第5話 音もなく忍び寄る死の気配





「この小魚をアカリアが……」

「金魚ですわ、お父様」


 帰りの馬車の中で、お父様がガラスの容れ物の中を泳ぐ金魚をしげしげと眺めて呟く。

 私は上機嫌で馬車に揺られていた。

 準備が整い次第、我が領地へやってくることになっているキース様は、色も飾りも付けられないただの四角いガラスの容れ物しか出せないため、他の兄弟からは落ちこぼれ扱いされていたそうだ。

 なんて、もったいない!透明なガラスの容れ物の価値がわからないなんて!

 まあ、この世界でのガラスのコップやゴブレットは実用ではなく観賞用なので、キース様の造る容れ物では売れないと判断されたのだろう。もったいない。


 私はお父様からガラスの容れ物を受け取ってガラス越しに金魚を見る。

 なんの飾りもないただの透明のガラスだからこそ、金魚の泳ぐ姿がはっきりと見える。


『ラッキーだねぇ』

『ぼくたちの加護があるって言ったろ』


 きんちゃんとぎょっくんが言う。

 そうか。これが金魚の加護なのか。お父様といいキース様といい、私の金魚屋開業に必要な人材が揃ってしまうこの展開は、もしかしたらこの世界に金魚を広めろという神の思し召しなのかもしれない。


「お父様、私はこの金魚を売る商売がしたいのです」


 思い切って打ち明けてみた。いずれは言わなければならないことだし、本格的に金魚屋開業を目指すにはお父様の協力は不可欠だ。


「この小魚を……?確かに見たこともない綺麗な魚だし、多少高価でも最初は珍しいと欲しがる人もいるだろうが、数匹買えば十分でたくさんは売れないだろう。こういうのを欲しがりそうな貴族に売り込むにしても、一家に数匹程度では……」

「いいえ、お父様。金魚は高価なものではありません。種類にも寄りますが、和金は庶民でも買える値段にするつもりです」


 私は力説した。お父様は珍しい品として高価な値を付けて貴族相手に売ると考えているようだけれど、私が考えるのは前の世界と同じように気軽に金魚を飼える世の中にすることだ。

 前の世界では、子供の頃に金魚を飼っていたという人はたくさんいた。たいていの小学校には金魚の水槽があった。それぐらい、金魚という生き物は身近なものだったし、水を換えたり餌をやったりすることで命あるものを扱うことを学んだのだ。

 この世界の子供達にも、身近な存在として金魚を愛でてほしい。


「誰でも買える安い値段で、この国に金魚を広めたいのです!」


 もちろん、金魚の種類によって値段は変えるつもりだ。おそらく今後レベルが上がっていけば、もっといろんな種類の金魚が出せるようになる。

 和金は庶民でも気軽に買える値段にして、貴族に受けそうな派手な見た目の金魚はちょっと高い値段にしよう。


「そうか。しかし、この小魚をアカリアが『スキル』で生み出しているというのは秘密にした方がいいね」


 お父様が少し眉根を寄せて、難しい顔で腕を組んだ。


「珍しい『スキル』の持ち主というのは狙われることもある。金魚が売れるとなれば、アカリアを誘拐して儲けようと企む輩も出てくるだろう」


 なるほど。私にしか生み出せない生き物なのだから、私を誘拐してしまえば元手がかからず金魚を売りさばける。


「気をつけますわ」

「うむ」


 お父様は私の身を案じてくれているだけで、商売自体には反対ではないようだ。良かった。


「実は、家にも和金と出目金がいるのです。帰ったらお見せしますね」

「でめきん、とは……?和金とは金魚のことだよね?」

「和金はこの金魚のことです。これぐらいの大きさのものは小金と呼ぶこともあります。出目金はこれよりもう少し大きくて目が丸く飛び出ている種類です」


 領地に帰り着くまで、私はお父様に熱心に金魚の説明をした。お父様も興味が出てきたようで、出目金を早く見たいとそわそわしていた。

 私もうきうきとしてきて、屋敷に着いて馬車を降りるやお父様の手を引いてテラスに置いた桶の元に案内した。


「こちらです!あの桶に……」


 その時、私は確かに奴と目が合った。


 奴の狙いが何か、私は瞬時に理解した。


 獲物を狙う獣の目がぎらぎらと輝き、音もなく忍び寄る死の気配に桶の中の金魚達がくるくると逃げまどっているのがわかる。

 その、死の鉤爪が今まさに桶の中に振り下ろされんと――


「そぉおぉぉっぉぉいいっ!!」


 間一髪、私はヘッドスライディングで滑り込んでその獣を捕まえていた。


「アカリア!?」


 突然、奇声を上げてテラスに突っ込んだ娘に、お父様が愕然とする。ごめんなさいお父様、貴族令嬢にあるまじきヘッドスライディングをお見せして。でも、危機一髪だったのです。


「ふにゃああっ!ふぎゃっ!」


 私の手の中で、ふわふわした獣――猫が暴れる。

 桶の金魚を狙ってやってきた不届き者だ。


『ねこだよ!ねこ嫌い!』

『いやー!いやー!』


 私の頭の上できんちゃんとぎょっくんも恐慌状態だ。やはり猫は金魚の天敵らしい。


 きんちゃんとぎょっくんが騒ぐので、私は猫をテラスの外へ逃がしてやった。


 ぴんぽんぱんぽん♪


『おめでと!レベル7になったよ!一日に三十匹までの和金、二匹までの出目金とらんちゅうが出せるようになったよ!気をつけてよ!ねこ!』

『付与能力「危機察知」が使えるようになったよ!金魚に危険が迫ると胸騒ぎがするようになるよ!テラスなんかに置いておくから、ねこに狙われたんだよ!ばかー!』

『ばかー!』


 うう。ごめんね。狙われた金魚達の代わりにきんちゃんとぎょっくんが私を叱ってくれるのね。


 レベルが上がりつつ金魚達に説教されて、私は反省しきりだった。


 その後はお父様に出目金を紹介し、キース様のガラスの容れ物を桶の横に置いた。ガラスの容れ物は日の光を浴びてキラキラ輝き、中で泳ぐ金魚が赤い宝石のように見えた。


「なるほど。綺麗なものだな」


 お父様はしきりに感心して、黒出目金に「ブラキアン」という名前を付けていた。

 気に入ったのかしら?



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