01-11. 本戦前の練習飛行

 第84回イーストEエンドEグランプリGP


 開催地は、観光惑星エスメカランの東経123度に位置するネオグリーンランド島。

 その北東に地上基地グランドピットガレージが築かれている。


 ネオグリーンランド島は、エスメカランで二番目に大きな海上面積を持つ島だ。


 近くに東三番C衛星カーククリフと繋がった軌道エレベーター海上基地があり、惑星外からのアクセスも容易である。


 南の都心部は惑星内第四位の経済規模を誇り、一大都市となっている。

 開発された都会の南部に比べて、北部は観光資源として多くの土地が自然のまま残されていた。


 唯一の例外がASFの地上基地だ。


 グランドピットガレージを中心に、チームクルーたち宿泊場所や、観戦客用の娯楽施設などが集まっている。

 その様を地図で見ると、緑の絨毯に穴が空いているように見える。

 まさにピット穴のスポット場所だった。


 ネオグリーンランド島の現地時間午前8時。

 空中に浮かぶコースマーカーの設置位置が確認され、EEGPサーキットが開放された。


 これより数時間、本戦前の練習飛行が許可されている。

 最後の調整として飛ぶ者もいれば、本レースまで沈黙を通すチームもある。


 様々なものが即席チームである直人たちは、当然としてテスト飛行を選択していた。

 なにはともあれ一晩かけたメンテナンスの結果を評価しなくてはならない。


 金髪ツインテールのご令嬢ラフィー・ハイルトン・マッハマンがレース用のレオタードに着替えてトランスポーターから出てくる。


 真っ直ぐに自機であるRHF-04b アルス・ノヴァのセッティングラックに向かい、マシンドレスを装着する。

 サイズフィットを行ったアルス・ノヴァを、直人と翔子がラックごとガレージの外にスライドさせる。


 青空の下に出たところで、直人はアエロAフォーミュラFとセッティングラックの固定を解除した。

 アルス・ノヴァは自由になった腕で、ラックに飾られている大型ライフルとグラビティサーフボードを装備する。

 マルチライフルは腕を背中廻して背部ハードポイントに固定。

 大盾にも見えるボードを両腕で挟むように持つ。

 スラスターが輝き、白いAFがゆっくりと上昇を開始する。


「ラフィー・ハイルトン・マッハマン。

 アルス・ノヴァ。

 出るわ!」


 小さなエアリエルがサーキットインを宣言。

 高度が増すにつれて、アルス・ノヴァのパルスリンクドライブが輝きを強くしてゆく。


 昨日とは見違える程スムーズに加速しながら空へと昇る。


 蒼穹へと向かうラフィーに通信が入る。

 二代目天空の乙女アプサラスアマノカケルこと新垣翔子からだ。


『そう、それよ。お嬢様。

 レコーダーで見るより、やれているじゃない。

 離陸の基本は初めちょろちょろ、中ぱっぱ。

 格好付けて飛び出さなくてもいいの。

 いきなりドライブを吹かさないから、機体バランスも安定するでしょ』


「このAFは本当に昨日と同じ機体なの?

 とても素直に動くわ」


『それはリミ……っこほん。

 操縦系統をエアリエルに合わせたのだから当然よ』


 翔子が咳き払いする後ろで、直人たちは安堵の息を吐いた。 

 昨晩のメンテナスにはリミッターの調整も含まれていた。

 突発で設定した出力制限と操縦感度の絞りを、解析したドライブレコーダーを元に最適化したのだ。

 設定がうまく反映されていることに、ピットクルーたちは小さくサムズアップしあう。


 飛翔するラフィーが明るく笑う。


「このままゴールまでいけそうね」


 しかし、いかめしい顔付きになった翔子が冷水のような言葉を浴びせかける。


『いいえ。今のままじゃ遅すぎる。

 コースが空いているから気にならないけど、他のエアリエルが出てきたら進路妨害になる。

 負ける以前に、サーキット退去を言い渡される遅さよ』


「なっ……、そんなわけが」

『こうして穏やかにお喋りする余裕があることが、最初の問題よ。

 お嬢様は加速や旋回の負荷軽減にイナーシャルコントローラーを使い過ぎなの。

 使っていいのは小さな流体操作、視界と呼吸確保の顔周りだけよ。

 他の電力はイオンドライブにまわして、加重は身体で受けとめなさい』


「わたしに中空で潰れろっていうの!?」


『あたしたちが飛ぶ空は、そういう場所よ。

 まさかあなたは速さを目指すのではなく、疲れない飛び方を目標にしているの?

 サーキットの平均周回タイムを知らないわけじゃないでしょ。

 自分がどれぐらいギリギリで予選を抜けたのかを忘れるな』


 人が変わったような翔子の厳しい言葉は続く。


『あなた、さっき言ったわよね。

 今の機体は扱いやすいって。

 誰がなんのためにアルス・ノヴァをそうセッティングしたのかしら』


 唇を噛み締めてラフィーが答える。


「……クルーたちが、レースに勝つため」


『その通りよ。

 ピットクルーが一晩掛けて、本戦で通用するレベルにまで仕上げてくれた。

 なのに肝心のエアリエルがのうのうとドンガメ飛びしていては、努力が水疱に帰ってしまうわ』


「だれが亀ですって!」


『あなたのことよ。

 一抹の苦労さえ知らない箱入りのお嬢様』


「ここまでだって楽だったことは一つもないわ!

 言い掛かりはやめて!」


『だったら、今回の障害も乗り越えてみせなさい』


 ラフィーの叫びに翔子は微塵も揺るがない。


『なにも死ねと言ってはいないわ。

 今度はあなたが気を張る番なだけ。

 喋っている暇があるなら、少しでも速く飛ぶことね。

 それともグランプリへの参加で満足して、ここで終わりにするの?』


 怒りで無言となったラフィーが、グラビティサーフボードの上に乗った。

 思考制御でコンソールを目の前に映し出し、イナーシャルコントロールを手動に落とす。

 言われた通りに慣性制御は顔面にのみ残して、コンソールを閉じた。


 ラフィーは一呼吸だけ間を取る。


 心を決めてサーフボードを踏み込むと、サイドウィングが展開して上空への急降下を開始する。


「くぅっ……」


 加速に呻き声が漏れ出る。

 予選の時とは襲いかかる圧力が違う。

 悲鳴を上げる隙さえない。

 慣性制御機構を極力抑えた増速に、肺と胃が潰され息苦しさと吐き気が襲いかかってくるが必死に飲み込む。


 短いアラート音。

 コースマーカーが近づいている知らせだ。


 マーカーを視界の隅に捉えて、アルス・ノヴァ本体のスラスターを吹かし進路を曲げる。


 今度は三次元の捻れがラフィーの身体を締め付けたが、これに耐える。


 エアリエルの決意へ応えて、アルス・ノヴァが理想のコースラインを飛翔した。


『上出来、とはとても言わないわ。

 それが出来て当然の場所にいることを自覚しなさい』


 叱咤が聞こえるが、ラフィーに言い返す余裕はない。


 すぐに次のコースマーカーへの加速が指示される。


 いつの間にか止まっていた呼吸を一回だけ継ぎ足して、Gパルスドライブを回転させ飛翔する。

 コーナーに入ると再び身体が絞り拗じられる。



 これを何度耐えればいけないのかと疑念が湧くが、答えが永続だということを思い出し気落ちしそうになる。


 意欲を失いかけたラフィーは、どうしてASFに参加したのか自問する。

 浮き上がったのは胸の奥にしまった約束だ。


 彼女と一緒に空を飛ぶ。


 しかしそれは、決して叶わない夢だった。

 約束の前提はすでに欠け落ち、どうやっても完成には至らない。


 追い打ちに、約束を奪う存在を聞きつけた。

 その相手は確実に迫っており、今を逃せば立ち向かうことさえ出来なくなる。


 だからこそ。

 だからこそだ。


 自分が止まるわけにはいかない。

 他でもない自分こそが証明しなければならない。


 心が、情念が燃える。

 熱を取り戻した血が身体に通い力となる。


 諦めてなんかやるものか!


 自分に知識も技量も無いことは承知している。

 元手も家のものだ。自身で用意したわけではない。


 だが、幸運にもチャンスは途切れなかった。

 細く見失いそうになる糸のような道筋だが、ラフィーが目指す場所へと続いていた。


 最初の偶然は、昔屋敷のどこかで見つけたRHFシリーズの設計図だった。

 このハイエンド機の設計図は曾祖母の形見だ。

 朧気おぼろげな記憶を頼りにして、迷宮に近い倉庫から探し当てることができた。


 データには工廠への連絡先も記されていた。

 次にアルス・ノヴァ製造の工程で秘密の協力者が出来た。

 イーストエンドグランプリに出場するスポット枠の確保までは、協力者が手伝ってくれた。


 しかし、いざ出場となっても躓いてばかりだった。


 自分はAFを飛ばすだけで手一杯。

 追い詰められて混乱に陥った。


 アルス・ノヴァは本当に現存一機分しか作っていない。予備や保守部品といった考えすら思い至らなかった。


 苦心して集めたチームスタッフたちと衝突した時には、泣きそうになった。


 癇癪を起こしてしまいチームが解散した時には、この世の終わりかと内心嘆いた。


 涙を堪えて立っていると謎の商人と出会った。

 話をしてみると、謎の商人は魔法使いだった。


 ピットクルーの代わりを勤めるばかりか、不可思議な道具を持ち出して、ラフィーを空へと戻してくれた。


 更に魔法使いは、とんでもない呪文を唱えた。


 世界に二人しかいない天空の乙女アプサラス

 初代である亡くなった曾祖母の後継者。二代目アプサラス勝利の魔女ライトキャスターアマノカケルを自陣に召喚したのだ。


 勝利の魔女が師事してくれるなんて、もう奇跡としか言い様がなかった。


 この幸運を逃すわけにはいかない。


 サーキットの先を睨み、少女が一人飛翔する。

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