第八話~芸笑旋笑~

「……見慣れない天井だ……」


 木目の多いシミだらけの天井が目の前に広がっていた。空気中には埃が舞い、一呼吸するたびに湿っぽい空気が肺に流れ込んできた。部屋の角には蜘蛛の巣が張られ、何とも清潔感のかけらもない部屋だなぁ……


「そ、そうだ! 僕は意識を……失って……」


 上半身を起こした僕の目の前に居た人物を見て――言葉を失ってしまった。だってそこにいたのは、例の竜巻を生み出すTREの女の子だったのだから……

 絶句し身動き一つとれない僕を見つめている女の子は傍らにある紙とペンを持つと何かを書き始めた。そうして数十秒後、何かを書き終えた彼女は僕の方にそれを見せてきた。だけどそこに書かれていたものは……


「よ、読めない……」


 字が汚くて読めないという話ではない。書いてある文字の意味が分からないという事だ。言語の壁がないからもしかしたら……と思ったが、そんな甘い話は無かった。

書かれている未知の文字に首を傾げながら何とかして解読できないものかと眉間にシワを寄せながら見つめていると、女の子も自分が書いた紙を見つめ、困惑した表情を浮かべ始めた。ああ! 君の文字が読めないとかじゃなくて……!


「ん? あ! 起きましたか奏虎さん!」


 扉を開けて中に入ってきたのはグアリーレさんだった。眩しい笑みを向けてくれるのは凄く嬉しいんだけど、一体どういう状況なのかさっぱりわからない。先程まで敵対同士だった彼女が目の前にいるのに、なんで平然としているんだ? 


「どうかしましたか?」

「あ、いえ……彼女の書いた文字が読めなくて……ん? 彼女が書いた……?」


 ペンと紙を握りしめている女の子の両手を見て気が付いた。僕の意識が途切れる直前、彼女の両手は光線により消し飛んでいた。けど今は違う。僕はベッドから立ち上がり――女の子の方へと歩み寄った。


「……!?」

「な、治ってる!」


 持っているペンと紙を床に落とさせ、僕はその手を強く握り、また擦りながら観察する。無くなった手は元通りになり、小さく柔らかく、温かくスベスベした手が僕の手の中に包まれている。良かった……本当に良かった……


「あ、あのぅ……奏虎さん?」

「へ?」

「女の子の手を……そんなにマジマジと見つめない方が……」

「あ! す、すみません!」


 握っていた手を慌てて放し、数歩後退する。女の子は握られていた手を優しく擦りながら少し頬を赤らめてそっぽを向いていた。


「ゴホン! 何はともあれ傷が治ってよかった良かったです!」

「………………」


 女の子はその言葉に先程とは違った様子の照れ方を見せた。さっきのは恥かしいと言った感じだったが、今は照れ臭いと言った感じか。

 とここで少し違和感を覚えた。先程初めてこの女の子と会った時や戦闘中などの印象は、無表情で感情の起伏も無く、目の光もないし、何を考えているかさっぱりわからないといったものだった。けど今は違う。一つ一つのリアクションがしっかりとしていて、目の光も強い。抱いている感情がはっきりとわかるくらい表情も豊かで、まるで別人だ。この子……本当にさっきの子なのかな? 相変わらず一言も話さないけど。


「さてと。起きて早々申し訳ないですけど、下の階に来てくださいませんか?」

「下ですか?」

「はい。そこで奏虎さんが眠ってしまった後の話しをします」


 僕は小さく頷いて下の階へ向かう。その時、ふと見えた窓の外では稲光が光っていた。







「起きたか奏虎君」

「はい。グアリーレさんのおかげでもう完治しました」


 下の階、僕が最初にラージオさん達の話を聞いた部屋に到着すると、そこには既に三人と例の女の子が居り、各自が好きな場所に座っていた。


「さてと。まずは礼を言わせてくれ」

「礼? 誰にですか?」

「君にだよ奏虎君」

「ぼ、僕?」


 急にそんな事を言われたもんだから僕は間の抜けた声で返事してしまった。礼? 全然心当たりがないんだけど……一体何をしたっけ?


「君に説得されなければ俺はこの子を見殺しにしていた。それどころか命を奪おうともしていた」

「いやいや。あの場面ではラージオさんの考えも正しかったですから……」


 深々と頭を下げるラージオさんの頭を上げさせると、僕が気絶した後に何が起きたのか話してもらうよう催促した。


「君が気絶した後、女の子を拘束した状態でグアリーレに治療をしてもらったんだ。治療は順調に進み、両手が復活したところでソレは起きた」

「ソレ? 抵抗を始めたとかですか?」

「暴れ出したっていうのなら正解だが、厳密には少し違う。正確には苦しみ出したって言うのが正しい」

「苦しみ出した? グアリーレさんの能力が効いているのに?」

「はい。私の能力は癒すだけで、人を苦しめる力はありません」


 あらゆる傷を癒す能力の歌声を聴いて何故苦しみ出すのだろうか? それは確かに変だ。


「そこで私とラージオ兄さんは相談してそのまま歌を継続し、能力で癒し続けました。時間が経つにつれて少女の苦しみは増していき、そして遂には……」

「遂には!? どうなったんですか!?」

「彼女の体から白い靄のようなモノが飛び出して、上空に消えてったんです」

「白い靄? と言いますと?」

「俺が能力を使う時に体から出る靄みたいなもんだ。ということは……」

「彼女はTREの能力で操られていた?」

「はい。それ以降は見ての通りです。明るく表情も豊かでとってもいい子になりました」


 女の子同士で顔を合わせて笑顔を向け合うグアリーレさん達。そんな光景を見ているとこの世界で起きていることが嘘のような感覚に陥る程微笑ましく、人と人との触れ合いを見れたからかな? いいものが見れて心が和んだ。


「成程ね……そんな事があったんだ」

「本当だぜ。オンダソノラ、お前がいればもっと早くカタが着いたのによ……」

「留守番だったから仕方ないじゃないか」

「まぁまぁお二人とも! 今はそんな話良いじゃないですか!」


 軽い口喧嘩を起こした二人をなだめながら、僕は女の子に話しを振った。


「それで……君自身から直接聞きたいんだけど、どうして真王の手先になってしまったのかな?」


 女の子は小さく頷くと手にした紙とペンで何かを書き始めた。


「ん? 何で文字を書くの? 口で説明してくれればそれでいいのに……」

「………………」


 そんな僕の言葉を聞いて女の子の手が止まった。紙を見つめたまま切ない表情になり、何やら困惑した様子だ。他の皆さんは何かを察したような顔をしているけど……。何とも言えない空気が流れている中、グアリーレさんが話し始める。


「奏虎さん。その……彼女、旋笑めぐえちゃんは声が出せないんです」

「え? 声が出せない?」

「はい……理由は……その……」


 その言葉を遮るように女の子……旋笑さんって言ったっけ。彼女は手を上げてグアリーレさんを黙らせ、紙に何かを書き始めた。十数秒後、文字が書かれた紙を僕らに見せてくるんだけど、相変わらず何が書いてあるのか読めない……その様子を察してか、グアリーレさんが旋笑さんに告げる。


「旋笑ちゃん。奏虎さんは字が読めないんです」

「…………?」

「あ、いえ。グアリーレさん。僕が自分から話します。旋笑さん。信じられないでしょうけど、僕はこの世界の生まれじゃありません」

「…………!?」


 驚きの表情を浮かべる旋笑さんに僕は全てを話した。どうやってこの世界に来たのか、なぜこの世界に来たのか、ラージオさんと知り合った経緯やなぜあの場所に行ったのか、全てを包み隠さず話した。

 旋笑さんは時折驚きの表情を浮かべるものの、最後までちゃんと聞いてくれ、話が終わると小さく溜息をついた。


「ということです。なので僕は文字が読めないんです」

「………………」


 旋笑さんは顔の前でOKサインのジェスチャーを取り、笑顔を僕に向けると再び紙に何かを書き始め、それをグアリーレさん達に見せた。


「良いんですか旋笑ちゃん? 私達も聞いてしまって?」

「………………」


 旋笑さんは小さく頷いた。その様子を見たラージオさんはオンダソノラさんと目を見合わせ、何かアイコンタクトのようなものを取る。


「俺達はいない方が良いかな?」

「奏虎君と女の子二人の方が話しやすいんじゃない?」

「………………」


 旋笑さんは首を左右に振り、その提案に否定的なリアクションを取る。その行動を見たグアリーレさんはそっと立ち上がって旋笑さんの横に座った。


「……わかりました。それでは私が読み上げますので、皆さんは聞いていてください」


 旋笑さんは大きめの紙に何かを書きなぐり、数行ほど書いた後にグアリーレさんに手渡した。


「ええっと……『ワイの名前は芸笑旋笑げいわらい めぐえ。笑いの国出身の元芸人や』」

「笑いの国?」

「笑いの国って言えば一年中笑いの絶えない国で、訪れた者はあまりの面白さに腹筋が筋肉痛になり、過呼吸で倒れるって噂を聞いたことがあるな」

「大道芸に噺家、芸人で溢れる国……そうか。君はそこの出身だったのか」


 誇らしそうに胸を張る旋笑さん。今の説明を聞くと、どうやら笑いの国というのは僕の世界で言うお笑い芸人や落語家、サーカスやパフォーマーが集う国という感じかな? そして目の前にいる芸笑旋笑さんはその国で芸人として暮らしていたということか。口調も関西弁っぽいしね。


「『そんなある日、世界の地形が変わった例の事件が起き、ワイらの生活は一変した』」

「宝物狩りか……」

「………………」


 旋笑さんは小さく首を縦に振った。宝物狩り……自分の宝を奪われる最悪の行為だ。


「旋笑……いや、名前呼びは失礼でしたね」

「……?」


 そんな言葉に首を傾げ、空いたスペースに何かを書き込む。それをグアリーレさんに見せると、グアリーレさんは笑みを零して僕の方を見た。


「『遠慮することはない。名前呼びでええよ』だそうです」

「女の子を名前呼び!? それはハードルが高いですね……」

「あら……私も名前呼びなのに?」

「そ、それは兄妹なので被らないように……」

「おら! 良いから呼んでやれよ!」


 ニヤニヤと茶化すような表情で、言ってごらんと言わんばかりの笑みを浮かべながら煽りを受ける。ああ! もうわかりましたよ!


「旋笑! これでどう!」

「………………」


 うんうんと二回首を縦に振って無邪気な笑みを零す旋笑。言った僕の方が顔が火照り、何ともむず痒い……! さっさと質問しちゃおう!


「旋笑は何を奪われたの?」

「!」

「「「…………」」」


 部屋に流れる空気が一変した。

 僕のその言葉に旋笑は顔を引きつらせ、グアリーレさん達は呆れ半分、苦笑い半分と言った表情を浮かべて、皆バツの悪そうな顔をして視線を様々な場所に飛ばす。


「奏虎君。知的好奇心はわかるが、もう少しこの世の中の礼儀を知っておいた方が良いぞ」

「え?」

「今君はこの世界最大と言っていい程のタブーを口にしているんだ。自分が同じことを聞かれたらどんな気持ちになる?」


 ラージオさんとオンダソノラさんの問いかけに僕は少し考えてみる ええっと……もしも僕がトランペットを奪われたらってことでしょ? う~ん……それはあまり思い出したくないし、話したくもないかも……


「あ……」

「気づいたかい? そう言うことさ」


 僕は何て愚かな質問をしたのだろう。人生最大級のトラウマ事件を思い出させ、それを口にしてみんなの前で公表しろ……そんな事を言っていたのだ。奪われていない僕ですら不快な気持ちになったのに、実際に奪われた本人達の気持ちは……計り知れないものだろう。


「ごめん旋笑。僕が無神経すぎたよ」


 僕は立ち上がり、額が膝に付くぐらい体を曲げて、今出来る最大の謝意を込めて謝罪した。そんな僕に対して旋笑は焦った様子で手を振って紙に何かを書いた。


「『気にすることはない。その気持ちだけで充分』ですって」

「ありがとう旋笑」

「『うん。でも話してあげる。ワイが何を奪われたのか。一体どうしてTREになったのかを』」

「え? 良いの?」

「『命を助けてくれた礼や』ですって」

「旋笑……」


 親指を立てて八重歯を見せながら笑う旋笑は紙とペンを置いてその場に立ち上がった。そして、首に巻かれたマフラーをゆっくりと脱いでいく。そうして露わになった喉元にあったのは……

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