後日談「ハル、故郷へ帰る」

「困りましたね……」


 ハル・クオンは、父親からの手紙を丁寧にテーブルに置くと、腕を組んで息を吐いた。


「どうした? 困りごとなら力になるぞ?」


 例の眼鏡をかけて、隣で書類を処理していたシルヴィアが、手元から目を離さず言った。

 あれ以来ふたりとも事後処理やら新たな仕事やらで大忙しなのだが、「仕事以外で逢えないなら、一緒に仕事をすればいい」と言うシルヴィアの目から鱗のひらめきで、いつも2人は会議室で机に向かっている。


「父を王都に招待した件ですが、案の定というか、送ったお金は全額送り返されまして。『お前も苦しいのだから無理をするな。こちらは大丈夫だ』だそうで」

「ふむ、御父上はハルに似て一本気だな」

「……僕はあんなに頑固者じゃありません」


 拗ねたように腕を組む送るハルに、シルヴィアは「それは、今までの行動を省みた上での発言なんだろうな?」と半眼で駄目出しをする。


「……二の句が継げません」

「気にするな。お前のそう言うところは、私がフォローすればいい」

「シルヴィア……」


 仕事道具を放り出し、恋人の手を握ろうとするハルだったが、来訪者の咳払いがストップをかけた。


「はいはーい。バカップルさん達、お仕事の手を止めないでねー。もう、胸やけしそう」

「……エマさんだけには言われたくないです」


 エマ・スーリーヤが持ってきたのは、女王からの手紙。今月の報告書に対する返答だ。研究についての情報は極秘なので、読んだらすぐに燃やすか金庫行きである。

 内容は概ね問題ないものだったが、両親の件は急げと催促の一文を見つけて頭を抱えた。


「あー、バッドなタイミングですね。僕の両親に早く話を通しておけと」

「ん? なにか問題あるの?」


 首をかしげるエマに、父からの返事を手渡す。

 彼女は「あれま」と驚きの声を上げて、「さすがハル君のお父さんだねー」と失礼な感想を漏らした。


「でもどうするの? ちゃんとご両親に報告しておかないと、クオン研究所が公表されたとき、ご両親パニックを起こすわよ? 下手をすると外国の間諜に拉致られるかも」


 その件が無いにしても、非公認とは言えハルは公爵令嬢の婚約者だ。両親や弟妹に対しても、必ずよからぬ輩が接近してくる。

 その為、女王リビエナは家族に護衛を付けるから話を通しておけとハルに命じたのだった。要人警護は守られる者に自覚がある方がより難易度が下がるからだ。


「もういっそ、ハル君が行っちゃえば?」


 エマの言葉に、故郷の山々を思い浮かべる。

 段々畑と山の夕焼け。たい肥や羊たちの匂いですら懐かしい。

 出来る事なら、シルヴィアを連れて行って、自分が育った故郷を見てもらいたい。

 だが、ここで仕事を放り出すわけにはいかない。


「あと数か月もすれば、幹部も育つし人も増えるから、時間の自由も利くんですけどね」


 ハルは遠い目で書類の束を見下ろす。

 今は何より、研究所を軌道に乗せる事だ。

 シルヴィアとの結婚の為にも。


「お前たち、さっきから何を行っているのかと思ったが、里帰りしたければ別に日帰りで行けばいいだろう?」


 日帰りで?

 ハルが王都に来るまでは、それなりに長旅だったのだが……。

 今一つシルヴィアの意図が呑み込めないハルに、彼女は会議室のガラス窓を開けて見せた。


 そこには、模擬空戦を行っている竜騎兵たちの勇姿があった。




「ねえ、お父さん。王都には行けないの?」


 無邪気な瞳で父を非難する妹のルルを、「駄目だろ? ハル兄ちゃんも大変なんだって」と窘めたロロ・クオンだが、内心では良く言ってくれたと喝采を送っているのが見え見えだ。

 息子2人から期待の目で見つめられた父ジルバは、一度は叱りつけようと肩を怒らせたが、無理も無いなと思いなおし、柔らかな口調で諭した。


「ハルから手紙には公爵様の支援を受けているとあったが、あいつのことだからどうせその金には手を付けず、生活費を切り詰めて金を送ってきたんだろう。お前たちはそんな金で気兼ねなく遊べるか?」


 兄妹は頭の中で王都の光景と兄の暮らしを天秤にかけ、後ろ髪を引かれながら兄を選んだ。

 先日の巨大竜出現のニュースに、兄は無事なのかと眠れぬ夜を過ごした兄妹である。

 ジルバは偉いぞとふたりの頭を撫でてやる。


「でも、寂しい思いをしているでしょうから、皆でお手紙を書きましょう」


 母ミヤが食卓にパンを並べながら提案し、子供たちは強く頷く。

 本来は貴族でありながら子供たちにもっと豊かな暮らしをさせてやれない事を詫びるべきなのかもしれない。

 だが、ジルバはそれをしなかった。

 今ある幸せをかみしめて生きなければ、生きている事にならない。

 ジルバは父からそう教わったし、父も祖父から教わったと言う。


 せめて長男のハルだけでなく、この2人にも学校くらいは入れてやりたいとは思うが、金も無ければ人もいないクオン男爵領では、子供も貴重な労働力だ。

 王都への招待を断ったのはハルに遠慮して、と言う理由は本当だが、今年は王都で出現した巨大な竜の影響か、下級竜が人里に現れると言う事件が近隣の領地で起きており、今は家畜の見張りを減らしたくない。もちろんこれはハルに告げてはいないが。


「兄ちゃん、元気かなぁ」


 ロロが窓の外から覗く夜空を眺める。

 その向こうには、噂に聞く王都があった。

 しかし、彼の哀愁は、すぐに驚愕に変わる。


「父ちゃん! 空に!」


 椅子を跳ね飛ばして窓に取りつく息子を、行儀が悪いと今度こそ叱ろうとして、開いた口はそのまま停止した。


 上空には、数騎の飛竜が旋回しながら村の広場に降下しつつあった。


 村の広場に降り立った騎竜は、領主の息子と赤毛の令嬢、そしてそれを守るように数名の竜騎士たちを大地に下ろすと、役目は終えたとばかり大地にうずくまった。

 遠巻きにこちらを見守る村人たち、そして家族を見やって、ハルは「やっぱりこうなりました」と頭を抱えた。


 ハルに与えられた権限なら、飛竜で会談に赴くことなどたやすいことではある。

 しかし、帰省の為にそれをやってしまうのは、領民たちに自分の立場について暴露することに等しい。

 提案してきたシルヴィアにそう伝えると、彼女は全く動じていない様子で、「恋人の家に挨拶に行くことに、何か不自然な事があるか?」と一笑に付した。


 現在、彼女とハルとの関係は、極めてあやふやだ。

 シルヴィアを命がけで守ろうとしたハルの評判と、学内で見せる仲睦まじい姿から、2人が恋人関係にあるとは思われてはいる。だがまさか公爵家、いや王家までお墨付きの仲だとは誰も思わず、公爵令嬢の火遊びだと思われていた。経緯が経緯だけに、割と味方は多かったりするのだが。

 それを危惧して、公には逢わないようにするべきではと泣く泣く告げたハルに、シルヴィアの返事は「気にするな」だった。


『それに、噂がどうとかよりハルと逢えない方が、私は嫌だ、ぞ?』


 上目遣いでそう言われたら、もう何も言えない。

 黙って彼女を抱きしめて、「もう少しだけ、待ってください。必ず悪い噂は晴らします」と囁いた。

 それが先月の事である。


「騒がせて済まない。私はシルヴィア、バスカヴィル公爵家の者だ。今日はクリエンテスの故郷を見に来ただけで、特に事件が起きたわけでは無い。迷惑料と女王陛下の即位祝いにワインを運んできた。一杯やって水に流してくれ。子供には菓子もあるぞ」


 いつもなら、クリエンテスの故郷に押しかけてくる公爵令嬢に邪推の一つもするだろうが、村人たちは大急ぎで酒樽の前に列を作り、普段は味わえない上質のワインを楽しむ。

 かといって、ハルの事を忘れたわけではない。ワインは待ってはくれないが、領主様の息子をめぐるゴシップは待ってくれるのだ。


 辺境の民は相応に図太かった。


「では、クオン男爵。少しお話がしたい。お時間を貰えないだろうか?」


 混乱から目覚めた父は、平身低頭して「汚い家ではありますが」と右手で自宅を指し示す。

 不安そうにハルを見上げる弟妹を撫でてやり、「大丈夫だから」と安心させてやる。

 こういうやり方は2人とも本意ではないが、どの道このまま状況を放置すれば、女王からの呼び出しがある。

 何があったのかと恐怖に震えながら王都まで旅をさせるより、ここで一気に説明してしまうべきだろう。


 強張った父の表情と、気丈にも笑顔を崩さない母を見ると、罪悪感でいっぱいになりはしたが。


 家に入るなり、父ジルバは見事な土下座を決めた。


「ハルの奴が何をしでかしたかは知りませんが、こいつが男として決めて行動した結果なら、喜んで連座させて頂きます! しかし、妻と幼い弟妹たちはどうか……!」

「と、父さん! 違うんだって!」

「お前は黙っていろ! 父ちゃんはお前を一人で逝かせたりはしないからな!」


 王子に喧嘩を売った手前、ハルはもはや何も言えない。実際のところ、場合によってはそのような話にもなり得たのだから。

 一方のシルヴィアは笑いをかみ殺した表情で、膝をついてジルバを立たせた。


「安心、いえ納得しました。ハルのまっすぐさが誰から受け継いだものかを知る事が出来ました。いらぬ心配をかけたことを謝罪します”義父上ちちうえ”」


 ジルバは素っ頓狂な声で「義父上!?」とオウム返しにし、母ミヤが「まあ!」と両手を合わせて喜色を受かベる。

 子供たちは理解できない様子だが、どうやら悪い事が起きている訳では無いと安堵の息を吐く。


 本来なら、公爵家の令嬢が男爵に敬語を使う事は無いのだが、ハルの立場が立場である。フィークシン理論が公の者になれば、彼にもそれなりの”格”が与えらえるし、彼女の気性から言って自分の両親にはフランクに接したがるだろうとは予測していた。

 だから、話は家の中でする段取りだったのだが、それがかえって混乱を招いた様だ。


 それを終息させたのは、母の鶴の一声だった。


「あなた、何をやってるんです? せっかくハルがお嫁さんを連れてきたのよ? おもてなししないのは男爵家の名折れでしょう?」


 ジルバは「それもそうだ!」と立ち上がり、鶏小屋の鶏を絞めに行く。

 ロロとルルは目を輝かせながら、「こんな綺麗な人、何処で見つけてきたの?」と質問攻めにしてくる。

 シルヴィアはそれに対して真正直に「ハルが私を救ってくれたんだよ。命がけでな」と説明し、2人は「おおー」と歓声を上げる。


「あの、シルヴィア、恥ずかしいんですけど……」

「……私もだが、お前の家族に嘘はつきたくない」


 かまどの火を調節していた母が「あらあら、ご馳走様」と冷やかしてくる。

 これで状況が分かって言っているのだから恐ろしい。

 父ジルバは、意志の強さこそエリート竜騎兵に勝るとも劣らないが、胆力と言う点で母ミヤには遠く及ばない。




「偉いっ!」


 男爵は秘蔵のエールを一気飲みし、大声で息子を称えた。

 彼はシルヴィアの口調や態度から、畏まった態度を望んでいないと読み取ってくれた。こういう敏さはハルの父親だけある。


「ありがとう父さん。これからは金銭面でも楽をさせてあげられるし、人を雇うことだって……」

「確かにお前の頑張りが認められたのは嬉しいが、そんな話・・・・は重要じゃないだろう?」

「えっ?」


 父はジョッキにエールを注ぎ、「わからないか?」と問いかける。

 いつもの事だが、ハルは自分の事になると恐ろしく鈍感だ。

 義父の話を呑み込めない様子のハルに、義母は「シルヴィアさんの話よ」と助け船を出した。

 シルヴィアと言えば、これから始まるであろう面映ゆい話に頬が熱くなってゆく気がして、ジョッキを傾けて誤魔化して見せた。


「そうだ、大切な人の為に体を張ったそうだな。お前は『自分が我慢すればいい』みたいな逃げ方をする子供だったが、絶対譲れないもののために命をかけられる男になった。それが嬉しいんだ。俺も母さんを侮辱されたら王子だろうが騎士団長だろうが手袋を投げるしな」

「もう、お父さんったら!」


 熱い視線を交わす両親に苦笑しつつ、不意を突かれて照れくささに悶える恋人を見やる。

 恐らく、研究の事ではなく、彼が一番認めて欲しいのはきっとそこだったのだ。

 父親には仕事の成果ではなく、その裏にある”自分の生き方”を見て欲しかったのだろう。

 それをごく自然に認めた義父を、素直に尊敬できると思った。


「また”あのスープ”が飲めたな」


 優しく語り掛けるシルヴィアに、ハルは「あなたのおかげです」と囁いて、彼女の手を取る。


 シルヴィアも、父から愛情を受けていると言う自負はある。

 だが、その関係は一線が引かれていて、愛情と敬意が曖昧なのが、時々もどかしく感じる事がある。

 それが貴族であり、不満に思った事はない。


 不満には思わないが、ごく自然に愛情を確かめ合う目の前の親子が、少し羨ましかった。


「ねー、ちゅーするのちゅー?」

「ばかっ、いま良いところだから邪魔しちゃ駄目だろ?」


 弟妹に期待の目を向けられ、ハルは慌てて後退する。


「いや、人前ではしないから!」

「あらあら、人前で”は”ねぇ」


 言質を取られたハルは固まり、シルヴィアは赤面して視線を落とす。

 我が婚約者ながら、王子の側近たちと舌戦を繰り広げたあの弁舌は何処へ行ったのかと思う。


「そ、そうだ! それはそうと僕は日帰りで来たので、もう帰らないといけないんだ」


 ハルの言葉に、家族たちの表情が曇る。まだ語り明かしたいことは山ほどあるだろうから。

 もうちょっと言い方があるだろうと、視線で叱ったら捨てられた犬のような顔をされた。可愛い。


「そうか、今度はいつぐらいに……」

「何言ってるんです? 皆も一緒に王都に行くんだよ。非公式ですが女王陛下からお召がかかってるんだから」


 「女王陛下」の単語を受けて、義父が口に含んだエールを噴射しそうになり、口を抑えて堪えると、ごくんと一気に呑み込んだ。


「俺は下級貴族だぞ!? 何で王城に呼び出しが!」

「それはその、ハルの実家は取り込んでおかないと後々まずいですから。将来的にはそれなりの待遇が与えられることになるかと」


 我ながららしくない歯切れの悪さで、シルヴィアが説明する。


「いや、だが農作業と羊の世話が……」

「気にしなくて大丈夫。下級竜は今日運んでくれた騎士たちが訓練代わりに狩ってくれるし、必要があればまた飛竜でとんぼ返りすれば良いから」


 弟妹の顔がぱっと輝く。

 2人の目には既に、まだ見たことのない王都の光景が浮かんでいるようだ。


「……俺は、トンビなのに鷹の子を生んじまったんだなぁ」


 しみじみと語る義父に、義母は「それこそ何を言ってるんです?」と呆れたように告げた。


「鷹の子を育てられるのは鷹だけでしょう?」


 父はまいったと両手を上げて、旅支度を始め、弟妹たちがきゃっきゃっと騒ぎながら後に続く。

 まいったと言う思いはシルヴィアも同じだ。この義母にはこれからの人生教わる事は多そうだ。


「なあ、ハル」


 そんな様子を微笑ましく見守りながら、シルヴィアは何ともなしに、だがはっきりと問いかける。


「私たちが作る家族も、こんな感じならいいな」


 ハルは一瞬驚いたようにシルヴィアを見つめ、「はい!」と元気よく肯定した。

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恋愛相談スキルで救う悪役令嬢 ~王子が彼女を連れて行くなと言うが、もう遅い~ 萩原 優 @hagiwara-royal

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