01-15. 誰よりも疾く

 青い空を白き少女が舞う。

 2つに編んだ金糸の髪を棚引かせ、誰よりも疾くとひた走る。

 身を捩じ切ろうとする加圧に歯を喰み耐え、息を切らせて空翔ける。


 必死だ。

 小さな少女に出来るのは、己の命を捧ぐ事だけ。

 他の要因は、いくらでも代用できる些末な問題だ。

 実際、昨日までは金銭を積んで解決できた。


 だが、この空では通じない。

 総計数時間の飛翔だが、否が応でも気付かされた。


 蒼穹の舞台に登れるのは、風の妖精だけだ。

 人のしがらみは持ち込めない。


 空を飛ぶ。

 事物が純粋になった時、真理は現れる。


 ここは人間の住処ではない。


 光速を超え、慣性を支配し、銀河を分かつほどの文明を築いても、人は大地から離れられなかった。


 空を舞うのに代償を必要とした。


 単純な贄だ。

 少女たちは人では無く、妖精でなければならない。


 嵐の詩が詠う風。

 何よりも誰よりも、疾い風でなれけばならない。


 この試練だけは自分が超えるべきもの。

 他の何にも取り替えることができない。


 願い抱く少女は必死に飛んだ。懸命に努めた。


 何人かの風は、翔ける少女を同類と認めてくれた。


 少女は己の未熟さを知っている。

 自らが風の妖精で居続けるには、まだ足りない。

 寧ろ削ぎ落とすべき部位が多く残っている。


 それを、捧げる。

 風となるために切り落とす。


 切り離して気がついた。

 それは命だった。


 迷わずくべる。感傷に浸る刹那さえ惜しい。

 削ぎ取った命を燃やして、前方の風に追いつく。抜き去る。


 抜かれたものは反撃してくるが、前後の挟み撃ちに敵わず順位を落とす。


 即席の相方だったが、彼女は非常に優れていた。

 何振り構わない自分に、汗一つ流さずついてきている

 底知れぬ実力に恐怖を覚えるが、まだその時ではない。


 先にやるべきことがある。


 次の目標を定め、再び少女は命を燃やし捧げる。

 少女は一陣の風となって大空を飛翔する。



 命を切り捨てる飛び方に、観覧席や中継先の一部で悲鳴が上がる。

 誰から見ても悲愴な空舞いに息を呑む。


 白いAFの新人は、信じられない速度で飛翔している。

 本グランプリのトップレコードすら出した。


 無茶苦茶で出鱈目、驚異的な速さだ。

 アエロAフォーミュラFの範疇を超えている。

 エアリエルに掛かる負荷は、想像だに出来ない。


 それでも白い新星は速度を落とすこと無く、見る間に順位を上げ中段に食らいつく。


 信じられなかった。

 グランドピットが騒然となる。

 一人の少女に注目する。


 予選を辛うじて潜り抜けた新参。

 練習飛行で非常識にも無差別照準をした無頼の者。

 礼儀を知らない無知の子供。

 知名度がない。

 実績がない。

 応援するフォロワーもいない。

 全てがゼロにまみれた持たざる者。

 そのはずだ。


 だからこそ、命存在全てを掛けて飛んでいるのだと、どれだけの人間が見知ったのだろうか。



 地上基地グランドピット。チーム・マッハマンの27番ガレージ。

 管制機材でモニターしているラフィーのバイタルゲージが、目に見えて落ちてゆく。

 心拍数は限界まで上り詰め、呼吸も途絶えだした。


 まだ小さな身体に、これ以上の負荷は黙認できない。


 止めるべきだ。

 理性が訴えてくる。


 直人の指が通信コールのボタンに伸びては、戻る。

 迷いを現すように、何度か行き来する。


 そんな弟に翔子がそっと囁く。


「信じてあげなよ。お嬢様と、その覚悟をね。

 なによりアレは直人くんが作ったんでしょ」


「わかっている。

 ……解っているさ」


 苦い汁を啜る表情で直人が呟く。

 かつての姉と似た状況なのだから、よく解っている。


 昔と違うのは、あの時の姉よりラフィーの方が年少ということ。

 正規の訓練を受けていない素人だということ。

 そして贈り物を賜っているとは限らないことだ。


 止めるべき警鐘の理由を、ラフィーの為との矛盾で塗り潰す。

 これは他ならぬ彼女が勝つために望んだ嵐なのだと、自分に言い聞かせる。


 グラビリティサーフボードは問題なく稼働している。

 ラフィーの快進撃を支えている。


 これほど嵌まるとは思ってもいなかった。

 研究者として高揚している自分を誤魔化せない。

 直人の口元が歪む原因に、自己嫌悪の苦味もあった。


 ラフィーの決意を甘く見ていたのは自分の方だ。

 出会いに感じたのはちょっとした懐かしさで、研究試験を並列する打算もあった。


 ラボのメンバーでAFをメンテナンスして、姉にコーチングを頼めば、それなりの成績を出せると思っていた。

 優勝は出来ずとも、レースに参加する意味を与えられると勘違いしていた。


『わたしは、一番にならなくちゃいけないの!』


 相手の信念を否定して、悟したつもりになっていた。


『今日のレースで勝つのは、このわたし。

 頂点への気概なくして、勝利はないのよ!』


 少女は本気だった。

 人を見る目がなく矮小な自分に恥ずかしさすら覚える。


 一方で直人の気落ちを知りもせず、元康が持ち込みの端末を十指で弾きながら別の悲鳴を叫ぶ。


「三河屋宛ての問い合わせが殺到してるっす。

 こっちの情報を探りたいのか、裏表関係なくアクセスされてるっす」


 ジョージも元康の手伝いで情報収集に奔走していた。


「さすが集合知の有象無象だ。

 もうガブリールの曾孫までバレたぞ。

 本名を使っていると、身元が割れやすいことこの上ないな。

 ついでに嬉しい情報として遺伝子鑑定が出た。

 お嬢様はマジで天空の乙女アプサラスの血縁だとさ。

 ここ一番のホットな話題だからプライバシーが侵害されまくりだぞ」


「アルス・ノヴァの製造会社と、前のクルー名簿まで揃ったっす。

 これ、大学や研究室は大丈夫なんすか?」


 直人は渋面のまま、そっけなく言う。


「昨日のうちに教授へは連絡したんだ。

 F衛星の方は心配無用だろ」


 仲間内でジョージだけがからからと笑う。


「西3番衛星フランケンのセキュリティを突破できたら真性の天才だぜ。

 内部犯だとしても、逆に足が付きやすいしな。

 仮に研究室のメインフレームに侵入しようものなら、俺がオービタルリングでストリーキングしてやるよ」


「ジョージの裸なんて心底嫌っす。目を潰したほうがましっす」


「ふっふっふ。嫌がられてこその罰ゲームだ。

 エスメカランの軌道上を全裸で駆け抜ける。

 惑星全ての人々の頭上で曝される俺の玉肌。

 ああ、なんだか想像だけで興奮してきたっ!」


「鎮まれ沈め」


 ジュネルフの右フックがジョージの顎を砕く。


「爆沈っ!」


 白目を剥き意識を沈めるジョージ。


 アルス・ノヴァの管制を担当していたジュネルフが、直人に話しかける。


「ちょっといいか?

 データを読み解く限りには、Gパルスドライブの臨界が近くなっている気がする。

 確かめてみてくれ」


「設計上はレース中に落ちることはないはずだけど……っと」


 身を乗り出してデータを見た直人が、いっそう渋い顔になった。


「なるほど、まずいな。これは悪い兆候だ。

 今の状態で攻撃が直撃したら、減衰後の再起動ができなくなる可能性もある。

 お嬢様の手荒い扱いに、一号機はよく耐えてくれたと言うべきだな」


「これだけ目立っては、周囲もグラビリティサーフボードに狙いを絞ってくるだろう。

 レースが終わりまでに被弾無しとは楽観が過ぎる。

 その場合は、どう対応する?」


 二人の後ろで翔子が拳を突き上げにやりと笑う。


「それならプランBに変更ね。

 プランBの内容はどうなっているの?」


「今のデータからして、できればやりたくないんだよなぁ」


 プランBを実行すべきかどうか、直人は思案する。


「え?

 ここは『そんなものは無い』って言うところじゃないの?」


「テスト運用なんだから次善の対策を考えておくのは当然だろ」


 弟の冷たい返答に、翔子は振り上げた拳の下し場所に困った。

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