第6話 オンボロ屋敷と新しい家族




 猫対策で桶とガラス容器は廊下のチェストの上に置くことにした。

 キース様のお部屋を用意しなければならないので、しばらくは忙しい。


『ガラスの子、いつ来るの?』

『ガラスの子、丸い形は出せないの?』


 使っていなかった部屋を大掃除する私の周囲で、きんちゃんとぎょっくんがくるくる回る。

 キース様のことを「ガラスの子」なんて呼ばないの!


「おそらく二、三日後には手紙が来ると思うわ。正式にいつ家に来るか決まったら知らせが来るはずだから」

『楽しみだね!』

『丸い形のが欲しいー』


 きんちゃんが言うように、確かに丸い形の金魚鉢は欲しい。

 水を換えたり掃除したりするなら四角い水槽の方が楽なんだろうけど、元日本人としてはやはりあの金魚鉢の独特の形には郷愁を感じてしまう。

 キース様のレベルが上がれば、金魚鉢も造れるようになるかもしれない。期待しておこう。


 三日がかりでどうにかキース様に使ってもらう部屋を整えると、お父様がキース様から手紙が届いたと知らせに来た。


「来週、こちらへ来るそうだよ」

「本当ですか?楽しみです」

『ガラスの子、来るー』

『丸いの欲しー』


 きんちゃんとぎょっくんも楽しみにしている。

 私はお部屋に問題はないか点検して、殺風景な部屋に眉を下げた。貧乏なので立派な調度が用意できないのは仕方がないが、それにしたって古い机と粗末なベッドと色褪せたチェストだけでは実に寒々しい。

 あの成き……豪邸からやって来るキース様がこの部屋を見てびっくりしなければいいけれど。


「……あ、そうだわ!」


 一つ思いついて、私は自分の部屋に駆け込んだ。




 ***




 立派で派手な馬車が走ってくるのが見える。グラスイズ家の馬車だ。


 我が家の前で停まった馬車からは、少し不安そうな顔をしたキース様が降りてきた。


「キース様!」

『ガラスの子!』

『ガラスの子!』


 私が駆け寄ると、きんちゃんとぎょっくんも付いてきてキース様の周りを飛び交う。


「よく来てくれた」


 お父様が男爵らしく威厳を持ってキース様を迎える。


「国王陛下からの許しも得て、君は今日より正式に「キース・ゴールドフィッシュ」となる。覚悟は出来ているかね」

「はい。不肖の身ながら、ゴールドフィッシュ男爵家の恥とならないよう、領民の為に尽くす覚悟です」

「うむ」


 キース様の言葉に、お父様は満足そうに頷いた。


「アカリア、お前も今日からはキースのことは「兄」と呼びなさい」


 お父様が私にも命じた。

 そうよね。養子になるのだから、私のお兄様になるということだもの。


「わかりました。よろしくお願いします、キースお兄様」

「こちらこそよろしく、アカリア」


 私に向かってキース様がふっと微笑んだ。

 憂いがちだった鳶色の瞳が柔らかく緩んで、見る者を魅了する。

 あらやだ。キース様ってばイケメンじゃない。この間はガラス水槽のことばかり考えていて気づかなかったわ。

 ガラスも造れて目の保養にもなるだなんて、素晴らしい逸材だわキースお兄様。


「お兄様のお部屋にご案内します!」


 前世ではとんと縁のなかったイケメンとお近づきになれて舞い上がった私は、キース様の腕を引いて屋敷に入った。

 キース様が廊下を歩くと、ギイィィギイィィとすごい音で床が軋む。壁もぼろぼろで所々穴が開いているし、成き……豪邸で育ったキース様はさぞかし驚いていることだろう。

 反応が怖いのでキース様の顔を見ないように前を歩いて、部屋まで案内する。


「こちらがキースお兄様のお部屋です」


 扉を開けて招き入れると、部屋に一歩足を踏み入れたキース様はぽかんとした表情で絶句した。

 うう、やっぱりこの粗末な部屋にはびっくりするよね。金魚屋で利益が出たら、ちゃんとした調度を誂えますから。どうかそれまでは我慢してください。


「あの、キースお兄様。申し訳ありません、我が家では新しい調度も用意出来ず……」


 一応、キース様のご実家から支度金は戴いているのよね。でも、それは他の貴族の方々を招いたキース様のお披露目パーティーで使うのよ。

 お付き合いのある貴族の方々をお呼びするのだから、人を雇って準備をしなければならないし、人数分の料理とキース様の服を作れば支度金はいくらも残らない。それに、こういう場合、調度などは養子を迎える側が用意するのが伝統だ。


「ああ、いや……違うんだ」


 恐縮する私に気づいて、キース様が頬を掻く。


「そうじゃなくて……これ」


 キース様はベッドの上のクッションを手に取った。


「アカリアが用意してくれたんだね」


 クッションは二つ、白いクッションと赤いクッションだ。

 白いクッションには赤い金魚、赤いクッションには黒い金魚の刺繍を施してある。あまりに殺風景な部屋をなんとかしたくて、私の子供の頃の服の生地を使って造った。


「それから、これも」


 キース様はチェストに近寄って、その上に乗っているものを指さした。


 ガラスの容れ物の中でひらひら泳ぐ、二匹の金魚だ。


「お兄様に造っていただいたガラスの容れ物ですわ」

「……信じられない」


 キース様が声を震わせた。


「ずっと、俺の造るガラスはただ透明なだけの、飾って愛でることの出来ない役立たずな品だと言われてきたのに。こうやって小さな魚が泳いでいるのを見ると、なんだか魚が美しいおかげでガラスまで美しく見える」


 キース様は小さな子どものような眼差しで金魚を見つめた。


「金魚を観賞するにはキースお兄様の造るガラスの容れ物が最高なのです!色や飾りがついていると、金魚の姿がよく見えなくなってしまいます」


 私はキース様に近寄って訴えかけるように彼の目を見上げた。


「私には金魚を生み出すことしか出来ません。でも、キースお兄様の造るガラスの容れ物があれば、この世界の人々に金魚の魅力を伝えることが可能だと思いますの。私は、キースお兄様と出会えたことは運命だと感じております」


 運命というか、たぶん金魚の加護だ。


「どうか、金魚の魅力を伝えるために私にお力をお貸しください」


 キース様は耳まで赤くなった後でわたわたと視線をさまよわせた。

 おそらく彼はこれまで兄弟達から馬鹿にされ、自分の『スキル』は役立たずだと思っていたのだろう。だから、こうして大いなる期待を寄せられて戸惑っているのだ。

 でもキース様、私の期待はこんなもんじゃありませんよ!

 いつか必ず、金魚鉢を!


「も、もちろん、俺に出来ることなら何でもするさ!アカリアとは、か、家族になったんだから!」


 キース様がそう約束してくれたので、私はにっこり微笑んで彼の手を握り締めた。

 きんちゃんとぎょっくんも私とキース様の頭の上を祝福するようにくるくる飛び回っていた。



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