雨と猫


 俺は珍しく一人で下校をしている。

 周りには生徒たちは学業から解放されてのびのびとした顔をしてた。




 今日の昼休みは楽しい時間を過ごす事ができた。

 田中はスッキリとした顔で花園とお喋りを楽しんでいた。

 花園はそんな田中に戸惑っていたが、何か腹をくくった様子であった。



 俺の今日の昼食は梅干しご飯にひじきの煮付け、生姜焼きである。

 料理をするのは好きだ。レシピ通りに作ると美味しいものが出来上がる。実験をしているみたいで楽しい。作っている時は料理の事しか考えない。

 花園と田中が仲直りできたら、俺は弁当を作ろうと思っている。喜ぶかな?



 俺は話し込んでいる花園と田中に一声かけて一足先に教室へと向かった。

 後ろ髪をひかれる思いだが、田中が今日の帰りに花園と話すと言ってくれた。俺は――それを信じよう。







 花園と田中は放課後の視聴覚室で話をするようである。


「今日は何も予定が無い。久しぶりだ」


 花園と下校する時は必ずどこかに寄る。

 アルバイトはまだ続けているが、たまにしか働いていない。

 大学生の田代がアルバイトを辞めたと聞いた。彼の素行は調査済みだ。大学に詳細を添付して送ってある。きっと立ち直ってくれるだろう。


 人生は長い。だけど、俺は――縛りがある。

 高校卒業。

 それが一つの区切りであった。


 野良猫が俺の目の前を通り過ぎた。猫は路地の隅で顔を洗っている。

 俺は思わず近づいて――頭を撫でた。


「にゃ〜ん」


 人懐っこい猫である。……俺は猫の横に座った。俺は猫を撫でながら――昔を思い出していた





 俺が中学生の頃だ。


 スマホの知識だけで日本の学生生活を知ったつもりであった。

 常識が外れていた。誰と話しても俺と会話が噛み合わなかった。

 先生さえもそうだ。唯一、花園だけが俺と一緒にいてくれた。


 幼稚園の頃のことは覚えていない。花園と再会した時は誰だかわからなかった。

 俺の面倒を見てくれる。俺はそれだけで嬉しかった。



 中学に上がって、初めての自己紹介の時は何を話していいかわからなくて、立ちすくんでしまった。

 花園はそんな俺に冷たかった。今みたいに優しくない。

 班を決める時は、花園がため息を吐きながら俺と一緒の班になってくれた。

 寄せ集めの班は、あまり楽しいものでは無かった。

 花園は俺のせいで友達が少なかった。それでも俺の面倒をみるって約束してくれた。

 何故なのか聞いてみたら『よ、幼稚園の頃、や、約束したでしょ!?』と言われるだけであった。何だったんだろう?


 俺は頑張って花園の迷惑にならないように、友達を作ろうとした。


 俺が話しかけようとすると、みんな逃げてしまった。

 なんでお前が話しかける? そういう顔をしていた。俺は異物であった。

 空気を読めない。意見がズレている。正論しか言えない。

 それがクラスメイトにとって、致命的であったらしい。



 勉強ができればみんなわかってくれると思った。運動ができれば仲良くなれると思った。


 テストで満点を取った日に――校舎の裏で、俺はクラスメイトに責められた。カンニングを疑われた。みんな俺の事を馬鹿だと思っていた。そんな奴がいきなりテストで満点を取った。カンニングしかない。無実の罪で責められた。花園がきてくれるまで、俺は何も言い返せなかった。


 冬のマラソン大会で全力を出して見た。

 マラソンコースを全力で走った。側道で見守る保護者や先生の驚いた顔が見えた。

 俺は喜んでいると思っていた。だが、俺の勘違いであった。


 ゴールに着いた瞬間、俺は失格になった。


 異常なタイムと言われた。抜け道を使ったと言われた。みんな見ているから不正は出来ないはずだ。だが、異常なタイムがその考えを奪い取る。常識では測れないモノはみないふりをする。俺は学校中の人間から責められた。


 俺は罵声を浴びながら一つの考えに至った。

 能力は隠す必要がある。そうしないと、俺の心が――持たない。


 ――悪意を受けるのは慣れていなかった。人が怖かった。うまくやれない自分が嫌いだった。


 能力が低い人間の方が、接しやすいと思われるんだ。

 俺は普通を目指したい。だから、自分の能力を低く見せる事にした。


 イジメというものには発展しなかった。

 花園が裏で色々動いてくれたおかげだ。

 俺は――頭がおかしい奴、と思われた方が教室ではうまく行った。

 なぜなら、クラスメイトは俺の事を下に見る。そうする事で、クラスメイトの心に余裕が生まれる。俺を――可哀想な男として扱う。


 ――ただ、悲しかった。だから俺は花園以外のクラスメイトの存在を認識しないようにした。


 俺は――こんな生活がしたかったのか?


 ずっと、胸の中で燻っていた。高校二年になり、俺は焦りが生まれた。

 俺の焦りが――俺の心を変えてしまった。俺の面倒を見てくれた――花園のことも、やっぱり他の人と一緒なんだ、と思ってしまった。


 花園は御堂筋先輩が好き。

 俺はショックであった。花園から向けられていた好意は俺の勘違いだと思ってしまった。


 ショックが俺の正常な判断を奪った――

 リセットするのに躊躇は無かった。





 ――

 ――――

 ――――――

 後悔はしていない。

 俺はリセットしたおかげで、花園と新しい関係を築く事が出来たんだ。

 以前とは違う。俺が望んだ――普通の青春がある。





 猫がいつの間にか膝の上に乗って寝ていた……。

 どうしよう、動けない……。

 まあ、たまにはいいか。俺は猫の頭を撫で続ける。


 そうしていると、雨が降り始めた。

 猫は『にゃん?』と言いながら起き上がって、どこかに消えてしまった。


 俺は一人ぼっちになった。……傘を買って帰るか……。

 そう思って立ち上がったら、誰かが走っているのをみかけた。

 俺にはすぐにわかる。


「――花園、それに田中? もう話は終わったのか?」


「藤堂! あ、雨だよ! コンビニで傘買おう!」

「落ち着きすぎじゃん! ていうか、1時間ここで待ってたの? あ、ありがと……」


「あ、いや、猫と……」


 俺は言わない方がいいのかも知れない。しかし、1時間も猫と戯れていたのか……。


「傘は持ってないのか?」

「ないよっ!」

「ないじゃん!!」


 二人は吹っ切れた顔をしていた。

 俺はそれを見れて嬉しかった。


「なら、俺がサイゲリアでジュースをごちそうしよう。すぐそこだから雨宿りもできるだろう」


「うん、賛成よ」

「へへ、ありがとじゃん、藤堂」


 俺たちは走りながらサイゲリアを目指した。

 なんだか二人の顔を見たら、過去の出来事が薄れてしまった。

 そうだ、俺は今を生きるんだ。




 俺は手を繋いでいる二人を見て――嬉しくなった。






 ******************






 サイゲリアは今日も盛況であった。

 うちの高校以外の生徒もちらほら見える。


「へへっ、やっぱり今日は私達が藤堂にドリンクバーをおごってあげるじゃん!」


「うん、そうね。藤堂が嫌だって言ってくれたからだもんね」


 話し合いのことか――

 うまく言って良かったな。


「あ、ちょっとトイレ行くね」


「私も行くじゃん! 話している間、水飲みすぎちゃったじゃん……」


「それでは俺が注文しておこう。ドリンクバー3つで良いんだな?」


 二人は「うん、よろしくっ!」と返事をしてトイレへと向かった。



 そういえば、ファミレスに入るにも慣れて来た。

 初めはドリンクバーという神のようなシステムが理解出来なかった。

 素晴らしいものである。


 そして一々注文をする際、店員を呼ぶ必要が無い。ボタン一つで事足りる。

 俺はボタンを押した。



 奥のテーブルのお客さんと話していた女性店員が走ってやってきた。

 女性店員はにこやかな笑顔で俺に言った。しかし笑顔は途中で崩れ去った。


「はいっ! お待たせしましたっ!! ご注文は? ――ってあれ? あなた藤堂?」


「失礼、俺は君の事を知らない。すまないが人違いでは? ――ドリンクバーを3つ頼む」


「はっ? 何言ってるの? あなた同じクラスだったでしょ? 私よ、反町景子そりまちけいこよ。もしかして藤堂係の花園もいるわけ?」


 藤堂係? ……ああ、記録の引き出しを開けると、反町さんは確かに同じクラスであった。勉強ができる子で、俺が満点を取った時、すごい目で睨んで来た子である。


「ドリンクバーを3つ頼む……」


「はいはい、ねえ、その制服ってあそこの高校だよね? ふーん、そこそこ頭いいのね……ちっ。あっ、あっちのテーブルに中学の時の友達がいるんだ!」


 俺にとって友達では無い。

 彼女にとって、俺は下の人間である。そう思っているだけだ。

 人の優劣は簡単に付くものではない。


「それにしても藤堂って意外とかっこよかった? ははっ、あなたって女の子慣れしてなかったもんね。私が話しかけただけで顔を真っ赤にさせてたもんね〜。あっ、試しに付き合ってみる? ふふっ……私綺麗でしょ?」


 ひげ面の店長と目があった。頭をかいていた。


「――店長、済まないが、彼女に絡まれている。オーダーを通してくれ」


「あっ、藤堂君、いらっしゃい! ははっ……ごめんね。――おい、反町、元同級生でも今はお客様だろ? 仕事しろ」


「え、だって、藤堂でしょ? ならどうでもいいでしょ? あっ、ドリンクバー3つです。よろしくお願いしまーす」


「お前馬鹿かっ!? よく考えろよ? おかしいだろ?」


 店長は反町の手を引っ張って、厨房の奥へと消えていった。

 怒鳴り声がこっちまで聞こえてくる。

 店長には理解出来ないかも知れない。

 彼女はあのクラスにいた。反町には悪意が無い。いや、悪意しか無いと言って良いのか……。俺が下の人間という認識を自然としているだけであった。





「よっすっ! お待たせじゃん!」

「藤堂、どうしたの?」


 二人が帰ってきた。俺は二人を見ると安堵のため息を吐いた。


 俺たちはドリンクバーを取りに行って、色々話をし始めた。


「私、波留ちゃんにびっくりしちゃったよ……」


「ははっ、仕方ないじゃん……。気持ち抑えられなかったし……」


「どうやら腹を割って話す事が出来たんだな。――どうなったんだ?」


 二人は顔を見合わせた。まるでいたずらをする前の子供みたいであった。

 花園が喋り始めた。


「――私は藤堂に依存してたんだ。藤堂を独占して。……波留ちゃんも同じ気持ちだったみたいね。自分だけで藤堂を独占してるって思って――」


 田中が言葉をつなぐ――


「私達ね。すっごく言い合ったんだ。お互いの悪いところも――ずるい所も。……結局ね、藤堂の事が一番大切だっただけじゃん……。あ、えっと……、私達も自分たちの気持ちを大事にしようってね……」


「うん、お互いゼロからスタートになったんだからさ、私達も一からスタートしてもいいかなって思ったんだ。お互い譲り合いは無し、だって友達だもん! だからね、藤堂――これからもよろしく」


「よろしくじゃんっ!!」


「――――あ、ああ、よろしく?」


 俺は本当に理解が出来なかった。心の深淵を覗いているようであった。

 とりあえずわかったのが、二人は俺が大事。ゼロからスタートする。

 譲り合いは無し、これからもよろしく……。


 さっぱりである。

 とにかく二人は仲直りしたから良かった。

 俺はそれだけで嬉しかった。




 ――だから、今は余計な茶々はいらない。


 反町がポテトを持ってやってきた。俺たちは注文をしていない。


「はーい、これ、私の奢りね! 感謝してよね!」


 俺たちは顔を見合わせた。ここで食事を食べるつもりはない。みんな家でご飯を食べる予定であった。食べたくない食事を出されても迷惑なだけであった。


「――あんた反町だっけ? ここでバイトしてるんだ? ていうか、これ頼んでないよ」


「相変わらずギスギスしてるわね。これは私の善意よ。ねっ、藤堂と付き合ってるの? ていうか、隣にいる子ってすごく可愛いね」


 察するに、オーダーミスで余った料理をこちらに持ってきただけだ。

 あちらのテーブルでさっき騒いでいた。

 ……お金を取られてもたまらない。


「それは必要ない」


「はっ? あなたには聞いてないよ。藤堂のくせに意見しないで」


 田中が激昂して立ち上がった。


「ちょっとあんたなんなのよ!! 藤堂の事馬鹿にしてんの!!」


「え? あなた、こんな馬鹿な奴の事好きなの? ありえないわ〜、だって藤堂でしょ? な、なんでこんなに怒るの? お、おかしいでしょ?」


「あんたがおかしいじゃん! 藤堂はすごい男じゃん! 私達は藤堂の事が大好きじゃんって!! あっ……と、と、と、友達としてじゃん。だから馬鹿にするのは絶対許せないじゃん!!」


 反町は状況を理解出来ていなかった。


「え、だって、あそこにいる同中の奴らも、藤堂の事を馬鹿にして――」






 綺麗なチャラい声が聞こえてきた。弟君である。俺が連絡をしておいた。田中を送って欲しかった。


「姉ちゃん、迎えにきたぞ。あっ、藤堂、いきなり連絡してきやがって――」


「あんたも馬鹿っ!! ちゃんと敬語使いなさいよ! 年上じゃん!」


「だって、藤堂がいらないって言うからさ。ねえ、早く帰ろうぜ。あっ、藤堂、お前姉ちゃんの初めての男友達だろ? ……姉ちゃんの敵は俺の敵。姉ちゃんの味方は俺の味方だ。改めてよろしくな」


「ああ、頼む、弟君。花園、俺たちも帰ろう」


「う、うん――、波留ちゃんの弟君って……まさか……、ううん、気にしないね」


「彼はなかなかの男前である」


「へへっ、藤堂もかっこいいじゃん!」





 俺たちはサイゲリアを出ようとした。

 反町が後ろから声をかけたきた。


「ね、ねえ、あ、あなた……タクヤのお姉ちゃんなの? ていうか、藤堂ってタクヤと友達なの!? お、お願いなんだけど――サインもらってくれない? ていうか、あなたたちってなんなの?」


 俺は理解出来なかった。サインだと? 何かの契約か? 弟君を騙そうとしているのか?

 騙すのは許さないぞ?


「藤堂はクラスのお荷物だったでしょ? だったら私の言うことを――」



 弟君が俺の前に移動した。

 反町を冷たく見据えた。


「え? わ、私……」


「姉ちゃん、行こうぜ――人の事を馬鹿にしてるやつは嫌いなんだよ」


 弟君は俺と田中の間を無理やり割り込んで来た。本当にお姉ちゃんが好きなんだな。

 良い子である。



 反町はワナワナと震えながら青い顔をしていた。

 俺には理由がわからないけど、これだけはわかる。


 後で、店長に説教されるだろう。仕事をサボっているんだからな――




 俺たちは雨上がりの街をゆっくり歩きながら自宅へと向かった。




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