田中と花園と赤い顔


 友達だった犬達を探すために外に出ようとすると怒られた。

 窓もない空間が俺の日常であった。ある日一人の大人がスマホを教室に忘れた。

 大人の指の動きでロックナンバーは推測できた。

 偏った知識を無くすために、俺は一晩中スマホを操作した――







 花園の友達と一緒に登校するのは新鮮であった。


「でね、華ちゃんってクラスで全然友達作らないんだ〜。いつも藤堂君の話ばかりでさ〜」


「さ、さっちゃん!? ね、ねえ私の話はやめようよ。あ、藤堂は企業訪問はどこ行くの? あれ? わ、私達は……どこだっけ?」


「もう、華ちゃんって興味ない事は忘れちゃうんだから……。私達はお菓子メーカーよ」


「ふむ、お菓子はいいものだ。人の心を豊かにする。俺は……どこにも行かないつもりだったが――」


 特別クラスはイベント事の参加は任意である。

 俺は、行かなくていいなら行かないつもりであった。クラスに馴染むのが先決だと思っていた。だが、田中が俺を誘ってくれた。断る理由は無い。


「田中もお菓子メーカーを見てみたいと言っていた。俺たちも同じところに行くようだな」


 田中の名前を出した時、花園の顔が少しだけ曇ったのがわかった。

 何故だ? 二人は仲良しのはずだが……。


「そっか……同じタイミングで会えるといいね!」


「ああ……」


 俺はそれ以上花園に対して深く話を突っ込む事はしなかった。






 ***************





「藤堂、おはようっ! 相変わらず怖い顔してるじゃん!」


「ああ、田中おはよう」


 クラスに着くと、田中は自分の席でスマホをいじっていた。

 スマホか……あれは知識の宝庫だ。だが、嘘の情報も多かった。

 情報の選別が難しい代物だ。


 田中は俺の席をバンバンと叩く。


「ほらほら、座って、ふふ、藤堂の同じクラスなのって不思議な感覚じゃん? なんか楽しいよね?」


「む、そういうものか。いつも中庭で会っていたからそういう感覚は無かった」


「むぅ……女の子はそういうものじゃん!」


 俺は自分の席に座り辺りを見渡す。

 生徒の稼働率は50%といったところか……。芸能関係の生徒は仕事に出ている。スポーツ関係の生徒はすでに練習へ向かっている。

 勉強関係の生徒は研究室に籠もっている。


 みんな自由である。俺は非常に驚いた。


「ところで、田中は何が得意で特別クラスに入ったんだ?」


「わ、私? え、えっと……ちょっと恥ずかしいじゃん……」


「……わかった、それ以上は聞かない。言いたくなったら言ってくれ」


「……うん。やっぱ、藤堂……ううん、大丈夫。私……頑張るじゃん!」


 田中は何故か元気であった。

 無理しているような雰囲気もあるが……俺にはわからない。


 ただ、田中といると落ち着くのがわかる。――大切な友達だ。

 あっ、そうだ。


「田中、お願いがある」


「え、なに!? いきなり真剣な顔して驚くじゃん!」


「弟くんの連絡先を教えてくれないか? 何かあった時のために連携を取りたい」


「はっ? ちょ、意味が……」


「気にするな。俺の自己満足である」


 田中の今までの言動をレポートでまとめた結果、どうやら田中は誤解されやすい性格のようだ。仕方ない、田中は魅力的な女性だ。……魅力的? ああ、そうだ、客観的にみるとな。


「じゃあ今度一緒にカラオケ行こう! あいつ絶対藤堂の事気に入るじゃん! ……あいつって自分の事知らない人と会えると嬉しがるじゃん?」


 確か田中の弟君は芸能関係の人間である。俺たちの一つ下の学年の特別クラスに通っている。


「そういうものなのか?」


「うん、そういうものなの」


 特別クラスに移って、俺の楽しみが増えた。

 田中との朝のお喋りは俺にとって、大切な時間になっていた。





 *****************




 今は授業中である。もうすぐ昼休みだ。

 早く花園と田中と一緒に昼食を囲みたい。俺の大切な時間である。


 授業中なのに前の席の杉下君が話しかけてきた。

 彼はグラウンドで一緒に競走した仲である。


「と、藤堂、一ヶ月後だ。それまで待ってろ!! 次は俺が勝つ! 素人に負けっぱなしでたまるかよ!」


「ああ、杉下君。この前は楽しかった。ぜひまた一緒に競走をしてくれ。今まで人と競走をした事がなかったから嬉しかった」


「……へ? ちゅ、中学の頃は?」


「速く走ると面倒な連中に絡まれる。体育の授業はなるべく休んでいた。運動会というものもあったが、俺は組体操の一番下でみんなを支えるのがメインであった。騎馬戦の馬もやったな」


「も、もっとガキの頃はかけっこしてただろ?」


「……子供の頃のことは……覚えていない」


 中学の時に小学校の頃の話をしたことがある。そんな学校あるものか、と何故か嘘つき呼ばわりされたので、俺はあの時の事を喋らないようにしていた。


「そ、そうか……、見る目ない奴らばっかりだったんだな……。俺と一緒か……。よし、楽しみに待ってろよ! 次は負けないぜ!」


「杉下君のフォームは完璧だが、肺活量に問題がある。高地トレーニングはしてるのか? マスクをしながら走るのも効果的だ」


「……うわぁぁ!! ひ、人が気にしてる事を!! くそ、明日から頑張る。今日はおとなしく授業受けるぜ」


 スポーツ枠も芸能枠も毎日教室にいないわけではない。学校でちゃんと授業を受けて、学生生活を楽しんでいる。自分たちでスケジュールを管理して、学校側に提出をしている。学校所属という肩書きも活動する上で必要な時もある。

 勉強枠の人も、高校の授業は受ける必要が無いくらいの知識はあるが、普通の授業も興味本位で受けることもある。みんな普通の高校生活を楽しんでいた。


 このクラスにいる生徒は優秀な才能を持っていた。

 もちろん努力の末にたどり着いた領域でもある。

 そんな彼らが過ごしやすいクラスにしたい。普通の高校生活を体験させたい。一般生徒の好奇な目から守りたい。という校長の思いがあるらしい。

 まあ、対外的にも宣伝がしやすいし、お金の流れも色々あるのだろう。


 綺麗事だけではこの世界では生きていけない。


 尖ったものは叩かれる。

 それが――人なんだろうな。




 杉下君はポツリと呟いた。


「そういや、藤堂って田中と普通に話してるんだよな? すげえな。あいつっていつも不機嫌そうな面で誰とも話さねえからさ。……まあ、このクラスは自分が一番大事って奴が多いからな。話さなくても問題ねえし」


「田中が不機嫌そうだと? 想像できない」


「藤堂がこのクラスに来るって決まった時は『やったじゃん!! あっ……ちょっと見ないで――』とか言ってたんだぜ? 毎日そわそわしやがってさ。でも、お前ら恋人っぽい感じじゃねえし……なんだろ? よくわかんねーや、まっ、俺には関係ないしな」


 何故だろう? 俺は杉下君の話を聞いて――呼吸の速度がゆっくりになった。

 そうか、俺は嬉しいんだな。俺が特別クラスに移動して、田中が喜んでくれた事を――


「――感謝する」


 杉下君から聞かなかったら俺は田中の様子を知ることが出来なかった。

 そういえば田中はどこに行った? この授業の始めからいなかったぞ? そろそろ授業が終ってしまう。




「し、静かにして下さいね〜、もうすぐ授業終わりますよ。ほ、ほら、そこっ!」


 先生の力の無い声が聞こえた。


 このクラスを受け持つだけはあり、非常に優秀な先生らしい。

 顔のシワは少し多いが、見た目はとても若い。服装も最先端だ。

 小さいのでシルエットだけは子供に間違われることもあるらしい。

 だが、あの顔は明らかに20代後半の疲れが見える。どうみても大人の女性である。花園と田中のきめ細かい肌とは雲泥の差である。酒の量が多いのか? 

 苦労してるのか? む、白髪を発見した。後で報告しなければ。


「う、ううぅ、わ、私……東鳩大学出身なのに……」


 日本最高峰の大学を出たとしても、それはただの肩書である。

 その人の現在が大事である。

 俺は手を上げた。このクラスは俺よりも尖った生徒が多いので、発言する時に気を使わなくて済む。


「――先生、失礼。田中が戻ってこないから探しに行く」


「と、藤堂君っ! あ、あと2分で授業終わるよ!? ちょっと待ちなさいよ、藤堂くんは事前届出をだしてないよ!! と、藤堂君はまともだって聞いたのに!!」


 授業終了と同時に田中を探しに行ったら、花園との昼ごはんの時間が削られる。

 俺にとって大事な時間だ。すまない、先生。悪いことだとはわかっているが……今回だけ許してくれ。それに――俺がまともだったらみんなはどうなる? 異常者になってしまうぞ?


 俺は一礼をして教室を出た。

 誰も冷かそうともしない。……杉下君だけが楽しそうに手を振ってくれた。

 なるほど、特別クラスも存外悪くない。



 俺は田中にメッセージを送りながら別校舎を歩いた。







 田中からメッセージが返ってこない。

 ……チャイムが鳴ってしまった。


 俺はなぜだか焦っている。寂しいという気持ちが湧き上がる――

 今日が駄目なら明日もある。それが普通のはずだ? 短絡的な行動は問題を起こす。なのに俺は――

 

 自分の感情を分析する。

 何故か懐かしい記録が頭に湧き上がった。




 中学の頃だ。花園と一緒にお祭りを行く約束をした。花園は熱を出して行けなくなってしまった。俺は初めて祭りに行けると思って、すごく楽しみにしていた。


 俺は――一人で祭りに向かった。

 祭りにいた人たちはみんな楽しそうであった。家族と友達と恋人と――、みんな楽しそうに笑っていた。――あんず飴を食べていた、射的で遊んでいた、金魚すくいをしながら笑い合っていた、盆踊りを踊っていた。

 俺は――その中に入る事が出来なかった。何度も屋台の前で往復をして、何かを買おうとしたけど――お金を握りしめるだけで何も買うことが出来なかった。


 人の視線が怖かった。お前は一人なのか? 可哀想、なんで友達といないの? そう言っているように感じてしまった。


 あの時、心に感じたのは――孤独。

 俺はあの時、寂しいというモノを理解した。


 俺は祭りを楽しめなかった。どうやって楽しんでいいかわからなかった。

 トボトボと歩いて自分の家に帰ると――

 家の前に花園がいた。


 熱で真っ赤な顔をして苦しそうであった。

 いつもと違う服装であった。浴衣というものを着ていた。

 俺は不謹慎ながら――すごく綺麗だと思った。

『あ、あんた、一人じゃ寂しいと思っただけよ! あ、あんたのためじゃないからね! わ、私が着たかっただけよ……こほっ、こほっ』


 俺はあの時、自分の心が理解出来なかった。

 花園の言葉を聞いた瞬間、俺は――顔から汗が流れた。止まらなかった。初めての事でどうしていいかわからなかった。ただ――花園の具合が悪くならないように、と思っていた。


 そして、俺は花園を家まで送り……花園のお父さん、お母さんが困った顔をしながら、縁側の近くで布団を引いてくれてた。――花園は浴衣を着たまま横になった。

 祭りの音が聞こえて来た。

 俺はその音を聞きながら、浴衣を着た花園をずっと見ていた。


 それだけで、俺は祭りが楽しいものだと実感することができた。




 ――俺がリセットした愛情。二度と戻らない感情。リセットから始まる花園との関係。




 あの時の俺は自分の感情を持て余していた。

 今は違う、あの時の気持ちが少しだけ理解できる。花園と一緒に祭りに行きたかったんだ。

 俺はあの瞬間を大切にしたかったんだ。友達と一緒にいる時間の大切さをわかったんだ。



 だから、俺が今感じているの焦りは――田中と……花園と過ごす時間を一秒でも大切にしたいだけなんだ。






 声が聞こえてきた。ほんの小さな声。

 遮音された部屋で誰かが歌っている。俺は耳が非常に良い。俺しかわからないだろう。

 俺は視聴覚室へと向かった。






 視聴覚室からこぼれ出る歌声。俺は扉の外から田中の歌を聞いていた。

 感情が乗った声が俺の心に響く。素晴らしい歌声だ。扉を開けて聞きたいが、田中が驚くだろう。――む、終わったか。


 俺は扉を開け放って、田中に声をかけようとした――

 だが、俺は開けた扉の前で固まってしまった。


「――た、田中?」


 歌い終わった田中の瞳から涙が流れていた。

 その姿は見覚えがある。俺が田中の好意をリセットした時と同じ姿であった。


「あ!? な、なんでここに……は、恥ずかしいじゃん。ぐす……ちょ、ちょっとあっち向いてよ……」


「あ、ああ、すまない……」


 俺は背を向けると、田中が自分のハンカチで顔を拭いている音が聞こえる。


「うん、もう大丈夫じゃん! あっ、もう昼休み? あははっ、いつも忘れちゃうじゃんよ」


 なるほど、だから田中はいつも遅れて合流していたんだな。

 思っている事とは裏腹に俺の心臓がバクバクしていた。何故だ? 


「うーん、私は今日はいいかな? 藤堂、華ちゃんと二人で食べて――」


「駄目だ!」


 俺は何をむきになっている? 田中に向かって大声をだすなんて初めてだ。

 こ、怖がったらどうする? 嫌われたらどうする? た、田中は大切な友達だ。


「へ? と、藤堂?」


「お、俺は……花園と田中が一緒じゃないと嫌だ! ……すまない、ただの俺のわがままだ。それに……花園と田中は仲良くして欲しい。今の二人は――何故か微妙な距離を感じる」


 田中は少しだけ笑ってため息を吐いた。


「はぁ……、私は華ちゃんとは仲良しじゃん? 私だって……藤堂とご飯食べたいよ? でも今日は気分が乗らなくて――」


 俺は腫れぼったい目をしている田中に近づいた。

 田中は俺を見て驚いていた。


「田中、本心で言ってるのは理解できる。田中から嘘の気配はしない。……だが、声に込められている感情が……いつもと違う。俺は……それが嫌だ。だから花園と……」


 誰かを否定するなんて初めての事だ。俺は無関心であった。人と関わらなければ迷惑をかける事もなかった。

 俺の思いが田中に届いて欲しい。それはただの俺のわがままかも知れない。だけど――いつまでも、この穏やかな生活が続くかなんて誰にもわからない。だから、俺は田中と花園が仲良くなって欲しいんだ。


 思いをうまく言葉に出来ない。


「田中――」


 だから、俺は思いを込めて田中の名前を呼んだ。





 田中はしばらくの間、目をつぶっていた。

 そして、目を開き――


「……うん、わかった。そうだよね……ちゃんと華ちゃんと話すよ。――藤堂、ありがとじゃんっ! やっぱ藤堂ってヤバいじゃん!!」


 ヤバいとは? 一体何がどうヤバいのか? スラングの一種だとは理解しているが……。

 目の前にいる田中は、俺の記録の中にある田中と一致した。


 俺は心のままに動いてみた。


「ならば、行くぞ田中」


 田中の手を優しく取る。……俺の顔の温度が上昇していくのがわかった。なるほど、人の顔が赤くなる理由が理解できた……。


「うんっ! 行こ! あっ、今日の帰りさ……華ちゃん借りるよ! 一日くらいいいじゃん!」


「了解だ。二人で美味しいジュースでも飲んでくれ――」



 俺たちは途中まで手を繋いで廊下を歩いた。

 俺が恥ずかしくなりすぎて、手を離してしまった――


 すまない――田中――


 む? ということは俺は今日一人で帰るのか? も、問題が起きなければいいが……。



 俺の手のひらに残っている田中の体温が、そんな俺の気持ちを落ち着かせてくれた。







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