第26話 脅迫

 ~ シーナ騎馬大将クロック・アシモフ ~


 ラクト=フォーゲルに向かう道すがらの緊張感をどのように形容すればよいだろう。戦に慣れたシーナが、かつてないほどの厳戒態勢を敷いている。空気は張りつめて停滞しており、針で突けば爆ぜそうなほどの、密度の濃い圧迫感で満たされていた。兵士の顔は一様に暗く、瞳だけがギラギラと輝いている。


 戦のまえの独特の臭気。


 あと一歩でもまえに進んでしまえば、血や糞尿、悲鳴や祈りの言葉で包まれた、最悪の戦場になってしまう、争いの前駆期。


 かつて騎馬大将を務めた、最強の騎兵アイザック・ホワイトフェザーの息子と、精霊の警戒レベルⅢのアデュバル・力の精霊の加護持ちが逃げた。しかも英雄の息子ジャバナ・ホワイトフェザーは情報の少ないレナン・棘の精霊の曝露事故経験者。これだけで充分に危機的状況だといえる。


「アシモフ様では?」


 俺を出迎えたのは、いかにも魔道らしい見た目をした男だった。


「あぁ」

「護衛もつけずにここまで? ゴホゴホッ」

「騎馬隊は人手不足でな。アンネとエンヴィーはいるか?」

「重装兵将アンネ様はラクト=フォーゲルの護衛に。魔道軍将エンヴィー様はやぐら防衛の指揮をとっております」

「集めてくれ。状況を確認したい」

「いま持ち場を離れますと、精霊の化け物どもに突破されるやもしれません」


 この兵士はエンヴィーの配下だ。名はクラウス。たしか俺の数年後輩だったはず。


 ゾッとするほど肌の色が悪い男で、線の細い、とても兵士に見えない男。体重が軽すぎたために重装に弾かれ、目の悪さから弓兵隊から追い出され、馬に乗れぬと騎馬にも居場所がなかった。そんなコイツを拾ったのが魔道軍将エンヴィー。


 シーナの軍人なら対外的な敵だけでなく、内に潜む敵とも睨み合わなければならない。


 内側の敵、魔道の連中である。


「アンネとエンヴィーに面会するまではパントダールには戻らんつもりだ」


 フードの奥の瞳が、怪しく光った。


「今回の布陣、作戦にパントダールがどのような役回りをしてるかをご存知でしょう?」

「理解しているつもりだ」

「では持ち場に戻ってください、すぐに」


 これだから魔道の奴らは好かん。


「誰に、口をきいてる」

「……」

「お前が対しているのは、誰だ?」

「……」

「騎馬はいつの時も軍の先頭に立ち、道を切り開く。将たる俺の仕事は、騎馬の進む道を照らすことだ。お前ら魔道が作りだした闇を振り払ってな」

「お言葉ですがアシモフ様――」

「クラウス、だったか。騎馬にも在籍していたな」

「……」

「お前らの魔道の行いを、俺が知らぬとでも思っているのか?」


 わずかな沈黙。


「なんのことでしょう」

「騎馬の光を奪った」

「……」

「発言には気を付けろよ、クラウス。一手、誤れば魔道は死ぬぞ」

「この状況で内輪もめすべきではないと愚考します」


 否定も肯定もなし。


「シーナの柱、魔道と重装の主要部隊がラクト=フォーゲルの防衛をしているのは、どう考えても異常だ。我々騎馬は、光を失った。エンヴィーの策とやらのせいでな。これ以上、お前らの勝手に振り回されるわけにはいかん」

「光とは?」

「それ以上、口を開くなクラウス」


 もし彼を侮辱するような言葉を口にすればその時は、己の立場などすべて捨て、お前を殺す。


「……」

「呼べ、エンヴィーとアンネを」


 クラウスはなにも言わずに、きびすを返した。


 歩く足が震えている。


「……」


 ドット=グラシアが小さく鼻を鳴らす。


「すまんドット、いまのは魔道の男に向けた殺気だ。お前を怖がらせるつもりはなかった」


 アイザック殿の命を奪ったのがエンヴィーであるのは、ほぼ間違いないだろう。シェナさんを殺したのも、魔道の手の者。


 レナン・棘の精霊などという、謎の力を手にしたジャバナを監視するのには異論はなかったが、アイザック殿とシェナさんには罪はなかった。


「アシモフ様、奥へ」


 戻って来たクラウスは、すでに俺の殺気から立ち直っているようだ。気付けをしてきたか。


「必要ない。俺は馬小屋にいる」

「騎馬の大将を馬小屋でもてなしたと知ればエンヴィー様が――」

「黙れクラウス。貴様らのやり口はよく知ってる。ドットを傷つけられるわけにはいかんからな」

「……」


 加護持ちふたりに、ハーデの殺戮兵器。すべての兵を投入せねばならないほどのシーナ未曽有の危機。絵に描いたようにわかりやすい破滅のシナリオ。


 エンヴィーの言が正しいとすれば、の話だがな。


 奴がなにを考えているかなど理解できないし、理解したくもない。仲間を騙し、政治家を欺き、民衆を扇動して都合のいいように事を展開する。奴の口車に乗れば破滅の未来しか待っていない。血も肉も、未来も生活も、なにも残りはしない。


 あるいは、この場で取るべき王は、ジャバナでもなくアデュバルの娘でもなく、殺戮兵器でもない、奴なのかもしれない。ムグラの森の怪異ですら奴の仕業である可能性もあるのだ。


 もてなしだ、などとふざけた理由で魔道の連中が飯と酒を持ってきたが、もちろん手を付けなかった。魔道にとってアイザック殿の派閥出身の俺は敵である。毒を盛るくらい平気でやってのける。


 しばらく待っていると、重装の将アンネが現れた。


「よぉ、クロック。魔道のガキを脅したらしいな」


 重装兵将アンネ・キャルダック。


 アイザック殿以来の武の天才と呼ばれたキャルダック領の令嬢。


 竹を割ったような男勝りの性格、発達した筋肉。騎馬に比肩するほどの槍の使い手でもある。


「脅したつもりはない」

「ほどほどにしとけよ。魔道は執念深いからな」

「執念深さなら騎馬も負けんさ。師を殺された恨み、いつか晴らす」

「おい、私にまで殺気を放つなよ。ゾクゾクするだろ」

「師の最後の戦、重装も関与していたことを、俺は忘れんぞ」


 くくく、と小さく笑うアンネ。


「こっちも被害者さ。悪漢に唆された可哀想な乙女だ」

「ここ最近、重装は力をつけたようだな」

「なにが言いたい」

「相手がドラゴンだろうがグレスラーだろうが、騎馬は臆さぬ、折れぬ。無論、裏工作が偶然うまくいっただけの、愚かな軍人にもな」

「アイザックはもっと賢かった」

「確かに俺よりずっと頭が回った。そして俺よりずっと甘かった」

「ふふふ、魔道のガキでは飽き足らず、私まで脅すか」


 シーナはどこまで黒く染まってる?


 重装は権力の獲得のためだけに魔道に従っているだけ?


 アンネはどこまで嘘をついている?


 アイザック殿の最後の戦に、どこまで関与しているのだろう。この戦いの本当の敵はどこにいる。


「アンネ、この戦場の王は、どこにいると考える」

「加護持ちふたりとマキナ・シーカリウス。それ以外にいるか?」

「お前が信じたものが、お前を救うとは限らんぞ?」

「騎馬の将たるクロック様が下らん陰謀論なぞを信じるのか?」

「状況が雄弁に物語っている。彼ほどの男があんなに簡単に死ぬはずがない」

「……」

「魔道は、いや、お前らは加護持ちを抱えているな?」

「なぜそう考える」


 俺は師の最後の戦いを、シーナに隣接する小国との小競り合いの盤面を、思い出していた。


「突如として天候が変わり、馬の足が止まった」

「よくあることだ」

「重装は急遽騎馬への援護を取りやめ、なぜか魔道も引いた」

「悪天候に弱いのは騎馬だけではない。重装も動きが鈍くなる。エンヴィーは危険を察知して撤退したのだろうよ」

「この上なく悪いタイミングで敵が攻めてきて、この上なく悪い場所を突いた、本当にそうか?」

「……」

「アイザック殿は加護持ちにやられた。天候を操る者だ」


 無表情で俺を睨みつけてくるアンネ。限りなく張りつめた空気の中、ドットが静かに鼻を鳴らした。

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