第10話 王都から来た男




「お父様、私ついにコメットを出せるようになったのです」

「コメットがなんのことかわからないが、おめでとうアカリア」


 キース様に造ってもらった小さめの水槽を手に感極まる私を、お父様はとりあえず祝福してくれた。

 水槽の中には、ついさっき出せるようになったコメットがひらひらと吹き流し尾を優雅にひらめかせて泳いでいる。

 水槽の掃除をして水を換えたらレベルが上がったのだけれど、そんなことでレベルが上がっていいのかしら。

 それでレベルが上がるというなら、日本全国の小学校で生き物係達がレベルマックスなはずだ。


「あ、朱文錦も出せるようになったのでした」


 まだ出したことがなかった種類の金魚をお父様の目の前でぽんっと出してみせた。

 何もない空中に現れた朱文錦がぽちゃっとコメットの水槽に落ちる。


「ほう、これは色が混じっているんだね」


 お父様が興味深そうに紅白のコメットと黒と茶の混じる朱文錦を眺めた。

 今までは赤い金魚か黒い出目金しか出していなかったから、お父様が二色や三色の金魚を目にするのは初めてなのだ。


「私、コメットが好きなのです。体は細いのに尾がぶわーっと広がっていて優雅で」

「私はこちらの黒の混じった方が好きだね」


 お父様は朱文錦の方が好みだそうだ。黒い出目金を気に入っていたし、赤より落ち着いた色の金魚の方がお好きなのね。

 後でキース様にもどれが一番好きか聞いてみようかしら。


「そう言えば、キースお兄様は?」

「剣の稽古をしてくると言っていたよ。また賊が忍び込んだ時にアカリアを守るために鍛えるそうだ」


 賊、と言われて、私はあの男の子を思い出した。

 お父様とキース様は忍び込んだのが小さな男の子だとは知らない。ただの子供の悪戯だから心配しないでと言いたいが、平民の子供に屋敷に忍び込まれたなどという事実を知ったら男爵と次期男爵として見過ごすわけにはいかなくなってしまう。

 やはり何も言わない方がいいだろう。


「私、呼んできますわ」


 中庭で剣の稽古をしているキース様の元へ行き声をかけた。


「キースお兄様、お茶にしましょう」

「ああ」


 汗を拭ったキース様と共に家の中に戻ろうと並んで歩いていると、一頭の馬車がこちらへ向かってくるのが見えた。

 黒塗りで立派な馬車だが、家紋が入っていないので貴族のものではない。その馬車が、どうやら我が家へ向かっている。

 はて、お客が来るような予定はないけれど、と思いながら、玄関前に立って馬車が入ってくるのを待った。

 やはり目的地は我が家だったらしく、馬車は敷地内に入ってきて私達の見ている前で停まった。


 馬車から降りてきたのは二十代半ばくらいの若い、けれどもやけに威圧感のある商人風の男だった。


「失礼。私はジョン・ミッセルと申します。王都から来ました。先触れもなく無礼は承知のことながら、ゴールドフィッシュ男爵にお会いしたい」


 王都からやってきたという男は笑みを浮かべてキース様に語りかけたが、目つきといい何かを含んだ声音といい、なんとも油断ならない。


「事前に報せもなく男爵に面会しようとは、ゴールドフィッシュ家を侮辱しているのか?」


 キース様が後ろ手に私を庇いながら男を詰問する。


「それとも、ミッセル商会は貴族への礼儀を知らないのか」

「お怒りはごもっとも。なれど、私のような弱小商会の主は素早く動くことしか能がありませんもので」


 ミッセル商会の主は言葉だけは丁寧に、だけど一歩も引かぬという意志を押し出して言った。


「是非、見せていただきだいのです。ゴールドフィッシュ家の金魚を」





 ***



 なんとまあ。想像以上に商人の動きが素早かったわ。

 お披露目からまだ三日しか経っていないのに、もう金魚の存在を知って動き出したとは。


「我が商会はロブスター子爵家と少々取引をしておりまして、その縁で珍しい魚の話を耳にし、矢も盾もたまらず飛んできてしまった次第です」

「なるほど」


 ミッセル氏の説明に、お父様が鷹揚に頷く。

 お父様とミッセル氏がテーブルを挟んで向かい合っており、キース様は少し離れたソファに座ってミッセル氏を睨んでいる。お茶を運んできた私はそのままキース様の隣に腰掛けた。


「ミッセル商会の主よ。望むとあらば金魚を見せても構わぬ。だが、一つ条件がある」


 お父様が声に力を込めた。

 お父様ってば、普段はどちらかというとふにゃふにゃしているのに、ミッセル氏と相対していると威厳がすごいわ。

 これが貴族というものなのね。ミッセル氏だって礼服を着れば貴族と見まごうばかりの美丈夫なのだけれど、粗末な服を着ていてもお父様から発される空気がはっきりとミッセル氏との間を隔てている。


「金魚の出所を尋ねられても私は答えぬ。それを探ることも許さん」


 ミッセル氏はにぃぃっと口角を持ち上げた。


「かしこまりました。しかし、恐れながら、それは良くありませんな」

「何?」

「場所は秘密、それは当然でございます。私も探ろうとは思いませぬ。ゴールドフィッシュ家のものはゴールドフィッシュ家のもの。私は商人であり、盗人ではありません。しかし、世の中には盗人が多くいるのですよ男爵」


 ミッセル氏がぺろりと下唇を舐めた。そうすると、壮絶に色気がある。大人の男だ。危険だ。


「場所は秘密であっても、魚ならば水のない場所に存在するはずがございません。となれば、欲に駆られた連中がゴールドフィッシュ領内の池や川に押し寄せ、底まで浚って金魚を探すでしょう。たちまち池の水はかきだされ、川の生き物は根こそぎ捕まり打ち捨てられるでしょう」

「むぅ……」


 お父様が眉根を寄せた。私も、ミッセル氏の言い分に震撼した。十二分にあり得ることだ。


「では、どうしろと?」

「場所を秘密にするのではなく、場所を教えてやるのです。そうですねぇ……なるべく生き物の少ない、澱んだ池で見つけたことに。そうすれば、荒らされるのはその池だけで済みます」

「しかし、そんな嘘はすぐにバレるだろう」

「もちろんです。しかし、時間稼ぎにはなる。欲の張った連中が寂れた池を掘り返している間に、ゴールドフィッシュ家の金魚を国中に行き渡らせてしまえばよろしいのです。そして、人々に金魚はゴールドフィッシュ家だけが有しており、信用のおける商会を通してしか手に入らないと認識させるのですよ。ゴールドフィッシュ家に認められたその商会以外の者が金魚を売り出せば、すぐに密漁とわかるように」


 つまり、ミッセル氏は彼の商会と独占契約をしろと言っているのだ。


「なるほど、よくわかった」


 お父様は一つ頷くと、私の方を振り返った。


「貴重な意見を聞かせてもらった礼に、金魚を見せよう。アカリア、案内しなさい」


 ようやく私の出番だ。私はぴんっと背筋を伸ばして立ち上がった。



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