水無瀬さんと委員会会議


 キーンコーンカーン—―と小学校の頃から聴きなれたチャイムが今日最後の授業の終了を告げる。

 

「あら、もう鳴っちゃたか…。じゃあ今日はここまで残りは宿題ってことで明日までに黒板の問題は解いておくこと。先生もう戻ってこないから帰りの会は無しでいいわ」


 今日最後の授業は担任の平坂先生が受け持つ数学。高校生になってから一段と強烈な睡魔に襲われることが多い6限の授業で、教師の音読を聞くだけの現文や現社より淡々と問題を解き続ける数学の方がオレ的にはありがたい。解けるかどうかは別として。

 平坂先生が黒板に書いた問題は教科書からの引用問題だから馬鹿正直に問題をアン書する必要もない。オレはノートに引用元である教科書のページ数だけメモして鞄に片づけた。

 早いは奴はもう帰りしたくを終え今まさに教室を出ようとしている。

 それを教室で女子の質問に答えていた平坂先生が声を張って止めた。


「あ! ちょっと待って! 1こ連絡あったんだった」


 既に教室から出ていた生徒を呼び戻して平坂先生は教卓の中から1枚のプリントを取り出す。


「今日は各委員会で会議があるからこの前、委員会に入った子はちゃんと出席してね。どこに集まれば良いか言うけど横の小黒板にもプリント張っておくから確認するように! 学級委員は――」


 それから平坂先生は学級委員から順に各委員会の集合教室を読み上げた。

 図書委員のオレが向かわなければいけないのは図書室。当然と言えば当然だ。

 委員会という言葉を聞いた時点で自分には関係ないと判断した生徒は既に教室から出ていて、残っているのは先生の話を聞いてる者、まだ帰り支度をしている者、特に残る理由もなく駄弁っている連中くらい。大方半数は教室から出ている。

 だから探している人物が教室に残っているのを確認することは容易かった。

 あの席なら先生の話が聞こえなかった、ということもないだろうしオレから声をかけるの必要もなさそうだ。

 別に一緒に行けってわけでもないし図書館の場所もわかってるし、話し掛けに行って変に噂になるのも面倒だ。自意識過剰かもしれんが万が一クラスの晒し者になるよりはずっといい。先に行っておこう。

 

「…………」

「うぉっ!? 驚かさないでくれよ」

「……? そんなつもり、ない……けど」


 机の中の教科書ノート類をリュックに入れ下がっていた頭を上げると目の前に水無瀬がいた。

 さっきまでいなかったのにいきなり目の前に現れるのは十分驚かしに来てると思うんだが……。


「委……会……図書室だって」

「お、おう。じゃあ行くか」


 あまりに声が小さくて周りの声にかき消されはしたが言いたいことはわかった。

 そそくさと帰り支度を終えて席を立つ。まさか水無瀬の方から話しかけに来るとは思わなかったな。

 コクッと頷いた水無瀬と共に教室を出る。

 図書室があるのは学校の東側に特別棟の1階。教室棟最西端のうちのクラスから赴くのには割と億劫になる距離だ。 

 しかも……。


「最悪だな……こりゃ」


 ぎっしりとすし詰め状態の廊下を前にオレは呻くように言った。

 丁度帰りの会を終えたところなのだろう。どの教室の前も生徒で溢れかえっていた。

 ゆっくりと階段に向う生徒もいればずっと駄弁っている生徒たちもいる。ホントどこでも駄弁ってるな!

 それに加えさっき平坂先生が言ってた委員会会議のために集まった下級生、上級生もいて人の流れは中々に動いていない。すぐに捌ける人数でもないし待つより流された方が良さそうだ。

 止まっていた歩を進め人海へと踏み入れる。

 フォーメーション……というほどでもないが、オレが前を歩いて後ろにトコトコと水無瀬がついてくる。こうでもしないと水無瀬は前に進まずボーっとしそうだから。

 ガヤガヤと犇めく人ごみはその騒がしさと比例することなく中々前に進まない。

 幸いなのは満員電車のようにおしくらまんじゅう状態になっていないことだが、横から入ってきた男子グループに水無瀬と分断させられてしまった。

 後ろを振り返るべきか……でも知らない奴に「うわっ、こいつ何なの」とか思われた時の精神的ダメージが酷い。ホント知らない人から向けられる嫌悪感ってキツイ。

 人混みが目指しているのは少し先にある階段。図書室のある特別棟にはどの階からもいけるし、人ごみから抜けたあと水無瀬と合流した方が楽そうだ。


 ――――グッ。


「うおっ!?」


 突然後ろに引かれた。

 どっかにリュックの紐がひっかかったのか? と思ったものの違うようでそれから後ろに引かれることなく流れに身を任せることができた。おおかた後ろのやつが誤ってリュックの紐を引っ張たのであろう。

 まもなくして下階への階段へと辿り着き、そこでオレは人海から抜け出した。

 後ろを振り返れば階段へと押し寄せる生徒の群れはまだまだ続き、ここからあのちっこいクラスメイトを探すのは『紅白ストライプ服の男を探せ!』レベルにムズイ。


「図書室で待っとけば水無瀬も来るか……」

「わたし、いるよ?」

「ヴォ!?」


 背後から超至近距離であったいらえに驚いて変な声が出てしまった。

 首だけ回すと、後ろにいたのだ……水無瀬が。


「え、水無瀬さっきまで後ろに――」

「ずっと……だけど?」


 何おかしなこと言ってんだ? とでも言いたげなキョトンとした顔で水無瀬は首を傾げる。

 そこでオレはあることに気付いた。

 手先までは見えないが水無瀬の右腕が不自然にオレのリュックへと伸ばされている。首だけでなく身体全体を水無瀬の方に向けると、彼女は何かに引っ張られるようにオレの背後に回り込んだ。


「もう手放していいと思うぞ」

「……ん」


 なんか水無瀬と顔を合わせる度に驚かされている気がする。




 ********




 2階から渡り廊下を使い特別棟にやって来たオレと水無瀬は、さっきまでとは打って変わって閑散とした廊下を進んでいく。

 これから委員会で使うため、今日は図書室が利用できない連絡もされてるはずだしほとんどの生徒は特別棟に用がない。

 静かな階段を下ってオレたちは図書室の扉を開いた。


「あら、千種君。今年も図書委員になってくれたのね」

「どうも」


 室内に入った瞬間声を掛けてくれたのは学校司書教諭の川原先生だ。

 身長は170手前くらいと、女性には高い方でいつもダボッとした服を着ているから体系はわかりにくいが手の細さ的にたぶん太くはない。

 近視のためかけている縁なし眼鏡をよく落とす人……というのが去年も図書委員をしていたオレの感想だ。

 

「千種君がいてくれて助かるわ。今年は翔子ちゃんもいなくて、2年生は初めて図書委員になる子ばっかなのよね」

「あー……翔子は今年こそ文化委員になるって言ってました」

「よくここで言ってたもんね。まぁ翔子ちゃん決めたことなら私は応援するしかないし、経験のある千種君がいてくれるなら後期の委員会も安心だわ」


 それは暗に3年生が受験で忙しくなる後期から、オレは委員会の進行を押し付け……任せられる羽目になるということだろうか。想像しただけで面倒臭い。


「それでもう1人の図書委員は今日は休みかしら?」

「え? 一緒に来たはずですけど……なにしてんだ」

「あらっ、あなた水無瀬ひよりさんよね」

「こ……にちは」


 何故かオレの後ろから顔を出して川原先生に挨拶する水無瀬。別に川原先生は強面でもなくむしろ話しやすいと思うんだが、警戒しているようだった。

 一方川原先生はそんなことは気にも留めず、むしろ学校1の本の虫である水無瀬が図書委員として現れたことに感激している。 


「水無瀬さん毎日図書室に来てくれてたから、新年度からは是非図書委員になって欲しかったの! 彼女、千種君が誘ってくれたの? 翔子ちゃんとも仲良かったけど案外ガールフレンド多いのね」

「案外ってなんですか。別にオレは誘ってないですし」

「じゃあ水無瀬さんが自主的に? うん、自分からチャレンジしてみることは良いことよ」


 そう自己完結した川原先生に促された木製の長テーブルには数人の生徒が既に席に着いていた。

 同じクラスの生徒は隣に座っておいてと言われているので、彼ら彼女らもそうあんだろう。男子と女子、男子男子、女子女子とクラスによってパターンはバラバラだが全体的に女子の方が多い。

 隣が空いている席に腰を下ろして待つこと数分。川原先生の「そろそろ始めましょうか」という言葉でオレは弄っていたスマホから顔を上げる。

 

「といっても今日はそんなにやることもないので、自己紹介と簡単な図書委員の仕事内容をお話するだけかな。委員長、副委員長も決めないといけないけど、委員長は3年生になってもらうことになってるから、今度の委員会で決めましょう。それじゃ3Aの子から順に立って名前と一言お願いします」


 と、3年から順に自己紹介が始められた。

 先生に言われた通り名前を言ってよろしくと言うだけの先輩もいれば、委員長になろうと思う、文化委員なりたかったけどジャンケンで負けたから、俺も体育委員でなれなくて余ったから――と話す先輩など、意識の高い先輩から仕方なくなったという先輩まで様々だった。

 滞りなく3年生の自己紹介が済み、流れるように2年A、B組の生徒も自己紹介を終えついに2C……オレの番となる。


「じゃあ次は千種君ね」

「あ、はい」


 もう先生が千種君といったから自己紹介しなくてもいいんじゃね、と思わなくもないがソレを言って他の生徒から不審がられるのは避けたい。

 オレは立ち上がりどこに視線を向ければいいか迷った結果、遠くの天井を見ながら口を開く。


「2Cの千種優です。……っと、去年も図書委員だったのでー……今年も頑張りたいです」


 一礼するとまばらな拍手が送られる。

 席に座り直すと自分の番が終わったことへの安堵ともうちょっと上手くできただろという後悔で頭がいっぱいになった。中途半端に口走らず、せめて何言うか考えとくべきだったなぁ……。

 なんて終わったことをいつまでも考えていても仕方ない。頭を切り替えなくては。

 オレは後続の生徒たちの自己紹介に耳を傾けようとするが、オレが腰を下ろしてから順番が進行していないことに今さらながら気づく。

 次って水無瀬のはずなんだが……。

 と、隣に視線を送ってみると水無瀬は座ったまま、膝の上に乗せた手で開いている文庫本へと一心不乱に集中していた。

 他の生徒たちからの角度じゃただ俯いているようにしか見えない。上級生や周りの生徒が声を掛けようとしているが名前がわからないようで渋っている。……オレに「君、同じクラスだろ」って視線を送りながら。

 

「水無瀬、次お前の番」


 抑えた声で水無瀬に言ってみるけど完全に本の世界に没入しているようで反応がない。あまり女子にベタベタ触るのも変な目で見られそうだが、今度は肩を揺すってみる。

 するとビクッと水無瀬は身体を一瞬震わせ、首だけこちらに向けた。


「何?」

「自己紹介の順番回ってきた」

「自己紹介?」


 そこから話聞いてなかったのかよ……。

 立って名乗ればいいだけだから、と手短に教えると水無瀬は持っていた文庫本に栞を挟み、起立する。

 そして、


「水無……より、です」


 と、ぼそぼそとひそやかな声で自己紹介を行い拍手も待たずに着席した。


「よろしくね、水無瀬ひよりさん」


 付け加えるように川原先生が一言。先生も聞こえなかったんだろうなぁ。

 なんてハプニング……というには大袈裟であるが図書委員全員の自己紹介を終えると、川原先生はカウンターから持ってきた車輪付きのホワイトボードに幾つかの事項を書いていく。


「図書委員の仕事は大きく分けて3つ。まずみんなが図書委員といえば! で1番思いつく図書の貸し出し、返却手続き。朝、昼休憩、放課後の午後6時までの3回。ローテーションは予め私の方で決めてるけど、それぞれ部活とかアルバイトもあると思うのでペア、クラス間で代行してもらっても構いません」


 部活にアルバイトね……。

 中学と比べたら身体もできてるだろうし練習環境も良いから部活に力を入れる生徒も多いだろう。高校からは一般的にバイトも雇ってくれるようになるから、社会経験もとい小遣い稼ぎのためにバイトを始める生徒もいるはずだ。

 まぁ、単に面倒だからとバックレる事例もある訳だが。

 1年の頃一緒に図書委員になった翔子に面倒だからと全部押し付けられたのを思い出すと、自然と口角が上がった。Mっ気ではなく自虐的な意味で……。

 

「私もいるし各回1人いれば十分だけど、慣れるまでは2人でやった方が楽かもね。それで2つ目は学期末の大掃除。それぞれのクラスでもいつもと違う掃除場所が割り振られるだろうけど、図書委員のみんなは図書室の掃除に来てください。3つ目は春休み、夏休み、冬休みに学校に来てもらって図書整理を手伝ってもらいます」


 先生が説明すると、3年生の方から「えー……」と落胆の声が出てきた。

 しかし川原先生はその反応をよきしていたように声が上がった生徒にフフッと笑みを浮かべ続ける。


「大きな休み中に傷んで読めなくなった本と新本の入荷を行いたいの。これって凄いことなのよ? この高校は他の学校より図書室の設備に凄く力を入れてくれてて、学期ごとに図書室の中身が変わるの」

「それって俺たちが面倒くさいだけじゃないっすかー」

「でも頑張ってくれてる図書委員には特権があるのよ?」

「特権?」

「そう。入荷する本の何冊かは図書委員の希望が通されるっていうね」

「マジっすか!?」

「マジマジ。実際そっちの本棚にある漫画とかライトノベルは図書委員になった子たちの希望よ。さすがにHなグラビア写真集とかは駄目だけどね」


 実例を出すとさっきまでのかったるそうな生徒たちの目も男女関係なく変わる。


「それって週刊誌とかもいいんですか?」

「大丈夫なはずよ。その代わり、今置いてる週刊誌で貸し出し数が少ないものは止めることになるけど、みんなが頑張れば学校側も答えてくれるわ」


 あとは秋の文化祭やビブリオバトルとかイベントの準備もあるけど、そっちは具体的に企画ができたら連絡します。と先生は付け足す。


「望んでなったにせよ、望まずになったにせよ、せっかく図書委員になったんだもの。みんなの楽しい高校生活の思い出の1つにしましょう」


 と、2年になって最初の委員会会議は締めくくられた。


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