第22話 レクの日

 5月の連休に北の大地に移住してきてからひと月半が過ぎ、6月も後半に入っている。

 ここらでは畑の種まきはカッコウの声を聞いてからという。

 カッコウが鳴く頃には極端な冷え込みもなくなり、畑が凍結することもなくなるからということらしい。

 都会だと横断歩道の青信号くらいでしか聞けない鳴き声の本物を生まれて初めて聞いた。


 あれから風呂の方は骨組みだけだった外壁を板張りで仕上げ、中に仕切りと棚を作り脱衣スペースに、窓を3箇所と妻側に出入り口として引き戸をつけた。

 これらは、町営の老人ホームが建て替えられることになり、不要になる備品類を早いもの勝ちで持って帰っていいという

 イベント(?)があり、その戦利品。

 椅子やらテーブルやらは勿論だが、建物を壊さない程度ならなんでもいいとのことだったので、風呂の建具としていい感じの木製の引き戸や窓、姿見、外の洗い場で使っている混合水栓などを頂いた。

 さすがに枠ごと外すそうとすると解体になってしまうので戸や窓だけ、枠は木枠を組んで溝を掘っただけの簡単なのを自作した。

 さらに雨よけに大き目の庇、テントでいう前室を設け下に土間コンを打った、冬までにはここにも壁で囲い風除室にする。

 一番大きなことは、電気と井戸水の配管を引き込んだことで、照明がつき水が出るようになった。

 さらに灯油のボイラーを設置することで湯が出せるようになった、温泉があっても洗い物をしたりシャワーを浴びたり給湯設備は必要。

 仮設だった流し台も風呂横に移設し、鍋や食器をお湯でじゃぶじゃぶ洗えるようになった、井戸水は水温が5℃くらいしかないのでこれは非常に助かる、洗い物はマジで苦行だった。

 これにあたり外に灯油タンクを設置した、ここらでは標準的な大きさで500リッター近く入る。

 昔、父に連れられスキー目的に北国に行くと、大抵の民家の軒先にでっかい脚付きのスーツケースみたいなのがあり、あれは何じゃらほいと子供心に思っていたが、それが灯油タンク。

 原油相場に左右されるものの暖房も給湯も灯油がいちばん経済的、オール電化クソくらえ。


 風呂に関しては思いつくことはだいたいやり遂げた感がでてきたので、いよいよ本丸の小屋作りに取り掛かる。

 ユンボを筆頭に各種機材をいつまでも藪さんから借りっぱなしにするわけにもいかないので、まず小屋の基礎。

 風呂が2間四方の正方形だったが、小屋の場合はそれを3つ並べ目の字型ににする。

 大きすぎたり凝った形状だと手に余るが、これくらいならなんとかなりそうかと思った、この時は。

 風呂の時は基礎の構造で言えばベタ基礎風、東屋のような造りだし、ほぼ常時湯を張る温泉だしで大雑把だったが、家となると凍結深度というのが問題になり、今回は布基礎にする。

 地面が凍結すると地上部分の構造物に影響が出る、具体的には凍結部に持ち上げられることで基礎や壁に亀裂が入ったりしかねない。

 温暖な地方ではあまり気にする必要がないが、この凍結しない深度が目安として設定されていて、札幌では60センチこのあたりでは100センチ、つまり住宅基礎工事では1メートル以上掘り返す必要があるということ。

 ベタ基礎でこれをやると面で支えるというのが仇になり、ほぼ地下室を作るような話になってきて、とても素人の手には負えない。

 板で布基礎のT字型を模した定規を作り、それで深さ幅を見ながら目の字に掘り返した。

 砕石敷いて転圧して下地のコンクリートを小型のミキサー車頼んで打設

 そして鉄筋を切ったり曲げたり括ったりでこれにほぼ1週間、型枠の設置と生コン打設の際は藪さんと会長も手伝ってくれて、今回は大型のミキサー車にポンプ車も頼んでようやく終えた。

 前回とは比較にならない大量の仮設資材(大半借り物)、小山となった掘り返した土砂、数回に渡るコンクリ打設、これでいいのか大丈夫かというなんとも言えない不安。

 もう嫌だ、次があれば絶対プロに頼むと思いつつ、なんとか一応は完了しコンクリの養生を待つ、イマココ。


 そして少し時間は戻る。

 どこの自治体にもあると思うが市政だよりとかの広報誌、この町にももちろんある。

 政令指定都市に住んでいたときには全く見る気もしなかったが、万にも届かない人口の町ではこじんまり身近な内容で、中には興味深い情報もある。

 老人ホーム解体のネタは、藪さんのところにお茶に呼ばれた時に置いてあったのでたまたま見た。

 自分も住民票を移した正規の町民なのだが、自治会に入っていないと町役場まで貰いに行かないとならない。

「自治会って入ったほうがいいんですか?」と藪さんに尋ねると、

「う~ん、天(あま)ちゃんは無理に入らなくてもいいんじゃないかな」

「自分は爺さんがここの人間だったんで、その流れでだけど」

「いろいろ行事とかもあるし、役員とかも回ってくるし、他にも面倒なことも……」と、口を濁す。

 それらを聞いたら全く入る気なくなり、広報誌は役場まで貰いに行くことにした。

 そもそも自治会とかは多くの場合ゴミ収集場所を管理していて、入っていないと捨てさせてもらえなかったりする。

 都会では結構これが致命的だったりなのだが、この地区では各戸に収集車が回ってくれるので、その心配は不要。

 かわりにお高い専用ゴミ袋を買わないといけなかったり、動物対策にゴミステーションとしてしっかりしたゴミ箱の設置が必要、ホームセンターで金属のかごみたいなのが売られている。

 自分は今のところゴミ焼却施設に直接持ち込んでいるので、これらは全く問題なし、じゃあ自治会いらないね。

 そして、パラパラめくった広報誌で目についたのが、「〇〇川リバーフェス」。

 何かというと、各カヌーガイド協賛でシーズン始めに町民限定でカヌーツアーに安く参加できるという催し。

 カナディアンカヌーで、日本有数のカルデラ湖をスタートし源流部を下るという内容、これいいなと申し込んでおいた。

 そのイベント当日が今日、集合場所の茶店に向かう、留守番させておく場所もないのでクロマルも同行。

 受付を済ませ、担当のガイドさんと顔合わせを行う、若い女性だった。

 あえて若いとしたが、山ガールとかアウトドア業界で若い女性というのはアラサースタートなので、だいたい同年代くらいということ、そして知った顔だった。

 先々週だったか、基地近くの町道の側溝で脱輪というか横転というかでんぐり返ったパジェロミニがいて、うちのクルマで引っ張り出してやった。

 飛び出してきたキツネを避けて側溝に落ちたらしい。

 シカは止まれキツネは進めとかいう話もあって、シカにぶつかるとただでは済まないがキツネは轢いちゃったほうが安全ということらしいが。

 何度も頭を下げ礼を言い、ガタガタのクルマでなんとか自走して帰っていったのが彼女だった。

 背は自分と殆ど変わらないの長身でスポーツやってましたって感じの引き締まった体型、職業柄か浅黒く目鼻立ちのくっきりした南方系の顔立ち、美人の範疇に入るかもしれないがこういう場所のせいかも、スキー場だと綺麗に見えるゲレンデ美人とかの例もあるし。

 高校の時から部活で山に登り山歴の長い乙さん曰く、

「山女は若くても三十(みそ)ってる、登山部の女子高生とかコロコロした柔ちゃんみたいなのばっかマンガじゃなくリアルの方の、シュッとしたキレイ系がまかり間違って山に目覚めるのには高校からなら10年かかる」だそうだ。

 むこうもこちらに気づいたらしく、「あの時は、ありがとうございました」と、また何度も頭を下げる。

「あの件はもういいですけど、ところでクルマは直りました?」

 パジェロミニは自走こそできたものの、フロントガラスは割れ、蹴飛ばさないとドアの開閉もできないほど車体が歪んでいた。

 ひきつった微笑みを浮かべ、「あはは~、あの子はお星さまになりました」

 修理するのに同程度の中古が買えるくらいかかるとかで廃車、部品取りに業者が引き取ったらしい。

「あれでたいした怪我しないで済んだんだから身代わりですね、今日はよろしくお願いします」

「あっ、こちらこそよろしくお願いします、本日のガイドをやらせていただく秋月です」

「本当はもう一人お客さんがいて3人乗船のはずだったんですけど、キャンセルみたいで2人乗りになります」

 それならとダメ元で聞いてみる、「犬も乗せていいですか?」

「あー、特別にいいですよ、カヌー犬とか本見て憧れますよね」

「ライフジャケットは自分のも犬用もありますから」

「カヌーやられてたんですか?」

「少しだけ、琵琶湖とか静水だけなんで川下りは初めてです」

「経験者ですね、じゃああとで簡単に注意事項の説明をしますね」

 二人と一匹でエントリーポイントの湖岸まで少し歩く。

 今日は快晴で少し暑く、クロマルを車中に待たせるのが気になっていたので助かった、当人はあまり楽しそうでもなく粛々とついてきているが。

 ここで一通りのレクチャーを受け、クロマルを木に係留しておいて湖上をぐるっと廻る。

 さすがに犬を乗せているのを他の挺、全体で10組以上に見られるのはあまりよろしくないだろうということで時間調整。

 湖岸に寄せ、自分がクロマルを抱きかかえてセンターのお客さん席に乗せるというか置く、下が滑るので不服そう。

 携帯や財布など濡れると困る貴重品を持参した防水バッグに入れヨークに固定、自分は前のシート後ろの艇長席に秋月ガイドで出発。

 今年は雪解け水が多くて水位が高いとかで、頭を低くして橋の下をくぐり川の源流部に侵入。

「シーズン前で倒木とか多いんで気をつけてくださいね」

 カヌーツアーはラフティングのように急流を下るということもなく、ゆるゆると静かに進んでいく。

 川は車道からも見えるが水面からの視線は新鮮、漕がなくても進んでいくのもいい。

 森の中を蛇行する川をオリンパスの防水コンデジで写真を撮りながら下り、「鏡の間」と呼ばれるほぼ静水の広間のようなエリアに到着。

 川の途中のこういった空間はなかなか幻想的、ここで小休止し再スタート、しばらくしてから事件は起こった。

 川岸に立つエゾシカの親子、ここらではどこでも見かける普通の光景だが奴には違った。

 それまで不安定な船底に丸まりたまに外を窺う程度だったクロマル、すっくと立ち上がった。

 ガンネル(船べり)に前足をかけ、吠えかかる、更には川に飛び込みそうな勢い。

 慌てて取り押さえようと腰を上げ後ろを向いたその時、後頭部を立ち木の枝がラリアット!

 クロマルともども落水、カヌーはバランスを崩しこちらもあわや沈だったがなんとか持ち直す。

 浅瀬もなく船は止まれない、ゆったりに見える流れでもその場に留まるのは無理、我々を置いてそのまま進んでいく。

 ライフジャケットを着ているし急流でもないので、プカプカ泳いで垂れ下がった木の枝に掴まる。

 クロマルはというと、とっくに上陸してブルブル水滴を飛ばし中、シカの親子はとっくに姿を消している。

 また流れに身を委ね犬の待つ川岸まで泳ぎ着く、ここから上陸するにはかなりの藪こぎと急斜面を攀じる必要があるので断念。

 川を進むことにし、クロマルは水に浮かべ自分は水に浸かり半ば流されながら川を進む、まだ水は冷たい水遊びには早すぎる。

 しばらく進むと浅瀬があり、そこにカヌーと心配顔の秋月ガイドが待っていた。

「大丈夫ですか、すみませんでした」

「いや濡れただけだし、悪いのは犬で、自分たちのせいだし」

 そこで再度乗船、今度は自分が中央に乗り、前にクロマルで背後から羽交い締め。

 やがて本来のゴールである橋に到着、本格的なツアーだと少しの急流も混じえさらに先の橋まで下るのだが、自分たちは体験コースなのでここまで、所要時間は約1時間、何事もなければだったらの話だが。

 二人で前後を持ってカヌーを運び、回送されていたミニバンのルーフに積み込む。

 手伝おうとしたが一人でひょいと上げてしまった、コツはあるのだろうが40キロくらいあるはずなのでたいしたもんだ。

「本当申し訳ないんですけど、このこと内緒にしておいていただけませんか、自分新米なので下手したらクビになっちゃうかも……」

「了解了解、本当気にしないでいいんで、帰って温泉入るし」

 お互いの移住するまでの経緯や現況などあれこれ話しつつ集合場所まで戻り、連絡先交換して解散。

 なかなか有意義な休日だった、さすがにクロマルは要シャンプーかな、それだけはひと仕事増えたか。

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明るい原野生活 おにつち @onibogeymar

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