帰り道と電車


 田中姉弟とは途中の交差点で別れた。

 俺達の姿が見えなくなるまで手を振ってくれた。

 俺も花園もずっと手を振り返した。


 二人が見えなくなると、花園はため息は吐いた。


「……ふぅ、まさかサイゲに反町がいるとは思わなかったわ」


「たまにしか行かないからな。最近入ったんじゃないのか?」


「中学の頃は、私も拗らせてたからね……。藤堂が馬鹿にされてムカついてたもん」


「……すまない、俺がもう少しうまくクラスと馴染めればよかったんだが」


 俺と花園は歩き出した。

 もう日が落ちている。楽しい時間はあっという間に過ぎる。


「ううん、藤堂は高校になって良くなったもん。反町たちは……全然成長してないんだよ。中学の時の一番良い思い出で止まっていると思うんだ」


 なるほど、自分が一番輝いていた時のままで止まっている。だから俺の事をいつまでも見下していたんだ。


「難しいな――」


 俺は改めて人間関係というモノの難しさを実感した。

 ふと、俺は自分と付き合いがあった人たちを思い出した。


「道場さんは元気だろうか」


「あ、なんかすごく静かになったらしいよ? 休み時間も勉強してて、クラス委員の仕事も真面目にやっているみたい」


 道場さんには、テストでトップを取れたらカラオケに誘ってくれ、と言ってしまったが――

 俺と道場さんがカラオケに行く姿を想像出来なかった……。すまん。


 ちゃんと勉強してくれているようで何よりだ。一度は友人として接していたんだ。

 ……嫌な人間のままでいて欲しくない。


「笹身さんは陸上部を辞めたんだな? 五十嵐君から聞いたぞ」


「うん、私も五十嵐君から色々聞いだんだけどさ。清水に言われたから辞めたってよりも、もっと上を目指すために辞めたらしいよ? なんか、プロランナーに教わりに行ったり、大学で練習を見学したりして忙しいみたいね」


 陸上部を辞めたと聞いて、少しだけ心配になっていた。

 一度、走っている姿を見かけたが、その時のフォームは綺麗になっていた。考えて走るという事を実践してくれていた。

 俺はそれを見て、少しだけ嬉しかった覚えがある。


 関係がなくなった。だから、どうでもいいと思っていた。それでも、何か心に引っかかるものがあったのかも知れない。


「なんにせよ前向きで良かった。いつか一緒に競走してみたいな」


「え? と、藤堂? リセットしたんじゃ……」


「ああ、今はあいつと関わるつもりはない。それでも――良いと思える日が来るのかも知れないな」


「ふふっ、藤堂は優しいな……」


「花園の方が優しいぞ? ほら、清水君が言うこと聞かなかった時も――」


 あの時の清水君はひどかった。

 泣き崩れていたけど、放置するしか無かった。


 花園の声の温度が下がった気がした――む、お、怒らせたのか?


「あいつ……マジムカついた。……今はクラスでおとなしくしてるよ。でも、彼女っぽい人が何人も来て、別れ話をされたり、彼女同士が鉢合わせになって修羅場になったり……」


「ど、どういう事だ? 花園の事が好きじゃなかったのか?」


「なんか、陸上部のエースで見てくれだけは良かったから、結構告白されてたんだって。で、清水はほとんど断らなかったらしいよ……。しかも、付き合ってから清水の性格がバレて、すぐに振られたりして……それの繰り返しだったみたい」


 驚愕だ。そんな男がこの世にいるのか? いや、この前読んだ小説の主人公も複数の女性と関係を持ち、最後にはお腹を包丁で刺されていた。


 現実にもいるんだな――


「――清水君は……生きているのか?」


「え!? だ、大丈夫みたいだよ。意外と男子が清水君をフォローしているしね」


 花園は再びため息を吐いた。


「ふぅ……、なんか私が藤堂からリセットされてから色々あったね……。最近の事なのにすっごく遠い過去に思えちゃう」


「そうだな、色々あった。俺だけでは対処出来ないような事があったり、初めての体験を沢山した。花園――」


「なに?」


「ゼロから友達になってくれてありがとう――」


「ちょっ!? と、藤堂? や、やめてよ、恥ずかしいわ!」


 花園の顔をが少し赤くなった。俺もこの前経験したから花園の気持ちがわかる。


「花園のおかげだ。俺が……せ、青春を送れているのは」


 何故だろう、その言葉を発すると恥ずかしい気持ちになった。


 花園は俺に体当たりをしてきた。照れ隠しだろうか?

 身体がぶつかる瞬間、俺は思わず花園を抱き止めてしまった。


「ひゃ!? よ、予想外の!?」


 変な声を出す花園の肩を優しく押さえる。

 すごく近い……。花園の匂いがする。

 甘い匂いだ。気分が向上する。


「す、すまない、思わず――」


「ん、ちょっとだけ――」


 花園はいつまで経っても離れようとしなかった。俺は緊張して動けないでいた。

 何故だろう? 俺は不思議な気持ちに包まれる。

 手に力が入りそうだ――


 俺が力を入れる前に、花園はゆっくりと離れていった。

 名残惜しい――

 そんな事を思ってしまった。


「ふふっ、何度だって私は頑張るからねっ!」


 月明かりに照らされた花園はとても美しかった。





 *************





 企業訪問の日がやってきた。

 特別クラスは1/3の生徒が参加をする。通常クラスとは違う企業へ訪問するようであった。

 主に勉強枠の人材が将来研究したい分野の企業を訪問する。企業側にとってはスカウト的な意味合いも強いらしい。


 俺と田中は人生経験の一環として、企業をみたいだけであった。だから通常クラスと同じ企業に訪問する。


 ちなみに、杉下君たちスポーツ枠は、スポンサーの兼ね合いがあるので企業訪問が出来ないのであった。



 待ち合わせは最寄りの駅である。高校生なので、自主行動を言い渡されている。何かあったら学校に連絡する必要がある。




 俺は駅前で田中を待っていた。

 時間が時間だけに、他のクラスの生徒たちも駅前で待ち合わせをしている姿を見受けられる。

 生徒たちは緊張した面持ちで資料を読みながら雑談をしている。

 俺は企業訪問先の情報を全て頭に叩き込んでおいた。何が起こるかわからない。


 創業者は聡明かつ、行動的な人間であった。それを支える仲間たちの熱いドラマが会社沿革から見受けられた。

 今日は非常に楽しみである。――田中と二人で……。


 そうだ、今日は田中と二人っきりなんだ。

 当たり前の事だ。田中と俺が一緒に行くと決めたんだ。何を焦っている? 田中は友達だろ? 二人っきりで良いじゃないか?


 わからない。だが、二人っきりで出かけるという言葉が……デートの日を思い出してしまう。俺はあの時、今みたいに田中を待っていた――


「よーっす!! 藤堂、おはよーー!!」


 田中が笑顔で走って来た。

 俺は田中の顔を見て――動揺してしまった。


「お、おはよう、田中。よし、行くぞ」


「え、ちょっと待つじゃん! あれ? 藤堂顔赤いよ? どうしたの? 熱?」


 田中は俺の額に手を伸ばした。

 俺は驚いて動けなかった。田中は俺の額に触る。手がひんやりとして気持ち良い。


「んーー、熱はないじゃん。大丈夫? 少し休んでいく?」


「も、問題ない」


 田中の匂いがした。優しい匂いであった。俺は目を閉じて気持ちを落ち着けた。


「ちょっと、藤堂、寝ちゃ駄目だよ!!」


「む、す、すまない――」


 田中の手が額から離れる。

 俺はぬくもりが消えて少しだけ寂しい気持ちになった。


 俺は頭を掻きながら――何かをごまかした。

 ――何をごまかしたんだ?


 深く考えないようにして、俺たちは電車へと向かった。





 *************





 電車にはめったに乗らない。

 乗る必要が無かったからだ。

 田中はパスケースで改札口を通り抜ける。


 俺も田中の真似をして改札を通る。

 ちゃんとチャージしたから大丈夫な筈だ。それでもめったにない経験だからドキドキする。

 ……さっきの方がドキドキした。大丈夫だ。


 ホームで電車を待つ。


「ねえ、藤堂、何かデートみたいで嬉しいじゃん! あっ、しかも制服デートじゃん!!」


「そ、そうなのか? す、すまない、俺にはわからない……」


 俺はタジタジであった。今日の田中のテンションは高かった。

 普段の二倍はあるだろう。


「もう、イベントなんだから楽しまなくっちゃ!! あっ、電車来るよ! ……げ、混んでそう――」


 通勤ラッシュの時間と重なっている。電車内はとても混んでいた。

 電車が止まり、扉から人が流れ出るように降りる。


 俺たちは流れこむように電車に乗った。





 俺たちの目的地は5駅で着く。

 それまでの辛抱である。電車の中は予想以上の込み具合であった。

 席に座る事が出来ず、俺達は扉の隅の辺りに追いやられた。


「た、田中、こんなに混んでいるのか?」


「ぐぅぅ……この時間に乗らないからわかんないじゃん……。苦しい……」


 俺たちの近くにはサラリーマンとOLさんたちがいた。

 みんな苦しそうである。

 俺は田中が少しでも楽になるように、身体全体の力を使い、押し寄せる肉圧から守ろうとした。


 その結果、俺は田中の身体を扉の隅で包み込むような形になってしまった。

 両手は田中の顔の近くで支えている。

 田中の顔は俺の胸辺りにある。


 俺は自分の顔が赤くなるのを感じた。朝と一緒だ。最近これが多い……何故だ?


「と、藤堂、だ、大丈夫? なんかすごく楽になったじゃん……」


 田中が俺の胸の辺りから上目遣いで俺を見る。

 なるほど、田中はまつげが長いんだな。


 恥ずかしさを紛らわすように、俺は関係ないこと考えていた。

 田中は無言になった。俺も何も喋らない。

 いつしか田中は俺の胸に頭をポンッと置いた。


 俺はぼんやりと、田中の身体って小さいんだ――と思っていた。

 不思議な時間であった。苦しいけど終わって欲しくない。田中の重みが心地よい。

 田中とは極力触れないように努力している。触れ合っているのは俺の胸と田中の頭だけである。


 ドキドキしている胸の音が聞こえてないか不安になる。

 変なところを触っていないか不安になる。


 こんな時間が続けばいいと思った――が、見過ごせないものを見てしまった。








「や、やめて下さい――」


 俺の横にいるOLさんが小声で呟いていた。

 何やらOLさんの後ろにいるサラリーマンがごそごそと動いていた。


 不測の事態である。俺は残念な気分になった。

 俺は田中と不思議な時間を過ごしていたのに……、見過ごす事はできない。


 俺はスマホを取り出して、素早くメモをうち、田中に見せた。

 そして、俺はOLさんに確認を取るために、スマホの画面をOLさんに見えるように持っていった。


「――あっ」


 OLさんは小さく頷いた。

 そして、俺はOLさんお尻の辺りにあった何かを掴んだ。


「いててっ!! な、なにすんだよ……、ぼ、暴力はやめろよ……。俺何もしてないぞ」


「痴漢は犯罪だ。次の駅で降りてもらう」


 昔の俺だったら身動きも出来なかったかも知れない。自分が痴漢に間違われると思っていた。

 実際、似たような事があった。人は追い詰められると嘘をつく。それに巻き込まれるのが嫌だった。

 だが、もしも、こいつが田中を触っていたら? 

 俺は社会的にこいつを抹殺したくなるだろう。


 このOLさんにも大切な人がいるはずだ。……だから、俺は勇気を出した。


「な、何言ってるんだ! お、お前が触っていたんだろ! 俺は見てたぞ!!」


 満員電車の中で大声は非常に迷惑な行為である。

 それでも俺は男の手を離さなかった。


 電車が駅で止まり、人が流れるようにホームへと向かう。

 不覚にも手を離さざる終えなかった。あのまま手を掴んでいたら人の流れで男の手が折れてしまう。

 男は「こいつが痴漢した!!」と言いながらホームを走り出した。


 が、通報を受けた駅員さんに取り押さえられ、身柄を確保された。





 OLさんが駅員さんに説明をしている間も、男は俺が痴漢をした、と喚く。


「俺じゃない、証拠がないだろ! 俺はこの男が触っていたのを見た!」


「違います、彼は私を助けてくれました。……ありがとうございます」


 OLさんは頭をペコリと俺に下げてくれた。


「あ、駅員さん、この動画見て下さい。……絶対触ってるじゃん。マジキモいよ」


 田中は駅員さんに撮影をしておいたスマホを見せていた。

 駅員さんの顔が険しくなる。


「……これだけ証拠があると、言い逃れは出来ないぞ。ちょっと来てもらおうか」


「マ、マジかよ……。お、俺の人生が……嫁になんて言えば……」




 俺たちも事情を説明する羽目になったが、思ったよりもすぐに終わった。

 気を取り直して電車に乗ろうとした時、OLさんがやってきた。


「ほ、本当にありがとうございます! まだ時間かかりそうなのでお礼だけ言おうと思って――。連絡先を教えてくれますか? あとでお礼を――」


「すまないが、この電車に乗らないと遅れてしまう。またいつの日か――」


「お姉さん、気をつけてね!! バイバイ!」


 問題がなければそれでいい。

 俺たちは再び満員電車に乗ることにした。


 時間はギリギリ大丈夫。

 さっきよりも少し空いている。今度は支えなくても大丈夫そうだ。

 俺たちは再び扉の隅に立つ。田中との距離は離れていた。


 だが、何故か田中は――俺に近付いて、俺の胸に自分の頭を置いた。――俺は再び田中を支えなければならなった。


 鼓動が速くなる……。こ、この状況は??


「――あ、あれだよ。さ、さっきの続きじゃん――ふふっ、藤堂かっこよかったじゃん」



 俺は予想外の事態に内心あたふたしていた。




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