Episode:3ㅤ『Us and Them』

ㅤ高度30000フィート。視界液晶の『RA電波高度計』に、白い文字でそう記されている。空中に身を投げた私は、『NVD暗視装置』のデバイスを起動する。その瞬間、視界は緑一色に染まった。同時に、目の前で降下を行っている隊員達が装備しているHOLUSから、ちらちらと点滅する光を確認した。『IRストロボライト』だ。NVDを通すことで、初めて視認する事が出来るストロボライト。隊員の救援要請時に位置を知らせたり、作戦行動中の隊員の現在位置を把握する為に使用される物だ。

ㅤ周りを見渡してストロボの光を辿ると、全隊員共にコースを維持しているのが見える。問題は無さそうだ。


ㅤしかし、この作戦行動をよく『鳥』に例えられたりするが、約300km/hの降下による、強化外骨格を軋ませる程の凄まじいGの圧と、全身にドライアイスを敷きつめられたかのようにも感じる寒冷な風を受け、一つの目標に向かって落ちていく様は、どう形容しても鳥とは呼べないだろう。『隕石』の方がよっぽど近い。私達に翼のようなものが備え付けられていれば、また違ってくるだろうが。と、少し低俗な事を考えてみる。


ㅤ人間の時代の話。『翼』は神聖なものとして見られていた。神話を題材にした絵画や宗教画では、天使の類は皆一様に、翼を背に宿している。そのような美術作品を見て、単にそれを美しいと見るか、人間の欲深さを感じるか。私は後者だ。

ㅤそもそもの話、元々天使には翼は無く、有翼人物像としての天使が描かれるようになったのは4世紀半ば頃の話である。それまでの天使は、一般人と変わらない描かれ方をされていた。聖書に出てくるセラフィムやケルビムは翼のある天使と記述はされていたが、その姿は人間と言うより聖獣や幻獣に近い。なぜ一般の天使が翼を持つとされていったのか、その諸説は様々な解釈をされているが、はっきりとは判明していない。


ㅤ天使の象徴とも言える『天使の輪ヘイロー』でさえも、初期の天使画には描かれていなかった。現在における天使像は、歴史の積み重ねによって組み上げられた、いわば集合的無意識による存在なのである。だからこそ、それらの芸術作品には欲深さしか感じないのだ。個人の解釈で自身の理想像を描き上げ、まるでそれを正規のように扱う。それを中には、『神のお告げ』だという者もいるのだから、人間の想像力というのは底知れない。


ㅤ『高高度降下低高度開傘』。私たちが今行っている降下作戦の事だ。通称『HALOヘイロー』と呼ばれているが、それが天使の輪と同じ名前というのもなんだか皮肉にも思える。翼も無く、現在兵器で武装された隊員が落下していく様を、誰が天使と呼べるだろう。どちらかと言えば堕天使だ。


ㅤそんなくだらないことを考えているうちに、既に高度表記は5000フィートを下回っていた。段々と下の景色も鮮明になっていく。とはいっても、暗視装置を通して見ているので、はっきりとは分かりづらい。高度3000フィート、1000フィート……。



《MC-4、開傘》



ㅤ低高度(984フィート)に達した瞬間、思考音声でラムエア型パラシュート『MC-4』を開傘させる。すると、HOLUSのバックストアが開き、その中からパラシュートが現れる。それと同時に、私の身体は一気に上に引っ張りあげられるように浮かび上がっていく。降下によるGは消え去り、緩やかな浮遊感へと変わった。他の隊員達もそれぞれのタイミングで開傘し、降下目標地点へと向かっていく。

ㅤ500フィート……300フィート……森林地帯が近づいてくる。150……50……。地面はほぼ目の前。私はパラシュートを操作して木々を避けながら、目標地点へ降りていく。30……10……0フィート。



ㅤ地に足が着く。葉を踏みしめる微かな音を立てながら、体勢を崩さないよう、ブレーキをかけるように足を素早く動かした。少し前方へ進んだところで、段々と動きも安定し、足の動きも遅くなっていく。遂には体の動きも止まり、私はその場にゆっくりと屈み込んだ。降下完了だ。



《MC-4、収納開始》



ㅤ思考音声でそう告げると、シュウウウ……という吸引音を上げながら、急激な速さでパラシュートがHOLUSのバックストアへ収まっていく。完全に吸引されると、勢いよくバックストアが閉じた。



《HASD起動。周辺スキャン開始》



ㅤ収納が終わると、辺り一面を《HASD高精度電波精査装置》でスキャンする。半径30メートル以内のアルディノイドの位置を感知できるシステムだ。九名の電波反応を確認。敵の反応は無し。どうやら全員無事に降りたようだ。私は立ち上がりながらゴーグルを外すと、全隊員の降下場所から『平均中心地』を割り出す。そして、自身の装備確認を行った後、視認による人数確認の為、平均中心地へ向かった。









《"ローズバッド"本隊へ、応答せよ。こちら"ローズバッド"実動部隊。感明送れ》



ㅤ思考音声通信で本部に連絡を取る。数秒の間が空き、一瞬ノイズが走る。繋がったようだ。



《ザザ……こちら"ローズバッド"本隊、感明極めて良好》



ㅤローベルト大佐の声が聴こえる。音声は至ってクリア、互いに異常は見られない。



《了解。全隊着地完了。状態確認良し。"ブラック・スワン"は帰還。敵の現在位置の報告を》


《敵の現在位置は変わらない。少数だが敵の出入りが見られる。主要目標地へ支援物資を搭載した撤退用グラディエーターを搬送する際、プランCへ移行する可能性を予想。敵の増援に備えよ》


《了解》



ㅤ私は本部との通信を切る。視界液晶には主要目標地を中心に、PGNの軍用ソフトウェアによる『UTM座標』が記されており、四方100キロメートル圏内を各ブロックごとに区切って、AO作戦地域内の正確な現在位置を割り出している。赤い点のマーカーで示されているのが現在地。降下目標地点からの大きなズレはない。私は立ち上がって、前方へ歩き出す。


ㅤ近傍は無数の木々や雑草で囲まれている。晩秋特有の爽風は囃子となって、緑の謡を響かせるようにさざめきを立てる。秋の四季色に合わせ、一面は唐紅・黄朽葉色を中心に染まり、地面にも枯葉の絨毯を敷く。宵に覆われ殆どは色を失っているが、月明かりを浴び紅葉の欠片を覗かせていた。都市の光害で掻き消された星々も光を取り戻し、その身を輝かせている。視界に映るそれらの光景に思わず気を取られそうになるが、瞼を閉じて気を一掃し、ポジションに着いて待機しているセスの元へと向かう。


ㅤ視界液晶にセスを確認すると、HOLUSのインターフェースに接続し、軍用ソフトウェア、IFF敵味方識別装置を作動させる。その瞬間、視界液晶に正方形の白いマーカーが表示される。マーカーは虫が飛びまわるように不規則に動き回った直後、セスのHOLUSから発せられた電波を受信し、彼の位置に固定され、緑色に切り替わる。《ステータスグリーン》、彼は味方であると言う事だ。

ㅤセスへ近付きながら様子を見ると、屈みながら右耳に手を添え、送信された情報や、荷物を整理しているようだった。



「行けそう?」



ㅤ話しかけると、セスは一瞬こちらを見た後、再び自身の荷物の方へ視線を戻して整理を再開する。



「ええ、今のところ事前情報との差異は無いですからね。磁場やEA電子攻撃による位置情報の乱れも無さそうだ」セスは荷物の整理を終えると、重そうに腰を上げる。「しかし夜なのが惜しいな、せっかく紅葉の季節なのに」


「帰る頃には見られるんじゃない?」


「夜明けの紅葉……期待しておきますよ」



ㅤセスはそう言った後、こちらを向いて静かに頷く。私はそれを合図にアサルトライフルのグリップを握った。XM10のグリップに埋め込まれた内蔵コンピュータのセンサーに触れた事で、瞬時にRBD残弾数確認機能が作動し、視界液晶には残弾数が表示された。それを確認した後、私は裏で待機している隊員の方へと向き、声掛けを行う。



「では全隊、行軍を開始する。主要目標地まで距離およそ7.5キロメートル。視界の確保を行いながら進め。ポジションを乱すな」


「「「了解」」」



ㅤ全隊員の応答を聴いた私は「出発」と一言告げ、先陣を切って秋川キャニオンの森林地帯を歩き始めた。後方の隊員達もそれに続き、『ロウレディポジション』の姿勢で歩き出す。



「さて……短い夜になるといいが」



ㅤドワースは私の右方を歩きながらそう吐き捨てた。左方を移動するカイルが、それに反応して笑っている。



「一眠りでもする気か旦那?ㅤおねんねにはまだ早いぜ」



ㅤカイルのからかいに、後方を歩くハワードは言う。



「"赤ちゃん"は寝る時間だろ?」



ㅤその冗談に対してカイルは笑っていたが、ドワースはハワードを睨みつけていた。「おお怖い怖い。軍曹がお怒りだ」とハワードは身体を震わせるフリをする。



「オムツ交換は必要でありますか、軍曹?」



ㅤカイルが畳み掛けるようにジョークをかますと、周りからは、すすり泣きとも笑いを堪えているとも取れるような引き攣った声がちらほらと聞こえてくる。ドワースは非常に気に食わないといった様子だが。



「お前ら……5.56mm弾ぶち込まれてぇのか」



ㅤ眉間に皺を寄せ、口角をヒクつかせるドワース。怒りを抑えている――いや、羞恥心に身を悶えている、と表現した方が近いだろうか。私にはそう見える。

ㅤドワースはそれに耐えきれなくなったのか、空気を一掃するように大きく咳払いをすると、そのまま話し始めた。



「真面目な話、テロリストの大半は破壊思想ヴァンダリズムの精神に乗っ取って反政府活動を行うわけだ。俺はそれを援護するわけじゃない。しかし、圧倒的不利な状況で撤退も和平交渉もせず、捨て身で猪突猛進的に特攻してくる輩を撃った時、何となく哀れに思えてきてね。そこまでの根気と執念を持ち合わせた奴らだ、もっと良い方向に役立てる事だって出来たはずだろうに。そういう輩は大抵貧困テロの連中で、記憶のバックアップも行えない状況下なのがほとんどだ。検挙じゃなく破壊を目的とした弾圧作戦だった場合、そいつらを破壊したら記憶はもう二度と戻らない。そこまでして、俺たちに抗いたいもんかねと思ったわけさ」



ㅤドワースが持論を語り終えると、少しの間静寂が訪れる。先程の軽快な雰囲気にやられていたのもあるだろうが、それぞれが考えを巡らせているのか、黙り込んでいる。その流れを絶つように、私は彼の言葉にこう答えた。



「……"生きる"実感を得られる対象が、彼らにとってテロリズムだった。ただそれだけの話じゃないかしら?」


「まぁな。確かにその通りなんだろうが……」



ㅤドワースが言葉に詰まっていると、ハワードと共に後方を歩いていたケンが、重い口をゆっくり開けるように、話し始めた。



「……『戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である。』」


「ジョージ・オーウェルか?」ドワースは言う。



ㅤドワースが答えると、ケンは頷いた。



「奴らの破壊思想も、環境による思想の歪み……端的に言えば『洗脳』。人は他より何より、自身の体験に基づいた世界を信じようとする。宗教のようなものだ。例えるなら、自身の中に巣食う『神』への崇拝に近いだろう」


「まるで『汎神論』ね」私は言う。


「『自由は屈従である。』……正にこれだ。自由なんて最初から存在しないに等しい。形はどうであれ、人は『神』には従順だからな。政府に抗う事は出来ても、自分自身には逆らえない……俺はそう解釈している」


「悲しい話だな」



ㅤドワースはそう言って、複雑そうな表情を見せる。



「それでも彼らにとっては、名誉な事なのかもしれないわね」



ㅤ自身の中の『神』。盲目的と言うべきか、実存主義的というべきか。

ㅤ誰しもがそれぞれ違う解釈の『神』を宿らせている。テロリストは勿論、私達も。昔なら、プシュケーの概念と繋げたものだろうが、アルディノイド化した今、それが正しい表現なのかは分からない。しかし、自身の確立は記憶の延長線上で成り立っている事は確かである。自信の中に巣食う『神』というのは、『自己超越性』の体形と呼べるだろう。


ㅤ言うなれば、私達はこの作戦で、彼らの中に多種多様に存在する『神』を破壊しにいくというわけだ。こう言い換えると神話の世界の話のようで、あまりにも馬鹿げているし、罰当たりのような気さえしてくる。

ㅤそう考えると、彼らにとっての神を破壊する行為を審議する、第三者的立場から傍観する『神』は、一体どこに存在するのだろうと思考する。まぁ、神の存在否定を諭したようなこの身体でそれを問うても、多分に無意味である気がするが、イデア論が示すように美の真実を知りたいのが人の常というものだ。


ㅤしかし、自分に巣食う神がいるとしたら……私にとっての神は……。



《あなたはただ、本当の自分自身を理解しようとしていないだけ》



ㅤ悪魔が囁くように、ヴェイルの言葉が響く。恐怖するよりも先に、その声の心地良さに震える。彼女の思考が侵食していくのを、私は深層意識の奥底で感じているのだ。理解するな。彼女は決して『神』などではない。『悪魔』なのだから。

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PSYBERNETICS @eyecon

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