第2話

「処刑……」


 イリニはようやくその意味を咀嚼そしゃくした。


「そうか。俺、死ぬのか……」


 身体がガタガタ震え始めた。肌寒いからではない。むしろ、心臓が狂ったように暴れ始め、身体の芯から熱が込み上げてくるみたいだ。


「嫌だ、死にたくない」


 いても立ってもいられず、イリニは格子に近づいた。

 だが、今の彼にはどうすることもできない。太陽の光を断たれてから、かなりの月日が経過している。それは"現界"に生きる人々ーー 太陽の民にとって、致命的な状況なのだ。


「誰か! 誰かいませんか!?」


 イリニはガリガリになった手で鉄格子を掴み、前後に揺さぶろうとする。しかし、案の定それはしっかりと固定され、外れる様子は一向にない。


「看守のおじさん! 近くにいるんでしょ!? お願いします、助けてください! 俺は、俺は無実なんです! ネクラを殺そうとなんてしてない! あいつが勘違いをしてるだけなんです!」


 すると、あのぶっきらぼうな看守が颯爽さっそうと現れ、「長い付き合いで情が湧いちまったよ」と、照れ臭そうに鍵を開けてくれる。ということは、当然起こらなかった。 


「そんな…… どうしてなんだ、ネクラ…… お前は何でそんなに俺を恨んでるんだ……」


 格子を掴んだ手がずり落ちていき、イリニは地面に崩れ落ちる。涙が溢れ出してきた。

 今まで気丈にやっていけたのは、心のどこかで自分が解放される日を夢想していたからだ。だから、大人しく待っていた。だが、それが無情に打ち砕かれた今、どす黒い絶望が、毒が回るように全身を侵していった。


 彼は何を思ったのか、ふと手を握り合わせ、天井を上目に見つめた。


「太陽の神…… もしいるなら、俺を助けてください。お願いします。俺にチャンスを……」


 そんな神頼みをしてしまうほど、イリニは精神的に追い詰められていた。何でもいいから、心の拠り所が欲しかったのだ。

 だが、ちょうどその時、彼は何か異変を感じ取った。


「今、地面が揺れたような……」


 イリニは呆然と辺りを見渡す。しかし、特段室内に変化はない。


「気のせいか…… そうだよな。神様が個人をそんなほいほい助けてたらーー」


 言葉を遮るように、突然けたたましい爆音が、巨大な揺れを伴ってイリニの元に届いた。


「あぁぁぁぁぁぁぁ!」


 イリニはその音に負けないくらい大きな悲鳴を上げ、俊敏しゅんびんな身のこなしで牢内の隅っこに行くと、屈んで目を閉じた。

 音はいよいよ苛烈さを増していく。そして、ついにはすぐ近くで尋常じゃない轟音が、ほとんど絶え間なく響き渡った。


「死ぬ! 死んじゃう! 無理、死にたくない! 贅沢ぜいたく言ってごめんなさい、太陽の神!」


 必死に命乞いをする。前後関係から、イリニはこの揺れを太陽の神の怒りだと考えたのだ。

 だが、そんな地獄のような現象は、数十秒でピタリと止んだ。


「た、太陽の神…… ?」


 イリニは恐る恐る目を開ける。そして、目を見張った。

 低い天井にはいびつな形の穴がポッカリと空いているのだ。そこからは一筋の神々しい光が差し込んでいた。


「これは、陽光……」


 イリニはすっかり放心状態に陥っていた。まさに奇跡のような光景。この時ほど、神の存在を信じたことはない。


 しばらくしてようやく正気に戻った彼は、もつれる足をどうにか動かし、穴の方へと向かう。地面には大量の瓦礫がれきが落ちていて、時々足裏に鋭い痛みが走ったが、全く気にならない。


 穴の真下にたどり着く。

 どういう訳か、穴はほぼ真っ直ぐ地上に向かって伸びていた。外は真昼らしく、雲一つない青い下地に、強いオレンジ色が煌々こうこうと輝いている。

 イリニは思わず目を細めた。


「うっ。眩しい……」


 それから、イリニは本能的に腕を広げ、太陽の光を全身に受けた。

 体内の血が沸騰でもするかのように、ざわめき始める。少しの誇張なしに、生き返った心地だった。


 外では人々の怒号に混じって、断続的に耳を刺すような爆発音が起こっていた。


「一体何がどうなってるんだ……」


 ハッとして、イリニは後方の鉄格子を見やった。騒ぎを聞きつけて、誰かがこちらに駆けつけてくるような事はない。彼は再び天を仰ぐ。


「今なら逃げられる…… !」


 幸運にも、積み重なった瓦礫の山のおかげで、穴の入り口には簡単に手が届く。

 中は狭く、両手両足で踏ん張る方法で、何とか上に登ることができた。かなり筋肉が衰えていたから、かなりの重労働である事に変わりはないが。


 数分の苦戦の末、ようやく出口の縁に手がかかる。


「はあはあ……」


 イリニはやっとのことで地上へと這い出てきた。

 久方ぶりの外の空気だ。そこはあまり広くない一本道であった。人の往来は全くない。

 彼は一息つくと、現在地を確認すべく顔を上げてみた。


「え…… ?」


 目を擦ってから、もう一度見直す。しかし、視界に映るものは何も変わらない。


「嘘だろ…… ここ、ネクラ国だよな……」


 それは投獄された日に見た、発展途上のネクラ国とは全く別物であった。あの時は、大きな屋敷が一つと、周りに小さな家が点々としていただけ。とても国と呼べるものではなかった。


 それが今はどうだろう。

 国を囲むようにしてそびえていたのは、そこらの家の十倍以上はある高い壁であった。中心部に視線を移すと、他の家々とは一線を画する、城のような建造物。

 そして、そのすぐ近くには、全長が城の屋根よりも高い石像が異彩を放っていた。剣を掲げた少年のようだ。おそらくネクラをかたどったものだろう。


「デカ過ぎんだろ……」


 あまりの変化のしように、イリニは最初、知らぬ間に別の国に移送されたのかと思ったほどだ。

 しばらく呆気にとられていた彼の背後から、大きな影が、彼の周囲を塗り潰すようにぬっと伸びて来た。ギョッとして彼は真上を見る。


「えっ!? なんだあれ…… !?」


 空を悠々ゆうゆうと泳いでいたのは、二十メートルはあろうかという木造船だ。

 そして、その上に覆い被さるようにして、船よりひと回り大きな楕円形だえんけいの生物が浮いている。白いその両側には長いヒレが四つずつ付いていて、規則正しくゆっくりと動いている。

 これらの巨大な二つは、ロープのようなもので繋がれていた。明らかに人為的なものだ。


「初めて見た…… 新種…… ?」


 その珍奇な生物の姿は、やがて西の方でゆっくりと高度を下げていく。そこに停留するのかもしれない。

 それを目で追っていると、城の向こう側で煙が登っているのが見えた。騒ぎの震源はあそこに違いない。

 目を凝らしてみると、城の尖塔せんとうのところに、ぽつりと人影が見えた。遠すぎて、性別とか詳しい事はわからない。


「あれは、人? あの人が騒ぎを起こしたのか? いや、もしかしたら、あれが太陽の神…… ?」

「おいお前!」


 後ろから急に声がかかり、イリニはぴんと背筋を伸ばす。振り返ると、甲冑かっちゅうを身にまとった男が立っていた。


「あ、あの…… こんにちは……」

「な!? い、イリニ・エーナスだ! 大罪人イリニ・エーナスが脱走しているぞ!」

「いや、だがら、俺は罪なんて犯してないんですって!」

「誰か! 早く来てくれ!」


 男が騒ぎ立てると、続々と同じ格好をした人が集まってきた。交渉の余地などない。


「くそっ!」


 イリニは真横にあった狭い路地へ駆け込んだ。

 

「止まれ、大罪人!」

「絶対止まりせん! 大罪人じゃないですから!」


 余裕そうに言うが、実は体力の限界がすぐそこまで迫っていた。息を吸っても吸っても、胸の辺りが圧迫されるように苦しい。

 イリニの後ろでは、五、六人の男が後を追ってきていた。その差は徐々に狭まりつつある。


「このままじゃ…… !」


 その時、ほんの一瞬、彼の頭上を何かの影が横切っていった。大きな衝突音が響いたのは、それを認めた直後の事だ。


「今度はなんだ!?」


 イリニは走りながら顔を上げてみた。


 彼の進行方向上の通りに面した家の、急勾配きゅうこうばいの屋根。その一部分がくぼみ、辺りに煉瓦の破片が飛び散っている。

 そして、そこから黒いドレスみたいなものを着た人が転がってくるのがわかった。水色の髪をした、少女のようだ。


「あれは…… まさか、さっきの太陽の神!?」


 転がっていく方向から目算するに、太陽の神(仮)はちょうどイリニの行手に落下してくる。屋根の高さは、おそらく三メートルほど。 

 

(どうする。このまま行けば助けられそうだけど…… 彼女を運びながら、追手から逃げ切れる気がしない)


 困っている人を放っておけないたちのイリニでも、決心がつかない。しかし、この極限の状況下で、奇妙な現象が起こった。


 屋根に身体を打ちつけながら転がってくる少女。その痛々しい光景が、とある記憶と二重写しになった。ネクラに仲間を傷つけられ、殺された、あの日の記憶だ。

 すると、あの時感じた屈辱や不甲斐なさ。それらが一挙に、生々しく胸にこみ上げてきた。


「待っててくれ…… 絶対に助ける!」


 イリニの腹づもりは決まった。彼は最後の力を振り絞り、速度を上げていく。


「これなら、ギリギリ…… !」

 

 太陽の神の身体が、ついに屋根から放り出される。

 イリニは両腕を前に伸ばした。すると、ちょうどそこへ彼女の身体がのしかかってきた。


「よし! って、おっっっも!」


 思わず転びそうになる。落ちてきた高さも相まって、イリニの小枝のような手足は悲鳴を上げていた。


「お、重くないから…… !」


 か細い声のツッコミが入る。


「ご、ごめん! そういうつもりじゃ…… え?」


 イリニは少女の容姿をまじまじと見つめた。

 前頭部から二つの湾曲わんきょくした黒い角が伸びているのだ。そして、腰の辺りからは立派な尻尾。普通、人間にこんなものは生えない。


「な、何これ……」

「いたぞ! イリニ・エーナスだ! 捕らえろ!」


 前方から、複数の守衛。どうやら別部隊が先回りしていたらしい。

 イリニは手早く少女をおぶると、細道を右に曲がった。そこは先ほどよりも道幅が狭く、完全な一本道となっていた。


「お願いだから、前からは来ないでーー」

「こっちの路地にいるはずだ! 急いで取り囲め!」


 姿は見えないが、向こう側からも守衛たちのがなり声と、騒々しい足音が近づいてくる。


「嘘でしょ!? まさか、太陽の神パワーが弱まってるのか…… !?」


 イリニはその場で急停止する。

 前後左右に視線を巡らせるが、抜け道のようなものはない。後ろから守衛がやってくるのも時間の問題。完全に袋のネズミだ。


「やばい、このままじゃ……」

「おい、こっちだ!」


 どこからともなく男の声がした。

 キョロキョロ辺りを見回すと、目の前にあるボロ屋の二階の窓から、手だけがひらひらと振られているのがわかった。続いて、そこから一本のロープが垂れてくる。


「だ、誰だ!?」

「そんなのは後だ。これに捕まれ!」


 他に頼るものもない。イリニはすぐに片手と両足でロープにしがみついた。


「つ、掴んだ!」

「よし!」


 やにわにロープがピンと張られた。次の瞬間、イリニの身体は一気に窓の方へと飛んでいた。

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