第38話 眠り姫と叶多の笑顔

 東京タワーのトップデッキ。

 叶多と白音は地上250mの展望台まで登ってきた。


「わーーー!! 高いーー!!」

「本日2回目だね」

 

 はわーと、一面ガラス張りの窓から東京の街を眺める白音。

 

「さっきのは下から見た感想で、今回のは上から見た感想です!」

「東京タワー、下から見るか、上から見るか」

「後ろを振り向いてみる!」

「シャフ度を意識せんでいい」


 視線を外に向ける。

 どこまでも広がる壮大な街並みは、思考を停止させる魔力があった。

 無数に集結したビルや家、その一つ一つが人間の手によって造られたのだと思うと、感慨深い。


 何十年も東京の発展を見守ってきたかと思うと、なんだか、素敵だなぁって”


 昨日、白音が言ったその言葉の意味がわかったような気がした。


「叶多くん叶多くん! 日野宮高校が見えますよ!」


 白音が指さす方向に、我らが母校が豆粒のように鎮座している。


「ちっちゃいな、母校」

「芋虫さんみたいで、可愛いです」

「どっから飛び出てきたその感想」

「なにがですか?」

「……いや」


 きょとりんと首を傾げられて、返答に詰まる。


「あ、スカイツリーも見えますよ!」

「ほんとだ。距離、意外と離れてるんだな」

「スカイツリーには行ったことあるんでしたっけ?」

「うん、小さい頃に。親と一緒に」

「ふむふむ、なるほど」


 言ってから白音は一拍置いた後、思案気に顎に手を添えてから叶多に尋ねた。


「叶多君の両親は、何をされている方なのですか?」


 こちらを真っ過ぐに見つめて。

 出来るだけ普通に。

 特に深い意味があるわけではない、といった声色で。

 

 ……ああ、そういえば言ってなかったっけな。


 まあでも別に知られてもいいかという、肩から荷物を下ろしたような感覚と共に答える。


「父親は、なんか会社やってて……母親はその秘書……だった」

「だった……?」


 一瞬の逡巡。


「死んだんだ、子供の時に……飛行機事故で」


 会話が途切れる。

 

 館内アナウンス。

 走り回る子供の声と、それを諌める母親の声。


 それらがやけに大きく聞こえる。


 もう何度も肌で感じた、微妙な空気。


「あの……えっと……」


 次に来る言葉は予想ができた。


「……ごめんなさい」


 もう何度も聞いた、お決まりのフレーズ。


「なんで謝るの」


 気にしてないとわかるように、声からシリアス成分を抜いて言う。


「ずっと前のことだし、とっくの昔に心の中で整理はついてる。だから全然、大丈夫」


 叶多の言葉に、白音は押し黙ったままだった。


 優しい彼女のことだ。

 おそらく、必要以上に感情を揺らしているのだろう。


 ……このタイミングで言うのはまずかったかな。

 

 後ろ頭を掻こうとした手を、誰かに掴まれた。

 顔をあげる。

 

「今はもう、一人じゃないですからね!」


 力の篭った声。

 強い意思を感じる。


 小さな手にぎゅっと握られる自分の手。

 温かい。

 

 離さないと言わんばかりに向けられた澄んだ瞳。

 逃れられない。


 そのアクションは、初めてだった。


 白音の予想外の行動に、今度はこっちの感情が掻き乱れる。

 嬉しいような、苦しいような、泣きたくなるような、でもやっぱり、嬉しいような。


「なんだそりゃ」


 かき乱された感情が紡いだ言葉は、意味を為していないもの。


「あー!」


 唐突に白音が声を上げた。

 目を見開き、口を手で抑え、表情を驚愕に染めている。


「始めて見ました」

「なにを?」

「叶多君が笑ったところ」

「……え?」


 一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 だって自分には縁がない表情だと思っていたし、それをわざわざ指摘されるシチュエーションも経験したこと無かったから。


「俺、笑ってた?」

「はい、もう、ばっちり」


 こくこくと頷く。

 かと思ったらばっと叶多の腕を掴み人差し指をぴんと立てて、


「も、もっかい! わんもあプリーズ!」

「いやいやいや無理無理無理」


 吹き出す冷や汗。

 心の中を暴れ回る羞恥。

 

「そもそも俺の笑顔なんて需要ないでしょ」

「そんなことないですよ!」


 それを捨てるなんてとんでもない!

 とか言ってそうな剣幕。

 

「可愛くて、優しくて、ずっと見ていたくなる笑顔でしたよ?」


 思考がショートするかと思った。

 熱い、顔が。


「過大評価が過ぎる」

「とんでもありません。少なくとも、そうですね……」


 んー、と考え込む仕草の後、ぱあっと表情をあラルクして、


「ここから見える景色以上に、心に残りました」


 100点をつけてもまだ足りない笑顔に、心臓がばかんと跳ねた。


 ……それはこっちのセリフだ。


 とは言えなかった。


「……それはこっちのセリフだ」

「えっ?」


 言ってしまっていた。


「あっ、いやっ、なんでもない!」


 慌てて誤魔化してから、白音に背を向ける。


 まったく、本当になんなんだ。

 最近、白音といると冷静さを欠いてしまう事が多い。


 自分が自分じゃないみたいだ。


 まだ熱を持った顔に手を当てて、叶多は大きく息を吐くのであった。

 

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