アン・エイビーの『おともだち』③


『散歩』を始めてから、そろそろ一か月にならんかと思う。

 暦はそろそろ冬に入るかといったところで、上着一枚でもやや肌寒い。

 本の国にあまり雪は降らないし積もらない。それでも現地人にしてみれば、夏との寒暖差は堪える。

 チャックは、集落の路地裏を縫うようにして歩いていた。

 裸の田園が広がっている中、うつむいて地面の土を見ながらの散歩だった。

 ひと月の間、これといっては何もない。アン・エイビーは現れる。

 チャックはせっせと歩数を稼ぐ。

 しかしその日、彼の運は――――少しばかり悪かった。


 角を曲がる。右側に衝撃、追突、横転。


 角を曲がろうとした人物にぶつかって転んだのだ。それに気が付いて、チャックは真っ青になった。

 たいへんだ。

(大変だ! )

 ぶつかった人物は、はっと一瞬足を止めたが、すぐに去ろうとした。けれどもあまりにチャックが蒼白で座り込んだままだからか、ついに少年に声をかける。


「おい。どっか痛いのか? 」

 チャックは呆然と顔を上げた。

 目の前には本の青年。背が高く、頭に布を巻いて首に襟巻をしている。頭の色は……白い。

 チャックはギョッと二度見した。

 正真正銘、本物の『白』だ。

 青年は気まずそうに、差し出した手を下ろした。綺麗な青い目をしていた。


「…あ、あの、ありがとう」

 チャックはつい、そう声をかける。

「どこか、痛いところは……?」

「ありません。ありがとう」

「……膝、すりむいてるよ」

 やはり気まずそうに青年は言った。

 つかつかとチャックに歩み寄り、脇に手を入れて立たせてやる。服の土埃もはたいてやった。


「……いいか、お母さんやお父さんに『転んで助けてもらった』とか言うなよ」

 チャックが不思議そうに見返す。

「い、言わないよ」

「いいか、絶対にだぞ。本当に誓えるか? 『どうしたの』って聞かれたら、『転んだけれど自分で立ち上がった』って言うんだ。そうすればオトウサンやオカアサンに褒められるからな。絶対に言うな、いいな? 」

「う、うん…」

 あらかた世話を焼いて、『白』い青年は満足げに頷いた。

「お兄さん、ありがとう」

「……お前と同じくらいの弟がいるだけだよ」

 襟巻を鼻まで引き上げると、青年は去って行った。




「その膝どうしたの! 」

 さっそくその日のうちに傷は見つかった。

 言われた通りに、『転んだけれど一人で立ち上がった』と言うと、夫人は心底うれしそうに彼の頭を撫でて、手放しに褒める。

「すごいね」「えらかったね」

 チャックは俯いたまま、動けなかった。






 30日。

 本の一族居住区


 脇に裸の田園が広がる裏道を、一人の青年が歩いていた。

 碧眼、背に一本垂らした長い白髪。一族の型を取りながら、異端のレッテルを張られる禁忌の子の一人。

『子』というには年長の青年――――スティール・ケイリスクは、息が鼻先で白い靄になるのを見ながら、茫洋として見知った道路を散歩に励んでいた。


 スティールには弟が一人いる。弟、ビスはまだ幼く、異世界人である父の方に性質が似たため、一人離れて疎開している。

 約一年ぶりに年末を家族と過ごすため、明日弟は一時帰宅できることになっていた。


 19にもなって恥ずかしい話であるが、スティールは久々の一家が揃う正月を少しばかり憂鬱な気分で待っていた。

 面立ちは父に似たが、性質は『本』である母に似たスティール。

 面立ちが母に似て、性質は『異端(イレギュラー)』のビス。

 生まれてから一度もこの一族の『輪』から出たことがないスティール、この世界の外へ逃がされているビス―――。


 ――――自分があの年のころは、そんなことしてくれなかった。


 分かっている。この年にもなって、両親の扱いの差に憤りを感じているのだ。

 分かっている。この世に二人といない、同じ血を持つ兄弟で、『禁忌の子』だ。両親が望むのは、長い将来を弟と助け合うことだ。

 分かっている。自分は『本』だ。一族の能力がある。

 分かっている。本の一族は保護対象だ。この世界から出すわけにはいけない。


 異世界人に侵略されつくした歴史のある本の一族は、管理局の庇護なしに平穏は無い。

 一族の血を引いている以上、仕方ないことだった。扱いの差があるのは当然だ。弟と自分は違うのだから。

 けれど夢想する。さまざまな『こうではなかったら』を。


 口数の少ない弟と何を離したらいいのか分からない。長く離れた間に、奴がどういう人間だったのかを忘れてしまったように思う。絶った二人の兄弟なのに――――――

(………情けない)

 家族が自分に求めているものは、長男がこうして弟に引け目を感じることではないだろう。

 快く弟を出迎えてやれればいいものを――――普通の一家なら、きっと――――矮小――――卑屈――――低能――――……。


 ふと、思考にふける視界に白いものが映りこんだ。

(雪か)

 この世界で雪が降ることは珍しい。積もるとなればなおさらだ。

 

 だから一族は雪を嫌う、生物が沈黙する季節を、親の仇の様に嫌う。白を忌む。

 この短い生で、何度『普通であったなら』と夢想したことだろうか。この髪に、どんなに淡くても少しでも色が乗っていたなら――――――。


 スティールは顔をしかめて頭を掻き回した。

 寒いのはめっぽう苦手だ。雪が嫌いなのは、自分だって同じである。『白』が憎いのは自分もだ。『禁忌』を産んだ両親を、疎ましく思ったことだってある。

 けれどスティールは、それを口にしたことは無い。いくら主張しても『違い』は変わらないのだ。自分の頭は白いし、自分の両親は彼らだけだった。両親に擁護される現状が、きっと自分の人生で最も平穏な時間になるだろうと分かっている。

 ――――――分かっているけれど、恨めしく思わずにいられるだろうか?






 明日。弟が帰ってくる朝。

 窓を開けると広がるのは、この国で100年ぶりの銀世界だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『異世界あるある現象』について真面目に考えていたら、ディストピアSF群像劇ができた。 ~ハッピーエンドに辿り着くまで、強制リセマラデスループ~ 陸一 じゅん @rikuiti-june

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ