第9話 真夜中の侵入者




 キース様のお披露目を終えて、金魚の少なくなった水槽はテラスから屋敷の中の空いている部屋に移動したわ。

 また猫に狙われたりしたら、きんちゃんとぎょっくんに怒られるからね。

 明日から、また金魚を少しずつ補充しておこう。口コミが広がるまでにはまだ時間がかかるだろうけれど、少しずつ商売を始める準備をしておかなくちゃ。


 キース様も、「アカリアのためにもっと大きな水槽を造れるようになるよ!」となんだか張り切っていらっしゃったし。私も頑張るわ。




 そう決意した日の真夜中、私は突然何か不安な気持ちに襲われて目を覚ました。

 ベッドの中で上半身を起こして辺りを見回すが、室内にはなんの変化もない。だけど、胸はどきどきと騒いで、不安がどんどん募ってくる。

 なにかしら。この不安は。


『どうしたの?』


 私の様子を見て、きんちゃんとぎょっくんが飛んでくる。


「わからない……何か、不安でたまらないの……」


 私が身を震わせてそう言うと、きんちゃんとぎょっくんはぱくぱくと口を開いた。


『もしかして』

『危機察知かも』

「え……?」


 危機察知、って、確か付与能力の一つだったはず。

 金魚に危機が迫れば、それを感じ取ることが出来るという……


「金魚に危機が迫っている?」


 まさか、皆にわけた金魚に何かあったのかしら。


 私はそう思ったのだが、きんちゃんとぎょっくんはそれを否定した。


『ちがうよ。危機察知できるのは、アカリアのところにいる金魚だけなの』

『所有権が移った金魚には危機察知は働かないよ』


 金魚が所有権という単語を知っていることには突っ込みたいが……いや、それより危機察知出来るのが私の所有する金魚のみということは、我が家の金魚に危機が迫っているということ?


 私はベッドから抜け出して、金魚の様子を窺うために一階に降りた。

 手燭に火をつけ、そろそろと廊下を歩く。どこかから、風が吹き込む音がする。


 水槽を置いた部屋から、がたり、と音がした。


「誰かいるの?」


 思わず室内に向かって声をかけると、部屋の隅で何かが動いた。

 強盗だったらどうしようと、今さらになってヒヤリとする。だが、テーブルの下から飛び出してきた影は私より小さかった。


「子供?え?」


 七、八歳ぐらいの男の子が、室内を横切って窓に取り付いた。強引に窓をこじ開けて、僅かに出来た隙間から抜け出していく。

 そういえば、あそこの窓は壊れていたんだった。直すお金がないから放置していたことを思い出して、私は窓に駆け寄った。

 壊れた隙間から、夜の庭を駆けていく小さな後ろ姿が見える。


「アカリア!?何事だ?」


 キース様が駆けつけてきた。


「誰かいたんだな?無事か!?」

「は、はい……」


 キース様は壊れた窓を見ると顔を真っ青にして、私の無事を確認した。


「良かった……アカリアはここにいろ」


 キース様はさっと厳しい顔つきになって、屋敷の外へ出て行った。


『びっくりしたね』

『だいじょうぶ?』


 きんちゃんとぎょっくんが私の肩の辺りで心配そうに跳ねる。私はまだどきどきしている胸を押さえて窓の外を見やった。キース様とお父様が庭を見回っている姿が見える。子供は行方をくらましたようで、数分後、憤りを抱えたキース様とお父様が戻ってきた。


「領主の館に侵入するとは、何が目的か知らないが捨て置けない!必ず見つけだしてやる!」

「あ、あのぅお兄様……」

「アカリア!どんな奴だった?」


 激しい怒りを露わにするキース様に圧倒されて、私は何故か本当のことが言えなかった。


「わかりません。よく、見えなくて……」


 かすれた声で言うと、キース様は少し肩の力を抜いて私の背中に手を回した。


「そうか。怖かっただろう。アカリア、異変に気づいても一人で見に来たりしちゃいけないぞ。今度からは必ず俺に言うんだ」

「はい……」

「部屋に戻って寝なさい。大丈夫、窓は俺が直しておくから」


 キース様にいたわられて、私は不安な気持ちを抱えたまま部屋に戻った。


『怖かったね』

『でも、みんな無事で良かったね』


 ベッドに入った私の枕元にちょこんと乗っかったきんちゃんとぎょっくんが言う。水槽の金魚は無事だったし、特に何か壊された訳でもなく被害もなかった。一瞬だけ見えたあの男の子は、ここが領主の屋敷と知っていて侵入したのだろうか。

 目的が盗みにしろ悪戯にしろ、領主の屋敷に侵入したとあれば子供であってもただではすまないだろう。どんなに貧乏だろうがオンボロ屋敷に住んでいようが、ゴールドフィッシュ家は貴族なのだ。平民が貴族の館に無断で立ち入るなど許されない。


 まぁ、キース様はあの子の姿を見なかったし、このままなら見つからずに済むだろう。

 だけど、あの子がもしも再び我が家に侵入したら――いや、本来は敷地に無断で立ち入っただけでも捕まって罰せられるのが当然なのだ。

 あの子がそのことに気づいて、馬鹿な真似はやめてくれればいいのだけれど。


 私が浮かない顔をしているので、金魚達も枕元で心配そうにこちらを見ていた。




 ***




 やっとのことで家に帰りつき、苦しい息をなんとか整えようとうずくまった。

 音のない夜の闇に、はあはあという息遣いだけが響く。


――あれは、なんだったんだろう。


 暗い室内に、水を入れた容れ物のようなものがあって、その中で何か小さなものが動いていた。


――魚、だったのかな?どうしてあんな部屋の中に……


 この地の領主様はとても貧乏で、屋敷はぼろぼろだし使用人すらいない。敷地内には簡単に入れたし、壊れた窓を見つけて屋敷の中にまで入ることが出来た。

 こっそりと侵入するのには成功したが、あんなに早く見つかってしまったのは誤算だった。貧乏とはいえ貴族の家なのだから、少しぐらいは売れそうなものがあると思ったのに。


 家の中から、咳込む声が聞こえてきた。なかなか止まない長い咳に顔をしかめながら、クルトは音を立てないように家に入り、そっと寝床に横たわった。



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