”への感情を抑えて、俺は自分が理解すべきことだけに絞り込んだ。一方の王女様はいつもの狩りの計画を話すように普通だ。


「どうかしら」

「進路の予想だけなら可能だと思いますけど……」


 強力な魔獣ほど強力な魔脈を必要とする。七年前と比較すればそれなりの精度で進路が予想できるはずだ。デュースター家が動かない魔脈だけを考慮しているなら、季節変動まで把握すれば出し抜ける。何よりも空飛ぶ相手には下りてくる場所で待ち構える必要がある。


 頼まれたことは理解できている。権力争い云々はともかくとして、俺の情報が火竜撃退に役に立つというのならば全力を尽くすことに異論はない。


 だけど、ある一つの要素が抜けているのではないか。今の条件を満たしても、火竜に一撃与えた上で帰ってこなければ意味がないはずだ。


 アントニウス・デュースターには空飛ぶ魔獣を攻撃できる特別な狩猟器があるらしい。じゃあ、王家の方は……。


「ちなみに、どなたがどれほどの人数で向かわれるのでしょうか?」

「私達二人が行くわ」

「…………リーディア様とサリア殿の二人だけと聞こえたのですが」


 内心ではまさかと思っていた答えだ。実際に聞けば耳を疑わざるを得ない。


「火竜に対抗できる力は上位術式を超える改良術式だけ。今の段階で使いこなせるのはここにいる三人。先行して火竜に仕掛けるのなら私とサリアの二人だけが最善でしょ」


 この前の演習、足場の悪さを苦にもせずに飛ぶように走る二人を思い出した。確かにあれについていける騎士はいないだろう。もちろん俺も。情けないけどホッとした。


「でも、たった二人で火竜に挑むのは流石に危険では」

「倒そうというわけじゃないわ。一撃与えればそれでいいのよ」


 控えめに反論した俺に表情を変えずに王女様が答える。


「空を飛ぶ超級魔獣に一撃なんて、それが無謀だという話です」

「仕方ないでしょう。他に手段がないのだから。それとも別の案があるのかしら」

「火竜に二人で挑むという選択肢しかないなら、狩り自体を中止すべきということです」


 対案はもちろん言葉を選ぶ余裕もない。彼女の狩猟計画を否定する。


「そしたらデュースター家が火竜撃退の主導権を取ることになる。従わない者を火竜にぶつけて使い捨て、最後に自分たちが功績だけ取っていく。めでたくリューゼリオンを救った英雄として猟地だけでなく都市を支配するわ」


 思わずぞっとした。以前、犬でも見るような目で俺を見たアントニウス先輩を思い出す。俺個人にとっても、あの家の御用商人に目を付けられているレイラ姉にとっても最悪と言っていい事態だ。


「で、でも、リューゼリオン全体の危機なんだから、権力争いとかじゃなくて協力し合うべきじゃ」

「話を聞いていたかしら。そうすることが出来る唯一の方法があるとしたら私が一番槍を取ることでしょう」

「それは…………そうかもしない、けど」


 自分でも実現性がないと思いながら口にした。否定されても反論の言葉が出ない。


 正直に言えば彼女の計画が上手くいってくれるのがベストだ。俺にとってもレイラ姉や親方にとっても。工房に入ってもらったシフィーだって助手として雇ったんだから守る責任がある。


 そして、俺が求められているのは魔脈の調査と色媒の精製だ。失敗したとしても最悪が最悪になるだけ。


 さっき「ここにいる三人」と言われ一瞬身が震え。その後「二人しかいない」と一人外れた時にほっとしたのは否定できない。


 つまり、俺はこの依頼をしっかりこなし、後は都市結界の中で二人の成功を祈るのが一番いい。混乱する頭と心がたどり着いた打算と保身は妥当な結論だった。


 …………


 それは、あの時みたいに? 両親が森で魔獣に追われている間、街の中で布団をかぶって震えていた幼い自分の姿が頭の中によみがえった。


 あわてて首を振る。状況は全然違う。


 魔獣と戦う力なんてなかった両親と違って、この二人は騎士の中でも一番の実力の持ち主だ。この二人は俺が守る対象じゃない。そんなことを考えること自体がおこがましい。俺よりもずっと強いんだから。

 第一、俺は何もしないわけじゃない。魔脈の調査や色媒の精製という誰にもできない手助けをするんだ。どこに問題がある。


 でも、いくら騎士として強くても相手は超級魔獣。騎士は狩る側じゃなくてかられる側。それは、あの時と本当に違うのか…………。


 いや、だいたい二人が自分からやるといってるんだ。それに、王家の権威を守るという目的もあってのことだ。だから、俺は俺自身とレイラ姉達を守ることを一番に考えるべきなんだ。


 でも、それを彼女たちに強いた理由の一つは俺の色媒と術式と言えないか…………。


「サリア殿の方は納得しているんですか」


 出ない答えから逃げるように、俺は王女様の唯一のパーティーメンバーに聞いた。


「当然納得している。それに、デュースターが騎士院で最後になんて言ったと思う?」

「サリア、そのことは今大事じゃないわ――」

「なんて言ったんですか?」

「火竜撃退に最大の功績を上げたものに王女を嫁入りさせるべき、だ。この意味が分かるか」

「………………アントニウス先輩が次のリューゼリオンの王になる、ってことですか」


 どこまでも状況を利用しようとするデュースターに怒りがこみ上げる。ただし、これはある意味想定していた事態だ。さっきの最悪の中にある。だが、ご令嬢は首を振った。


「アントニウス・デュースターが王家に婿入りするのと、王女がデュースター家に嫁入りするということは大きく違う」

「ええっと……」

「デュースター家がリューゼリオンの王家になるということ。都市のすべてをあの家のやり方に塗り替えるという宣言なの」

「リーディア様がデュースター家の一員になれば当然あの家の当主権に服することにもなる。つまり、今後何があっても挽回の手段はない」


 さっきは最悪だと思った未来図がまだ甘かったことを思い知る。


 実を言えば平民にとって王が誰かは問題じゃない。ちゃんと街を管理してくれるのなら目の前の女の子の父親だろうと、あの気障で傲慢な先輩だろうと構わないと言えなくもない。


 でも、デュースター家が平民の生業について全く理解していないのは明白だ。森の中で狩猟団パーティーで動く騎士と違って、職人街は複雑に絡み合った一つの生き物みたいなものだ。一部でも欠ければ残ったすべてが壊れかねない。

 自分にとって気に入った役人や商人に勝手をやらせれば職人街そのものが壊れる。最終的には騎士だって困るはずなのにそれに気が付かない。


 「搾り取るにもやり方ってものがあるのを知らねえのが一番厄介だよ」親方が吐き捨てるように言った言葉だ。職人気質の親方が職人同士で団結するために動くくらい危機感を持っている。


 仮に、デュースター家が将来的に都市の管理を理解するようになったとして、それまでにどれだけの人間が破滅するのか想像もできない。その一番先頭に居るのが俺とレイラ姉達だ。


「火竜への対応としては向こうの方針の方が妥当じゃないですか? 共闘できなくてもリューゼリオンの結界を盾に戦った方がいい。うまくすれば、デュースターよりも先に傷を与えることが出来る」


 自分のなかの前提が変わっていることから目を背けて提案した。


 人数的に勝っていても火竜に対抗できるのは特殊な狩猟器一つだ。この二人の術式と体術があれば先に一撃与えられる可能性はある。失敗しても命まで失う危険はずっと少ないはずだ。


「そのやり方だと都市を盾にすることになるわ。それは出来ないの」

「でも、七年前は……」


 火竜襲来の時に天を焼く炎を見た。結界は火竜の炎を防いだのだ。この子の父親だって火竜が魔力を消耗するのを待って出撃したんじゃなかったのか。


「王家には都市を守る責務があるの」

「王家の面子よりも命でしょう」

「面子じゃない。王家の娘としてリューゼリオンの騎士として私は前に出る。もう決めたことよ」


 死地に飛び込むというのに、当たり前のような顔をしている同い年の少女が理解できない。


「そうね、あなたが私達と一緒に来てくれるというのならパーティーメンバーとして意見は尊重するけど」

「そ、それは……」


 反射的に身が引けた。狩りの場に立てない人間に発言権はないということか。だけど、それなら……。


「この色媒の精製が遅れるかもしれませんね。魔脈の調査も時間がかかるかもしれません」

「約束が違うでしょう。大体、自分は色媒のことに徹する方がいいと言ったのはあなた自身なのよ」


 火竜襲来という圧倒的な理不尽に、王家とデュースターの争いという理不尽。この状況でかかわる人間全部が無事な選択肢なんてない。


 レイラ姉達、そして目の前の二人、俺、優先順位がまとまらない。自分でもさっきから言ってることが支離滅裂だ。


 だけど、向こうもどこかおかしいんだ。火竜を相手にするならリューゼリオンの結界を盾に、アントニウス・デュースターと同じ条件で競争する。俺の提案は現時点での最良の手段のはずだ。


 なんで否定された。いや、否定されたんじゃない。目の前の赤毛の少女は、まともに答えていないんじゃないか?


「リーディア。先ほどから話が全く違う方向に行っています。時間がないのだから現実的な問題から解決しましょう」


 俺が混乱している間に、ご令嬢が俺を見た。いつも真面目な表情だが怖いほど真剣だ。


「上位魔術の改良が出来ないだろうか。中位術式で高位術式を超えたのだ。上位術式をあの色媒で改良すれば、火竜に対抗できるだけの力が得られるのではないか?」

「原理的には可能でしょうが、時間的に難しいでしょう。上位魔術の術式は中位魔術とは比べ物にならないほど複雑です」


 現在の色媒精製の効率なら量的には足りるかもしれない。だけど、それは一発で成功した場合の話だ。使えるかどうかも分からない術式で火竜の前に立つなんて無謀どころの話ではない。


「そうか。実はもう一つある。だが、これは私の口から言うわけにはいかない。リーディア様」

「そうだったわね。私としたことが一番肝心なことを忘れていたわ」


 王女様は大きく息を吸うと、俺に向き直った。一番肝心な話? これ以上何があるんだ?


「さっきの言葉は失言だったわ。仮に付いてくるといっても連れてはいかない。レキウスにして欲しいことは別にあるの。ことによると火竜に対する私達よりも難しくて大事な仕事になる」

「火竜よりも難しくて、大事?」


 この状況で火竜と直接戦うよりも大事なこと。全く見当がつかない。


「そのために王宮に来てお父様に会ってもらいたいの」

「へ、お父様…………って、王様!?」


 確かに王様には言いたいことはある。職人街の管理とか。後はまだ学生の一人娘にすべて押し付けて何をやってるんだとか。


 でも、なんでこのタイミングで呼び出されるんだ?

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