第7話 なきゃないでいいけれど




 キース様の跡取りとしてのお披露目パーティーの準備のため、私は慌ただしい日々を過ごしていた。きんちゃんとぎょっくんも私の頭の上でせわしなくくるくる回っている。


 こまこまと働きながらも、私の頭には消えない悩みがあった。


 水槽が手に入った今、金魚屋開業に必要な品物はだいたい揃ったと言える。

 私の事業計画では、キース様に大きめの水槽を造ってもらい、そこに金魚を泳がせて皆の目に触れるようにする。興味を持った人に金魚の飼い方を説明して買ってもらうのだ。水槽や水草、砂利は別売りで、必要ならまとめて買えるようにする。水槽が必要ない、もしくは水槽を買えない平民には容れ物を持ってきてくれればそれに入れて売ることも出来ると説明する。

 水槽以外は一般的な平民の収入でも十分に買える値段にするし、水草や砂利は自分で池や川で取ってきてもいい。

 相手が貴族ならば、小さい水槽に一、二匹の金魚を入れて砂利と水草もセットした状態で売るのだ。

 金魚を見たことがないこの世界の人々には最初は奇異がられるだろうけれど、ひらひらと泳ぐ姿はきっと誰が見ても綺麗だと思うはずだ。


 金魚屋には十分に勝算があると思う。

 だけれども、私の頭からは「ある物」が離れないのだ。


 なければいけないという訳じゃない。でも、あればあった方がいい物。


 そう、それはアクアポンプ。

 エアーポンプともいう、空気のぷくぷくするあれだ。


 水草を入れてこまめに水を換えれば、あれは必ずしも必要ではない。金魚を飼っている人でも動作音がうるさいからと嫌う人も多い。


 しかし、たくさんの金魚を飼う場合は、やはりあった方がいい。

 水に含まれる酸素量が金魚の呼吸に使われる酸素を下回れば、金魚は酸素不足に陥る。それを防ぐのがアクアポンプだ。


 水に含まれる酸素は水面が大気に接する面が大きいほど多くなる。つまり、水槽が大きければいいのだが、なまじ大きな水槽だと買った人がたくさんの金魚を入れたくなってしまうかもしれない。金魚の数が増えれば、当然酸素の消費量も増える。結果は窒息死だ。


 ちなみに、この辺のことをぼんやりと説明したところ、キース様は自室の二匹の金魚のために十五センチ四方のガラス容器を造り出した。キース様が今造れる最大の容器だそうだ。

 悠々と泳ぐ金魚を眺めて満足していらしたので、小さい方の容器にはブラキアンを入れてお父様にあげた。


 金魚の酸欠を防ぐためには、やはりアクアポンプがあった方がいいのだが、この世界であれを作るのは難しそうだ。

 何か他にいい方法がないか考えよう。そのうち、何か思いつくかもしれない。

 今はそれより、キース様のお披露目を成功させなくてはならない。

 縁戚にある貴族や領内の有力者、神父様も呼ぶのだ。キース様が次期男爵を継ぐ者として認められるためにも、華やかな場にしなくてはならない。

 とはいえ、我が家はオンボロだ。誤魔化しようがないほどオンボロだ。


「……だからお父様、ここで金魚の出番です!」

「金魚をどうするつもりなんだい?アカリア」


 目を丸くするお父様とキース様に、私は拳を握って力説した。


「アクアリウムを創るのです!」




 ***



 ロブスター子爵令嬢ジャリアーナは鬱々として溜め息を吐いた。


「お母様の親戚だからって、どうしてあんな貧乏男爵家に行かなくてはならないの?」

「これ、ジャリアーナ!口を慎みなさい」


 母に叱られるが、ジャリアーナは反省の色なく口を尖らせる。母親の親戚のゴールドフィッシュ男爵とその娘には何度か顔を合わせたことがあるが、彼らの装いといい屋敷といい、とても貴族とは呼べない困窮ぶりだ。むしろ彼らより一部の平民の方が遙かにマシな暮らしをしているだろう。


「あんな貧乏男爵家を継がなきゃならないだなんて、養子にされた方もお気の毒ね」

「ジャリアーナったら……でも、そうね。いずれはアカリア嬢の婿にするつもりで引き取ったんでしょうけれど」

「そうすれば嫁に出す持参金も要らないからな」


 ジャリアーナを窘めはするが、母も父も内心は同意見なのだ。


「あーあ。せめて綺麗なお花の咲いた庭でもあれば少しは楽しめるのに」


 庭師を雇う余裕もないのだろう、ゴールドフィッシュ男爵家の庭は雑草が生い茂り放題だ。


「まあ、養子の代になれば付き合いも切れるだろう。それまでの辛抱だよ」

「私はその前にお嫁に行くからいいもん」


 ジャリアーナは紫のドレスを眺めて頬を膨らませた。お気に入りの赤いドレスを着て来れなかったのも、憂鬱気分を増大させる原因だ。

 ゴールドフィッシュ男爵令嬢はきっと赤いドレスを着るだろうから、招かれる側として同じ色は避けたのだ。何故ドレスの色がわかるかというと、ジュリアーナの誕生日に招いた際におそらく古着の赤いドレスを着ていたからだ。新しいドレスを買う余裕はないだろうから、今日も同じドレスに違いない。


「はあ〜……つまらないなぁ」


 ジュリアーナはもう一度溜め息を吐いた。



「ようこそいらっしゃいました。皆様」


 オンボロ屋敷の前でゴールドフィッシュ男爵がにこやかに客人を出迎える。


「おや、アカリア嬢と次期男爵殿はどちらです?」

「ええ。こちらです。是非、皆様にご覧に入れたいものがありまして」


 ゴールドフィッシュ男爵は一同をテラスへと案内した。


 何か趣向でも用意しているのだろうか、けれど、どうせ大したものではないだろう。

 ジュリアーナはそう思ったし、他の皆も同じ気持ちだった。


 そして、彼らの前に、見たこともない幻想的な光景が広がった。



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