水無瀬さんと朝の委員会活動


 いつもより早く鳴るようにセットしていた目覚まし時計がけたたましい音を上げ、意識の覚醒を促す。

 身体を預けているベッドから腕を伸ばし、テーブルの上に置いている目覚ましを切ろうと試みるも空を掻いて終わった。ベッドから起きなくては決して届かない場所に置いたのは2度寝防止のためだ。

 

「う、うぐぁぁぁああああああっ」


 カラカラになった喉から呻き声を放ちながらベッドから俺は身体を起こした。

 いつもと違う時間に起きた身体は昨晩早く床に就いたにも関わらず重たい。

 目覚ましも消したし今からでも2度寝を……いかんいかん。2度寝なんかしたら学校に遅れる自信がある。なんなら確信している。

 布団の誘惑を断つべく洗面所で勢いよく顔を洗う。

 暦的にはもう初夏を迎えているがまだそれほど暑さは感じない。


「行ってきます」


 トーストと弁当用に作って余ったおかずを朝ご飯にし、登校の身支度を済ませ家を出る間際に一言。

 当然だが1人暮らしなので返事がない。けど癖で言ってしまうのだ。

 去年から住んでいるアパートを出た俺は普段以上に往来が少ない道を歩いて駅に向かう。

 田舎駅のため電子改札はなく、駅員に定期を見せてホームに出たところで、ポツンと立つ女の子が目に止まった。俺と同じ高校の制服を着た立ちながら文庫本を読んでいる、最近なにかと話す機会があるクラスメイトだ。

 

「水無瀬……おはよう」


 特に躊躇もなく水無瀬に声をかける。一瞬詰まったのは声をかけたはいいモノの、何を言えばいいか考えてなかったためである。

 しかしこちらの心中など知らぬようで、水無瀬は小さな顔をこちらに向けて俺を捉えると朱唇を数度ばかし動かした。


「……ん、おはよ」


 お、何気に最初に声かけて1回目で反応してくれたのは初めてじょないか?


「やっぱ水無瀬もこの時間でいくつもりだったんだな」

「うん。……図書館行かなくちゃだから」


 それが今日、俺が普段より早く起き家を出た理由である。

 先週の委員会で説明されたように俺たち図書委員は交代で朝、昼休憩、放課後に口内の図書館の貸し出し手続きの当番を行わなくてはならない。

 俺は特にバイトや部活をやっているわけでもないので昼休みと放課後の返上くらいは別にいいんだが、この朝の時間帯だけはさすがに億劫になってしまう。

 ホームにある時計を見やれば電車が来るまで3分もない。携帯で時間潰しをする必要もなくボーっとしてる間にスピーカーからメロディが流れ、電車がやってきた。


「電車来たぞ」

「っ!」


 読書に没頭していた水無瀬に知らせるとビクッと白い頭が揺れた。相変わらずの本の虫っぷりである。

 まだ通勤、通学時間のピークには早く車内は閑散としていた。すぐ近くの空いた席に2人腰掛ける。

 電車が動き出しガタンゴトン……と、断続的に車体を動かしながら次の駅へと発信する。

 俺たちの間に会話はない。

 何か必要なことがあれば話しただろうが、特に目的もなく話すほどの仲でもなく、第一彼女は読書を再開していた。読書中に話しかけられて気分を害さない人間は中々いない。本の虫ならなおのこと。

 だから俺は水無瀬の隣に腰掛けはしたが彼女に絡むことなく……むしろ無関係であるかのように自身の携帯で暇を消化した。

 

『次はー――――』


 20分ほど電車に揺られていると、ようやく高校の最寄り駅に着く旨のアナウンスが流れた。

 当然のことながら水無瀬はアナウンスに気付くことなく俺が教えた。1度放っておいたらどこまで行くのか試してみたくなる。きっと終点まで行くんだろうなぁ……。

 駅から降りると少し歩かなくてはならない。

 この通学路も1番生徒が多い時間帯にはまるで1匹の蛇のように生徒で埋め尽くされる。歩道が狭いから前に歩くの遅い人がいたりすると抜かせなくて地獄だったりする。

 まだ往来の少ない通学路を進み高校の正門を潜った俺たちは、ホームルームとは真逆の方角にある図書館に向かった。


「おはようございます」

「……よ…………ます」

「はい、千種君に水無瀬さんおはよう。今日は2年のC組が当番なのね」


 朝の図書館は人入りが普段以上に少ない。

 中に入ると川原先生が笑って挨拶してくれた。先生に促されカウンターの中の椅子に腰を下ろす。

 

「それじゃ千種君は去年図書委員だったし、水無瀬さんも沢山本を借りてくれてるからもう知ってると思うけど、貸し出し手続きの方法を説明するわね」


 そういって川原先生はカウンターに置いてあるファイルを無造作に1冊取って中を開いた。


「まずこのファイルにある生徒のバーコードをそこにあるバーコードリーダーでピッ! ってして、次に借りる本の背表紙にあるバーコードを同じようにピッ! ってする。最後にテーブルに貼ってある『手続き終了』の所をピッ! ってして終わり。借りる本が何冊かあったら全部読みっとたあとでね」

「うん」

「わかりました」

「朝はショートホームルームの始まる10分前。9時10分前まで戸締りは私がやるけど、放課後の戸締りは図書委員のお仕事だから忘れないように」


 「はい」と2人首肯すると、先生はちょっと用があるらしくカウンター後ろにある〈準備室〉に消えていった。

 俺は座るときにカウンターにおいたリュックをカウンター下に移し、図書館全体を見渡す。

 奥の方の棚に何にいるかわからないが、ここから見える範囲でざっと7、8人。手前の3人は常連で、図書委員の仕事柄名前も知っている。

 他の生徒については知らない。けど辞書がまとめられたコーナーに集まっているのを見るに、大方授業で使うのに忘れてきたので図書館のを借りに来たのだろう。


「あの、貸し出しとコッチの返却頼める?」

「はい。何組ですか?」

「3Aだよ」


 手前にいた1人の男子生徒から頼まれた。

 去年から週に数回は利用している先輩なので名前と学年は頭に入っていた。

 先刻、先生に教えてもらった通りに3年生用のファイルを開きバーコードをスキャン、続いて本の背表紙に付けられたバーコード、最後にカウンターにある手続き完了バーコードをスキャンして完了。


「どうぞ。期限は2週間後です。それと、こっちのは返却しておきます」

「ありがとう」


 と、先輩は律儀に会釈して図書館を去って行った。

 あとはしれッと先生が教え忘れているカウンターに置かれた図書の返却手続きだ。

 こっちは貸し出しより簡単。カウンターにある〈返却〉と書かれたバーコード、対象の本、完了のバーコードをスキャンするだけ。

 ささっと終わらせると視線を感じた……というより、視界の端で水無瀬の身体がこちらを向いていることに気が付いた。


「ん?」


 見やれば水無瀬は駅からずっと持っている本を開きながらも、本と俺との間で視線を彷徨わせていた。本を読みたいんだが俺の方も気になる……といったところか。

 

「本読んでて良いぞ」

「でも……仕事」

「朝なんてロクに人こないし忙しくないさ。続き気になるんだろ? 区切りいい所まで読んだらいいよ」

「…………」


 コクリと頷く水無瀬はそれでもまだ、納得しているような感じではない。

 なにかいい手はないだろうか。

 考えているうちに俺まで黙ってしまう。水無瀬が判決を待つ被告人のようにただでさえ小柄な身体を縮こませる。

 ――――そうだ。


「じゃあ、読み終わったらその本の感想聞かせてくれないか?」

「ん……?」


 我ながら妙案だと思ったんだけど、目の前のクラスメイトには上手く伝わっていないっぽい。


「いやさ、この前教えてくれたラノベやつどれも当たりだったし、他にも水無瀬が読んでみて面白かった本教えてくれよ。で、その代わりに俺はこの時間の仕事を請け負う。で、どうだ?」


 コレは半分本音である。

 GW前、まだ水無瀬が図書委員でなかったときに勧められた数冊の本。アニメが面白くなかったから、とか好きなジャンルじゃないからと俺が読まず食わず嫌いしていた作品も含めて、どれも面白かった。

 感情の起伏に乏しい水無瀬が熱烈に推すのも頷けるほどに。

 と、同時に彼女の作品を見る目レビューがたしかなモノであることを思い知らされたのだ。

 だからその目の力にあやかろうという魂胆である。面白い作品を知らずに生きるのはいち本好きとして勿体なく思ってしまうからな。


「……ん、わかった。ありがとユウ」

「ああ。どういたしまして、っていうのは変か。俺も紹介してもらうんだし」


 なにはともあれ水無瀬は今度こそ納得してくれた。

 それから3人ほど授業で使うであろう辞書を借りた生徒の手続きを終え、気づけば始業開始の15分前。図書館には俺たち以外誰もいなかった。

 そろそろ出る準備を……と、カウンター下に置いていたリュックを取り出しながら、ふとかれこれ30分ほど静だった隣へと目を向けた。


「――――フフッ」


 楽しそうな顔してんなぁ。

 教室の中じゃたいがい無表情か仏頂面なのに。いや、下向いて本読んでるせいでわからないのか。何にせよ、その顔を知ってるやつがいたら友達くらい簡単に作れるだろう。

 頬をつり上げ微笑んだり、紅唇をヘの字に曲げて訝しんだり、たまに抑えきれない笑い声を漏らしたり……。

 まだ水無瀬ひよりというクラスメイトを知って1ヶ月と経たないが、世界1といっても過言ではないほど、楽しんで本を読む彼女の横顔を俺は気に入っていた。

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水無瀬さんが気になります。 夜々 @YAYAIMARU8810

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