第25話 騎馬の将

 ~ シーナ騎馬大将クロック・アシモフ ~


 カチカチと、手のなかで駒がぶつかる音がする。


 魔兵、歩兵、弓兵、騎兵。


 戦況は攻め有利なのだが、一手のミスで、すべてが覆る。


 絶妙に美しい駒の配置。


「大将」

「ムグラの森の怪異のことか」

「なぜそれを?」

「いやなに、そろそろ報告がくる頃だと思ってな」

「また戦瞰遊戯を?」

「アイザック殿が残した棋譜だ。何度しても飽きない」


 やはりわからん。


「どうされたのです?」

「時折な、アイザック殿の盤面に、彼とは違う空気を感じることがある」

「と言いますと?」

「鋭利で、慈悲のない刃物を喉元に突きつけられている気分になる。随所に散りばめられた巧妙な罠、突如として顔をのぞかせる大胆なエサ、うまく隠された伏兵。アイザック殿とはまるきり違う、恐ろしく冷たい棋譜だ」

「奥様のシェナ=グラシア様の手では?」

「どうだろうな、いまとなっては知る術もない。それでムグラの怪異はどうなった?」

「また商人が襲われました。護衛に付けていた隊の者は重傷、奪われたのはまたも小麦。時間は黄昏時」

「傷はどうだ?」

「と申しますと?」

「またやられてたのか? 膝や筋を」

「えぇ、以前と同様に」


 小麦を食らう魔物か。


 宝石を集めているとすれば猛禽の類かもしれない。薄暗いムグラの森の黄昏時に活動しているなら、当然夜目が効くはず。


 被害状況から既存の魔物ではないのは確実、となるとなにかの変異種だろうか。


「姿は?」

「闇に紛れての襲撃、しかも尋常でない速度。誰ひとりとして魔物の姿を目撃していないのもまた前回と同様」

「おかしな話だな」

「どの点が?」

「一度や二度なら納得もいく。人の目は恐怖で曇るものだ。闇に紛れた急襲なら敵の姿をとらえられぬもの無理はない。だが今回は違う。商人の通行には、すべてシーナ騎馬と重装の護衛がついていた。隊列は俺自ら指示し、確認していた。そうだな?」

「はい」

「兵と商人、合せて百以上の大所帯での輸送。死角はなかったはず。羽音などは聞かなかったか?」

「鞭のしなるような音を聞いたという報告が」


 ラクト=フォーゲルの防衛、山狩り、王都の警護強化。アイザック殿の息子と精霊アデュバルの女、デジー・スカイラー、殺戮兵器マキナ・シーカリウスの対応に追われて軍部は疲弊している。こんなタイミングで謎の魔物が現れるとは。


「どうされますか?」

「二三日、留守にする」

「どこへ?」

「重装兵将アンネと魔道軍将エンヴィーがラクト=フォーゲルにいるらしい。話してくる」

「使者を送ればいいのでは? この状況であなたが抜ければ混乱を招く」

「俺は自分の目で見たこと以外は信頼しない」

「アイザック殿の教えですね」

「そうだ。部下には重要な仕事を積極的に割り振れとも教えられた」

「俺に?」

「ラト、俺の留守をお前に一任する。ムグラの森の怪異を解明し、商人や住民の通行の安全を確保せよ」

「はっ」

「緊張しろ、だが決して固くなるな」

「また難しい指示を」

「俺もアイザック殿に初めて言われた時は混乱した」


 部下が出ていった部屋にひとり取り残された俺は、軍瞰遊戯の盤上に配置された駒を見下ろした。


 厳しい盤面、ひとつの悪手が破滅を招く。


 ――クロック、憶えておけ。戦瞰遊戯における王が、常に現実の王であるとは限らない。


 ――どういう意味です? アイザック殿。


 ――現場に王はいない。戦瞰遊戯における敗北、つまり王の死はその場、その瞬間に存在している、何気ないものだったりする。


 ――はぁ。


 ――お前も経験を積めばわかるさ。絶対にとられてはいけない場所や人員がいる。とても王には見えない兵、場所が、決して奪取されてはならぬ王となる。


 いまこの瞬間、とられてはならない駒、与えてはいけない場所。


 またあの感じだ。師のものとは違う、張りつめた、冷たい空気感。とても同じ人間が作ったとは思えないほど緻密な構成。神のような、超人的な視点から配置された駒。


 俺は手早く荷物をまとめて、馬小屋へと向かった。


 かつて、師から送られた愛馬ドット=グラシアは、鼻先をなでると嬉しそうに鼻を鳴らした。


「気分はどうだ」


 軍部の緊張感が馬にも伝わっているのか、馬小屋の空気も、いつもより重い感じがした。馬は賢い生き物だ。人が想像するよりも多く、深く物事を観察しているし、よく考えてる。


「迷惑をかける、ドット」


 いつか軍を退役したら、農場をやろうと考えている。


 その時まで俺もドットも生きている保証などないが、緊張感や暴力からかけはなれた農場で、ドットや家族とゆっくりと流れる時間に身を預けている空想は、しばしば俺をリラックスさせてくれた。


「アイザック様、おでかけで?」


 馬丁だ。


「あぁ、二三日な。調子はどうだ」

「なんだか最近は空気がピリピリしてましてね、馬もイライラしているようだ」

「俺も似たようなことを感じた」

「さすがは騎馬の大将に上り詰められたお方」

「アイザック殿の足元にも及ばんがな。いまは大火と洪水が同時に来たような非常時だ、しょうがないとは思うのだがどうもな。戦うために馬に乗るのはうんざりだ」

「いまのは聞かなかったことにした方がよいのでしょうね」

「そうだな。大将としての発言ではなく、友人の愚痴だと思って聞いてくれ」

「そうしましょう」

「シーナの軍部は暇だと聞いて入隊したのだが、これでは話が違う」

「はっははは! シーナの歴史は血の歴史、軍人が暇だったことなぞありますまい」

「まったくだ」


 俺はドットにまたがり、あぶみで蹴った。


 気心の知れた愛馬に乗っていると、気持ちが楽になる。なんの責務もなく、時間に追われることもなく野原で狩りをしていた子供の頃が懐かしくなるからだろう。ドットが師からの贈り物であるのも関係しているかもしれない。


 誰かの上に立つのはタフだ。


 馬上の軍神アイザック・ホワイトフェザーがいた頃は、彼の背中を追っていればよかった。彼がときの声で風を防ぎ、雨を斬り割き、地を固めていた。いまは風も雨も、俺が受けなくてはならない。部下のために地を固めなくてはいけない。誰よりも、声を出さねばならない。


 俺が間違うわけにはいかない。アイザック殿がそうだったように、常に正しくあらねばならないのだ。奪われてはいけない駒、場所を正確に把握する。


 そしてシーナが陥っている未曾有の混乱を、治める。


 ――紹介する、妻のシェナ=グラシアと息子のジャバナだ。


 アイザック殿に妻だと紹介されたのは、周囲の空気を呑み込んで歪ませるような、強烈な存在感を放つ小柄な女性と、黒髪の子供だった。


 ――お噂はかねがね。


 ――東方の魔女、だろ?


 ――えぇ、シーナの魔道軍将と同等程度の魔法を扱うと……。


 小さく苦笑した後、ブリキ人形のような不器用な仕草で鼻を掻くアイザック殿。


 ――魔法に優れた者、武技に秀でた者、政略や裏工作が得意な者、軍には様々な力を持った者が必要だ。


 ――はぁ、それはそうでしょう。


 ――だがいまの軍部には一番大切なものを持った者が少ない。


 ――大切なものとは?


 ――笑わないか?


 ――えぇもちろん。


 ――愛だよ。


 ――愛?


 ――シェナは東方の魔女だ。千もの魔法を操る天才。だがそれ以上に、愛がある。魔道軍将に欠けた愛が。


 ――それはどういう意味です?


 アイザック殿は、子を抱きかかえ、こう返してきた。


 ――お前にもそのうちわかるさ。


 太い腕に埋もれた子、ジャバナ・ホワイトフェザーのダークブラウンの瞳が俺を射抜いた。まっすぐ、迷わず、俺の存在を突き刺したのだ。


 あの日のジャバナの無垢で純な瞳を、いまでも鮮明に覚えている。


 いずれ国賊となる、子供の瞳を。

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