第4話

「それで、君は一体何者なんだ? 腕輪をつけていないようだが、この国の住民ではないんだろ?」


 ブレットは聞きながら、紅茶の入ったカップを少女の前に置く。液体の色はだいぶ薄い。

 しかし、彼女は一向に答える気配がない。それどころか、こちらを見る彼女の目は、警戒を強めるように鋭くなっていた。


「ここはどこなの?」

「俺の質問は無視か…… ここは、俺の家の地下にある隠し部屋だよ」

「私を捕まえてどうするつもり?」

「そうじゃない。イリニが君を助けてここまで連れてきてくれたんだ」

「ふん。私を動けないようにさせて、よくそんな事言えるわね」


 イリニとブレットは目を見合わせた。


「なあ、イリニ。これって笑うところなのか?」

「わからないけど…… とりあえず笑っておくか」


「はは」と乾いた笑いを二人でしてみたが、少女の表情が一層険しくなったので、すぐに元に戻した。

 腕を組んで、なんだか偉そうに構えている彼女。しかし、未だに角が天井から抜けず、身体が浮いたままの状態なのだ。ひどく間抜けな構図であった。


「早く私を解放して。話はそれからよ」

「よくこの状況で、そんな強気でいれるな。まあ、別に構わないけど……」


 イリニは少女の側まで寄ると、角をじっくりと眺めた。やはり、しっかりと頭に接合している。とても偽物のようには見えない。


「それじゃあ、失礼して」


 触ってみると、角は硬く冷たかった。


「痛い痛い痛い! 角、角折れるから! もうちょっと優しくして!」

「いや、だって、これ生半可な力じゃ抜けないし! 折れたらごめん! また新しいの生え変わるまで我慢してくれ!」

「生え変わらんし!」


 角に両手をかけ力一杯引っ張るが、だいぶ深くまで刺さっているらしく、手応えは薄い。


「それより、一つ聞きたいんだけど…… !」


 作業をしながら、イリニはさっきから気になっていた事を口にする。


「牢屋の天井に穴を空けてくれたのは、君なんだろ?」

「何それ、知らないわよ! あ、待って! 髪巻き込んでるから!」

「ん〜〜〜。ごめん!」

「ちょっと! 受け答え面倒になるな! お願いだから、髪は助けてあげて!」


 イリニは角と手の間に挟まった髪を取り除くと、今度はできるだけ先端部分を掴み、全体重をかけて引っ張る。すると、周囲の岩肌からきしみが上がった。もう少しだ。


「ていうか! さっきから私を太陽の民と一緒しないでよ! 私は月の民!」

「えっ?」


 その時、ちょうど角がぐらつき、一息に引き抜けた。「きゃっ」という短い悲鳴と共に、少女は盛大に地面に尻餅をつく。


「痛た…… 抜ける時は、そう言いなさいよ……」

「なあ、今なんて……」

「だから、私は月の民! あなたたちが魔王とか呼んでる人の娘! 父様の仇を討つために、私はここに来たの! 私の目的は、太陽の民をみんな倒すこと!」


 少女は尻をさすり涙目になりながらも、威嚇するように懸命に睨んでくる。その声調と表情。どちらからも真に迫るものが感じられた。

 彼女の突飛な発言に、またもやイリニとブレットは丸くなった目を合わせることになった。


「それは面白い冗談だな」


 ブレットが薄笑いを浮かべながら言う。


「私は本気よ!」

「月の民ーー 魔族はネクラの率いる部隊によって、二年以上前に掃討されただろ? そもそも、魔族は太陽の下では身体がドロドロに溶けるというのが通説だ」

「父様と私は別。少しの間なら、太陽の下でも活動できるの」


 月の民というのは、人類が魔族と呼称している種族の正式名称である。

 月の光を取り込む事によって、不可思議な力を使うことからこの名前がついた。魔族は彼らの害悪さが由来して呼ばれるようになった、いわば蔑称だ。今ではその呼び方が定着している。


 ブレットの言う通り、彼らは太陽の光を浴びると、数秒の内に死滅してしまう。日が天敵なのだ。

 実際に溶ける瞬間は見たことがないが。


「というか、魔族はもっと醜い格好をしてるはずだ。君はどう見ても…… まあ、人間に見えるかな」


 角と尻尾のことで、イリニの声は尻すぼみしてしまう。


 月の民は、この世界とは違う、冥界・タルタロスという常闇の空間を住処としている。それは地図に記載されていない、別次元の世界らしい。

 そして、夜になるとこちらの世界にやって来て、人を襲う化け物として語り継がれている。彼もその姿を見たことがあるが、やはり人間とはかけ離れたおぞましい容貌であった。


「少し混乱しているんだろう。ほら、紅茶でも飲んで、一回落ち着くんだ。いや、紅茶水と呼んだ方がいいか」

「くっ…… ! そんなに疑うなら、まずはあなたたちから倒してあげるわ!」


 少女は素早くイリニたちから距離を取ると、両手を胸の前で合わせた。すると、どこから出てきたのか、拳大の結晶が彼女の周りを浮遊し始めた。それは黒い光を発した。

 彼女の目は本気だ。


「なんだそれは…… !?」

「ブレット、下がっててくれ!」


 イリニはブレットをかばうようにして前に立ち、手を伸ばした。そして、体内に意識を集中させ、力の奔流を手のひらへと移動させていく。

 すると、そこから眩い輝きを放つ球体が現れた。


(さすがに殺す事はできない。相手の攻撃を相殺するんだ…… !)


 しかし、なぜか球体は短い明滅の後、霧散してしまう。


「あれ、虹陽術こうひじゅつが……」

「あれ、月祈術(げっきじゅつ)が……」


 イリニに被せるように呟いたのは、目の前の少女であった。


「な、なんで!? どうして反応してくれないの!?」


 少女は宙に浮かぶ黒い結晶をしきりに突いている。だが、それは左右に微動するだけで、それ以上の反応を見せない。

 そこへ一歩踏み出したのはブレットだった。


「君のその力、どういう事か説明してもらおう」

「えっと…… だから、これは……」


 さっきまでの威勢はどこへやら。少女はすっかり怖気付いた様子で後ずさっていく。

 その途中、ふいに彼女の身体が不自然に揺れた。そして、そのまま後ろに倒れていった。


「おい、大丈夫か!?」


 イリニは慌てて少女の側に寄って、容態を調べる。


「おそらく、疲労で倒れただけだろう」


 ブレットが遠目で診断する。


「そうか……」


 イリニは安堵の息を吐く。


「なあ、魔王の娘って……」

「わからない。だが、あの奇怪な能力。我々が使う虹陽術とは違うようにみえた。月祈術と言っていたようだが……」


 初めて聞く単語であった。

 それに、太陽の民が扱う虹陽術には、先ほどのような結晶は現れない。そのような形を一時的に作り出す事はできるが、少女の傍にはまだそれが浮いているのだ。そして、ちょんちょんと彼女にぶつかっている。まるで、倒れた彼女を労るかのような挙動であった。


 ブレットは部屋の隅に向かう。それから、そこでゴソゴソと何かを漁り、再びこちらに戻ってきた。片手に長い鉄剣を握って。


「ちょ、ちょっとブレット! 何をするつもりだ!?」

「何って、決まっているだろ? 殺すなら、今しかない」


 あっさりと物騒な事を言うので、イリニは困惑した。


「いやいや! まだ、この子が敵だって決まったわけじゃない! いくらなんでも殺すなんて!」

「彼女は俺たちを攻撃しようとした! 目を覚ましたら、今度こそ殺されるかもしれないんだぞ! それに、君は魔族に強い恨みがあるはずだ!」


 ブレットは唾を飛ばす勢いでまくし立てる。そして、目の前のイリニを無視して少女に近づいていった。このまま止めなければ、彼女は確実に殺される。

 イリニは慌てて彼の前に立ち塞がった。


「だめだ! この子は絶対ない殺させない!」

「なっ…… ! 子ども染みた事を言うな! 同情してる場合じゃないだろ! 俺たちの命がかかっているんだ!」

「そっちこそ! そんな簡単に人を殺すなんて、なに考えてるんだ! お前はそんな奴じゃなかっただろ!」


 ブレットの表情がほんの少しの間、苦々しいものに変わる。だが、すぐ後には、あの敵対的な顔に。


 しばし、両者にらみ合いが続く。

 こんな険しい表情をするブレットを、イリニは初めて見た。そこに二年前までの彼の面影はない。まるで別人だ。自分が不在の間に、こうも変わってしまうものなのか。


「父様……」


 小さなうめくような声。

 振り向いたが、少女は未だ目を閉じたままだ。よく見ると、その頬には一筋の涙が伝っていた。

 胸が詰まるような、切ない気持ちで一杯になる。


「なあ、ブレット。やっぱり考え直してーー」


 視線を戻すと、ちょうどこちらに向かって剣がふわりと飛んでくるところだった。


「うわっ」


 イリニは辛うじてそれをキャッチする。


「髪の毛、そんなに伸びていたら邪魔だろ? 切っておいた方が良い」


 ブレットは背を向けて言う。平素の、優しい声色。いや、少し優し過ぎる気がする。


「俺は上に戻るよ。誰かがこの家を訪れて来るかもしれない。素性がわかるまで、その子はちゃんと縛っておいてくれ」

「ぶ、ブレット…… ?」

「君だけは…… ずっと俺の知っているイリニでいてくれ」


 イリニは返答にきゅうした。梯子を上がっていくブレットは、心なしかぐったりしたように映った。

 

 剣の刃を伸び切った襟足えりあしに当てる。少し力を入れたら、地面に長い山吹色の髪が散らばった。

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