第39話 眠り姫と疲労

地上150mのメインデッキまで、叶多と白音は降りてきた。


「はわわわわ……下が……丸見え……」


 メインデッキには床がガラス張りになっている箇所がある。

 そこからは下が丸見えで、落ちたらジ・エンドまっしぐらな恐怖心を煽り立てていた。


「大丈夫か?」


 ガラス床の上で生まれたての子鹿のように足を振るわせる白音に声を掛ける。


「へ、平気です! こんなの、夜食前です」

「しっかり夕ご飯食べてるやん」

「ううぅ……叶多くぅん……」


 どうやらその場から動けなくなってしまったらしい。

 瞳をしっとり潤ませて、手を伸ばしてくる白音。


 その様子はなんというか、非常に庇護欲を掻き立てられた。

 やれやれと、叶多は白音の手を握る。


「あ、ありがとうございますっ……」

「ん」


 心底ホッとした様子の白音の手を引いて、ノーマルな床に足場を戻すと、


「あっ……」

「うお」


 白音の身体がぐらりと傾いて、叶多に寄り掛かった。

 唐突な体温と甘い匂い。

 軸にブレそうになって、叶多は慌てて足を踏ん張る。

 

「ご、ごめんなさい……腰が抜けちゃいまして」

「い、いや……」


 抱き留めた白音の体は想像以上に小さくて、華奢だった。

 思い切り抱き締めたら折れてしまいそう……って、なにを考えている。


 ブンブンと頭を振ってから、白音を解放する。

 心なしか、小さな耳がほんのり朱に染まっているように見えたのは、気のせいだろうか。


 それからは、地上150mから臨む東京の街並みを眺めたり、自販機で買ったコーヒーを飲んだりして、時間を過ごした。


「そろそろ降りますか」

「だな」


 時刻は3時過ぎ。

 自然な流れでそうなって、エレベーターに足を向けると。


「せっかくなので、帰りは階段で降りてみませんか?」


 白音が叶多の袖をちょいちょいと摘んで、階段のマークを指差した。


「下りならまあ、いいか」

「やった」


 両手をぎゅっと握って、ずっと欲しかったアクセサリーを買ってもらった子供みたいな笑顔を浮かべる白音。

 カロリーを大量に使う行為で喜ぶなんて不思議だなあと、我ながら無粋なことを考えつつ階段へ。


「わーっ、風、すごいですね」

「寒い寒い寒い寒い寒い」


 外に出て5秒で後悔した。 言葉の通り、寒すぎる。

 高度がある分、風がビュービュー吹き荒れていてたちまち身体の芯まで凍ってしまいそうだ。


 今ならまだ引き返せる。

 エレベーターでの降下を進言しようとすると、


「ささ、れっつらごーです!」

「ちょ、ま……」


 引き止める間もなく、白音はるんるんと軽い足取りで降りていった。

 どこからそんなパワーが出てくるんだと、ため息と共に後をついていく。

 

 東京タワーカラーらしく一面真っ赤な階段はとこどころメッキが剥がれていて、年季を感じさせた。

 時折足元がぎぃぎぃ音を立てて、そのまま抜けて真っ逆さまにならないかと心配になる。


「あ」


 2階分ほど降りてから、白音が思い出したように立ち止まり振り向いた。


「手」

「ん?」

「繋いだら、少しは温かいと思うんです」

「お、おう……?」


 差し出された手に自分の手を重ねる。

 本当だ、温かい。


「意外と大きいですよね、叶多くんの手」

「一応、生物学上では男らしいからな俺」

「なんですかそれ」


 くすくすと白音が口に手を当てて笑う。

 何がそんなに可笑しいのだろう。

 そのまま、白音と手を繋いで階段を降りていく。

 

 このクソ寒いなか階段を使おうなんて思考の観光客はいないらしく、地上まであと少しといった地点に来ても誰ともすれ違わなかった。 

 

 ふんふんと上機嫌な鼻歌とともにぴょこぴょこ揺れる銀髪を横目に足を動かしていると、


「あっ」

「おっと」


 前触れもなく、白音が前のめりになった。

 何もしなければそのままずっこけコース。


 慌てて、叶多は白音の手を握って自分の方に引き寄せた。


「大丈夫か?」

「ひゃああ……びっくりしました」

 

 バクバクと収まらない心臓を宥めるように、胸に手を当てる白音。


「ありがとうございます、助かりました」

「どういたしまして。なんかに躓いた?」

「いえ、ちょっとだけ立ちくらみを起こしたといいますか」

「……ふむ?」


 そこで初めて、白音の表情から力が抜けていることに気づいた。

 くっきり、とまではいかないが、疲労の色が見て取れる。

 

「大丈夫か?」

「ちょっと、はしゃぎすぎたのかもしれませんね。でも、平気ですっ」


 大仰なムキムキポーズ。

 心配をさせまいという心遣いから出たジェスチャーだろう。


「ゆっくり、自分のペースでいいから」

「あっ、はい……お気遣い、ありがとうございます」


 ぎゅう……と、再び白音が叶多の手を握る。

 今度は控え目ながらも、しっかりと。


 ……昨日、添い寝したはずだけどな。


 ガラス床で力なくバランスを崩した白音。

 先ほど、普通に階段を降りていたはずなのにこけそうになった白音。


 胸に違和感を燻らせながらも、尋ねるほど大きくはならず、流した。


 それからゆっくりと、二人は地上まで降りていった。

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