第17話 結界の真実

 細い通路に足音が響く。俺は二人の女の子に挟まれる形で階段を降りていた。周囲の滑らかな白壁と足元の恐ろしく平坦な階段。ランタンの光の届く前後数メートルは壁から反射する光で明るく、その先は真っ暗になるという不思議な感覚だ。


 材質も建築方法も全く見当がつかない。ここに来る前に通った上の王宮はどれだけ豪華でも異質ではなかった。


 さらに、下に降りるにつれ不可視の圧力が強くなる。圧倒的な何かが下に流れている感覚だ。色は感じないために魔力として認識しないから余計に不気味だ。方向は反対だけど頭上に巨大な鉄球が吊るされていたらこんな感覚になるかもしれない。


 地上のすべての魔力の源である透明な魔力の流れ、リューゼリオン最大の魔脈がこの下を流れているのだ。そして、それこそが向かう先にあるものが地下深くに置かれている理由だ。


 やがて、一人の老騎士が守る白銀の扉が見えた。ドアが開き光が目を焼いた。


 足を踏み込んだのはドーム状の地下の空洞だった。中央には人の背丈ほどの高さの金属製の台座があり、その六角形の表面には赤、青、緑の三色の巨大な術式が描かれる。そして、三色が集まる中心から白い光の柱が立ち上がっている。


 結界器。偉大なるグランドギルドによって作られ、グランドギルドが滅んでから数百年動き続ける超越した魔術装置だ。今は失われた白魔術の最高峰であり、リューゼリオンという都市を存在させている基盤だ。


 リューゼリオンに結界器があるのではなく結界器があるからリューゼリオンがある。その事実をいやでも思い知らされる光景に息をのむ。


 ここを見たのは二度目。一度目は二年前、学院に入学する直前だ。あの時はただ圧倒され、これから自分がこの魔術を生み出した騎士の末裔に連なるという言葉を真に受けた。後、これを管理する王家の偉さを刷り込まれただろう。


 今、なまじ二年間魔術を学んだがゆえに改めて思い知る。俺たち“騎士”が使っているのと同じ魔術であるとは到底思えないと。


 グランドギルドの魔術士が至っていた高みと、与えられただけの猟士がどれほど隔絶した存在かよくわかる。俺たちはこの数百年間何をしていたのかという疑問と共にだ。色媒の精製も術式の改良も、これに比べれば子供の遊びにもならない。


「二人は下がりなさい。レキウス君と二人だけで話をする」


 立ち尽くす俺の耳に光の向こうから声が聞こえてきた。よく見ると結界器の側に一人の男が立っているのが見えた。


 王女様とご令嬢、そしてベルトリオン翁が扉の向こうに去る。ようやくここに呼ばれた理由を思い出した。彼こそが俺をここに呼びつけた人間だ。都市の長であり、この結界の管理者であるリューゼリオン王その人だ。


 ついでに言えばさっきまで隣にいた女の子の父親であり、レイラ姉たち平民の街を管理する役人の主人でもある。その二つの立場に関して、思うところは多々ある。ただし、今最大の問題はなぜ俺を、ここに、このタイミングで呼び出したのかだ。


 王は光の中で何か作業をしているようだ。よく見ると、男が何かするたびに中央の光の柱がその大きさを変えているように見える。工房の水車の整備をしている水車職人がなぜか思い浮かんだ。


「待たせたな。まずはこちらに座ってくれ」


 しばらくの後、結界器から少し離れたところにあるテーブルに案内された。テーブルには向かい合っての椅子が二つ。上にはランタンが置いてある。白い光に照らされた空間にランタンがあるのが奇妙だ。


「リューゼリオン王エスラディオスだ。君は確かレキウス君だったね」

「き、騎士学院二年生レキウスです。…………王家の恵みにより騎士としての勉強をさせていただいています」


 王様と差し向かいで座らされてるだけで緊張する。俺はある意味王家にとって極めて大きな秘密を共有しているわけだが、それはベルトリオン翁が担当だったはずだ。騎士院の名家の当主ですら対応に困っているのだ。


「そう緊張することはない。まずは礼を言わなければならないな。我が娘を守るために上級魔獣三体の前に飛び込んだ勇敢な少年よ」


 誰だそれは? 古の時代の騎士物語か何かだろうか。


「てっきり恩知らずの父親と思われているかと思っていたが」

「ベルトリオン閣下を通じて既にお言葉はいただいております。そもそも、私自身リーディア様には何度も助けられておりますので」

「ふむ。確かにリーディアは平民出身者のことを気にかけていた。七年前の損失を埋めるため資質の低いものまで学院に集めたことを知っていたがゆえにな。平民出身者の選別は王家が行う。責任を感じていたのだ」


 道理で俺みたいな落ちこぼれに構ったわけだ。自分の責任でもなかろうに。俺としてはお説教されているという感覚しかなかったけど。


「もしかして娘の気の強さにへきえきとしていた口かな?」

「い、いえそんなことは決して」


 やばい、顔に出てたか。


「騎士としての才能は際立っている娘だが、それゆえに騎士はかくあるべきという信念が強い。いや、凝り固まっているというべきか。危ういことではある。まあ、それゆえに君を見つけたと考えればそう悪くなかったのかもしれないがな」


 そう言って王はまっすぐ俺を見る。口調にも表情にも気負いを感じないのに威圧感がすごい。


「本題に入ろう。君にここまで来てもらったのは、見てもらった方が早いからだ。ついてきたまえ」


 王はそういうとその片手にランタンを取ると立ち上がった。あわてて後に従う。


 そうだ、礼を言うならここである必要がないし、火竜襲来という都市の危機が近いこの時である必要はもっとない。


 結界器の土台のすぐそばに来た。ランタンが土台の下の影になっている部分を照らした。


 魔導金属、それも最高等級をも超える輝きだ。地面から生えているように見える。想像以上に深いかもしれない。これが金属の塊だとしても計り知れない価値があるだろう。


 そんなことを考えていた俺の顔がすぐに引きつることになった。ランタンによって照らされた影の部分、地面と土台の境から大きなヒビが上に向かって伸びているのが目に入ったのだ。


「七年前の傷跡だ」

「七年…………七年前の!?」

「正確に言えば、七年前の火竜の攻撃に耐えた際に顕在化したというべきだが」


 王がランタンで照らしながら土台の周りをまわる。土台の全周囲に渡って細いヒビが地面から蔦がまとわりつくように生じている。つまり、結界器それ自体の…………。


「記録では最初にこのヒビが認識されたのは私の二代前だ。私が継いだ時でもこのランタンの高さ程度だった」


 ヒビは今は土台の半分に迫る。さっきの割れ目に至っては胸の高さに至っている。


 頭の中に警鐘が鳴り響く。目の前の魔術、最高位白魔術である結界器の仕組みなど全く理解できない。だが、魔力と術式と魔導金属という要素で構成されているのは俺達の拙いそれと一緒だ。土台である魔導金属がこれでは問題があるのはすぐに分かる。


 それこそ、水車の歯車にひびが入っているのを見るのと変わらないのではないか。


 一周回って、最初の大きな亀裂の前にもどった。反射的に上を見る。土台表面から発している赤い光が亀裂の位置で揺らいでいる。しかも、揺らぎに合わせて中央の白い光の柱が明滅しているのまで見て取れる。


 冷や汗が背筋を伝う。思わずすがるような目で相手を見た。王家は結界の管理者だ。そして、俺がここに入って来た時に王は何かをやっていた。


「王家が結界について知っていることは極めて限定されている。私にできることはわずかの調整だけだ」


 「王家の先祖も“猟士”だからね」という言葉が付け加えられる。


 繰り返す。結界はグランドギルドの“遺産”だ。三色の術式を合わせて魔脈の透明な魔力を用いる白い魔術の最高峰だ。天の太陽のごとくに仰ぎ見るだけの存在。いや、まぶしくて直視すらできない存在だ。そして、だからこそ数百年間都市を守り続けてきたのを当たり前だと思っていた。


 だが、その偉大な存在に、古びた道具のような劣化を見たなら。底知れぬ絶望が心にのしかかる。


 初歩的な白魔術すら使えない現在の俺達には決して手の届かないこの魔術装置に、リューゼリオンの全ての人間がその命をゆだねているのだ。


「あ、あとどれ……。あっいえ!!」

「今後どれほど結界が保たれるか。もちろん試算はある。七年前と比べれば劣化は進行しているが、その歩みはゆっくりだ。そうだな、五十年程度は持つかもしれない」


 五十年。それだけ持ってくれるのなら。下手したら俺は生きていない。そんな打算が頭をよぎる。


「ただし条件がある」

「じょ、条件……」


 頭はとっくに答えを出している。さっき王は七年前の出来事で結界の劣化は大きくなったといっていたのだ。火竜の魔力と同じ赤の術式の土台の位置に亀裂があるのも見た。


「今回の火竜襲来を結界の負担なしに乗り切れたらの話だ」

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