さっちゃん


 結局猫も消えた。その後も何度も出会いと別れを繰り返した。俺はその度に好意をリセットした。そうすれば心が痛くならない。

 だが、俺は疑問を抱いた。優しい大人は本当に優しいのか?

 俺は消えてしまった友達を探すために行動を起こした――





 俺はゆっくり歩いて通学をしている。

 今日も通学している生徒たちが賑やかであった。

 俺はその空気を楽しみながら歩く。


 特別クラスは生徒が少ないから気が楽であった。

 ……田中と同じ教室。友達が一緒で良かった。


 そういえば、クラスの男子が俺の筋肉量を観察して、競争をしたいって言い出したな。

 今までの俺だったら断っていたけど、俺は承諾した。

 人と走るのは久しぶりであった。彼は非常に速かった。俺は一緒に走れて楽しかった。

 また走ってくれると嬉しい。彼は走り終わった後ひどく落ち込んでいたが大丈夫だったのか? 楽しくなかったのか心配になってしまった。




 考えたい事は沢山ある。

 俺は――不器用だ。俺が田中に抱いていた好意をリセットして良かったのか? と何度も考えた。あの時の俺の気持ちはもうわからない。

 それでも、気がつくと俺は田中とデートしたあの日を心の中で何度も反芻をしていた。

 ほんのりと温かい気持ちになれるからだ。


 田中を思う気持ちは――大切な友達を思う気持ち。

 大丈夫だ。俺は前に進んでいる。






 歩いていると、視界の隅にうずくまっている女子生徒が目に入った。

 俺は立ち止まる。女子生徒は建物の陰で青い顔をして苦しそうだ。


 ……誰も気がついていない。いや、気がついているけど、通り過ぎている。


 何か飲み物とかを渡したほうがいいのか? それともタオルを貸した方がいいの? 

 いや、俺が話しかけたら……怖がるかも知れない。


 知らない人と話すのは怖い。花園や田中だったら自然に話せるのに――


 それでも俺の足は勝手に女子生徒の元へと向かっていた。

 この女子生徒は――花園のクラスメイト? 

 確か……俺が花園を迎えに行く時によく見かける子だ。


 俺は慎重に彼女に話しかけた。ただでさえ俺は花園の友達から評価が低いらしい。

 怖がらせるな――


「君――だ、大丈夫か? こ、このジュースを飲むか? あ、いや、先程自動販売機で買ったばかりだから綺麗なものだ」


 女子生徒は苦しそうに顔を上げた。

 俺の顔を見てびっくりしていた。


「え、あ……藤堂くん? ジュース? ……あっ」


 彼女は怖がっているのか? 俺には判断がつかない。田中でさえ、初対面の時は怖いと思ったんだ。きっと怖がっているんだろう。

 そう思うと胸がバクバクしてきた。俺は間違えたのか? 話しかけずそのまま登校するのが正解だったのか? 


 ――違う。花園の友達が苦しそうなんだ。手助けをするんだ。

 うまく回らない舌を頑張って動かす。


「い、いや、苦しそうに座っている君を見て心配になった。……すまない、よ、余計なお世話だったか? ジュ、ジュースはカバンの上に置いておく。――救急車呼ぶか?」


「ふぇ? あっ、大丈夫です……。少し休めば……、救急車はちょっと恥ずかしい……」


 全身から汗が出る。知らない女の子と話すのはいつも緊張する。

 ……リセットした後の花園と話すのさえ、俺は緊張した。


 道場さんと図書室で初めて喋った時、笹身と朝のジョギングで初めて喋った時、俺はどうしていいかわからなかった。


 ――人と喋るのは難しいな。


「そうか――それでは俺は――」


 俺は彼女の元から去ろうとした時、背中から声をかけられた。

 気配は感じていたが、無視していた。彼女の具合が心配だった。


「おい、藤堂っ! お前何してんだ! うちのクラスの女子だぞ? ナンパか? 気持ち悪い藤堂がうちのクラスメイトに近づくな!!」


 この声は――清水君である。

 確か、笹身さんの先輩で陸上部のエースである。好青年と評判の人気者。

 俺とは対極の存在……。ああ、花園の事が好きで、俺に嫉妬していたんだ。


 声を聞くまで存在を忘れていた。


「君は……清水君だね? そうか、君も彼女と同じクラスだ。気分が悪いようだから付き添ってあげてくれ」


「はっ? 貴様何を言っている? お前が彼女に何かしたんだろ? お前のせいでいつも女の子が苦しんでいるんだ!! 華さんだって泣いていた……。笹身だってお前のせいで部活を辞めたんだ!!」


 俺はその理屈が理解出来なかった。

 なるほど、これが屁理屈か。ああ、思い出した、彼は独善的な人間である。


 女子と話すよりも男子と話す方が緊張しなくてすむ。


「ああ、そんな嫉妬はどうでもいい。もう一度言う、彼女と同じクラスなら――」


「し、嫉妬なんてお前にするかっ!! ちょっと足が速いからって――調子乗るなよ!」


 中学の時もそうであった。

 リア充に意見をすると、いつも屁理屈をこねて怒鳴られる。

 だから彼らとは接しないようにしていた。それが一番平和だからである。


 登校中の生徒が俺たちに注目し始めた。


「あれっ清水先輩じゃね?」

「ああ、怪我して大会負けたんだって」

「ははっ、調子乗ってたからいいんじゃね?」

「おい……あいつって、特別クラスの……」

「ああ、超足速かった奴だよな?」

「あん? 違えぞ、あいつって勉強枠の超ムズイテストで満点取った奴だろ?」

「はっ!? あれって大学の問題もあるだろ? 絶対百点取らせない気満々の――」


 清水君はイライラしながら周囲に向かって叫んだ。


「――おいっ! 藤堂がうちのクラスの女子に無理やり迫ったんだ!! 見ろっ! こいつはひどい男だっ!!」


 そういう誤解は慣れている。

 中学の頃はありもしない噂がよく流れていた。

 否定してもしなくても生徒は面白がって広めるだけである。

 それでも、誤解をされると悲しい。胸にモヤモヤが広がる。


 俺は気にしないふりをしていた。そんな誤解はどうでもいいと思っていた。中学の頃は花園がそばにいてくれれば良かった。花園と一緒にいると胸のモヤモヤは消えてなくなる。



 清水君はどうでもいいから無視しよう。


 俺は自分のタオルにミネラルウォーターで濡らし、固く絞る。

 そして、濡れタオルを彼女に渡した。


「――騒がしくしてすまない。これを使ってくれ」


「あ、ありがと……、もう少ししたら華ちゃんが来るってメッセージがあったから――」


「なるほど、なら安心だ。朝は君たちと花園の大切な時間だ」


 清水君が俺の肩を強く掴んだ。


「おい、無視するんじゃねえっ!! 俺の事は眼中にないのか!! 俺は――俺は!」


「ひぃ……怖……」


 彼女が怖がっている……。清水君、今は駄目だ。

 だが、どうやって対処していいか悩む。


 話し合って解決はできなさそうである。暴力で解決したくない――とりあえず静かにしてもらおう。


 俺は彼女を怖がらせないように――微笑んだ。最近鏡で練習をしている。きっとうまく笑顔が出来ているだろう。心を顔に表せばいい――


 彼女は小さく頷いた。顔が少し赤い。むっ、熱が出てきたのか? 花園、早く来るんだ。




 俺は肩を掴んでいる清水君の腕を取った。

 あまり質の良い筋肉ではない。これはオーバーワークの時に起こる筋肉の付き方だ。

 疲労が蓄積されて、いつ怪我をしてもおかしくない。


 俺は清水君を彼女から離して――彼にお願いをした。



「清水君――病人がいる。少し――黙れ」



 清水君は俺から強い言葉を言われるとは思わなかったのか、動揺の色を見せていた。

 俺の手から逃げようと清水君は力を入れる。


「は、離せっ!! お前がいなければ――俺は華さんと付き合えて――笹身は俺の事を慕ってくれて――俺は陸上部を――お前が全部悪いんだ!! そうだ、怪我をしたのもお前のせいだっ!!」


 生徒たちの声が聞こえてくる。


「あれヤバくない?」

「人のせいにしてやんのっ!」

「清水君ってあんな人だったの? ちょっと幻滅……」


 主に清水君の話題で花を咲かせている。


 正直聞いていてあまり気分の良いものじゃない。彼は全部を俺のせいにしようとしている。

 今までの俺だったら――どうでもいいと思ったかも知れない。

 だが、俺には大切な友達がいる。


 俺と友達というだけで評判が下がるのは願い下げだ。


「清水君、やめてくれないか? 俺が君に何をした? 全然喋った事がないじゃないか?」


「うるせえ! それに、お前は華さんがいるのに……特別クラスのビッチギャルと仲良くやってるらしいじゃねかよ!! ははっ、お前とお似合いだ……えっ……!?」





 自分の体温が下がった気がした。

 どうやら清水君は田中の悪口を言ったようだ。

 田中は大切な友達だ。――そこに恋愛感情は……ない。


 だが、


 心の奥で焼けるような痛みが広がる。

 田中との温かい思い出を冒涜された気分であった。


 俺は思わず清水君に暴力の匂いを出してしまった――


「はっ? ……な、なんだよ……これ……か、身体が震えて……動け……」


 未知の恐怖は人の動きを制限させる。

 普通の人がヤクザに絡まれたら? 銃を持った軍人と対峙したら?

 身体から止まらない震えが起きる筈だ。

 人は本能に逆らえない。


「――訂正しろ。田中は優しい子だ」


「――――う、うるさい……俺は華さんと付き合えるはずだった……」


 なるほど、訂正しないのか。彼は狂人のたぐいか? ならば――





 耳に馴染んだ声が聞こえてきた。


「――さっちゃん、ちょっと待っててね……、ちょっと清水、なんで私があんたと付き合う事になってんの?」


 花園が俺たちに近づいてきた。

 カバンに付いているストラップを大切そうに握っている花園を見ると、俺の身体の力が抜けた。


 それと同時に清水君は腰を地面に落とした。


「……ひぃーーふぅーー、はぁはぁ……な、なんだ……一体? ……は、花園……これは」




 花園はため息を吐いた後、大きな声で――周りの生徒に聞こえるように喋りだした。


「藤堂はね、さっちゃんの調子が悪いから心配してジュースとタオルを持ってきてくれたの!! さっちゃんもすごく助かったって言ってるの!! あんたの妄想で藤堂を傷つけないでくれる!!! 藤堂は――すごく優しいのっ!!!」


 あっ――

 俺のモヤモヤが消えて行った。

 誤解される事は慣れていた。訂正しない俺が悪いと思っていた。


 だから――俺は花園の行動が嬉しかった。


「は、花園、あ、ありがとう――」


 花園がこちらを見て一瞬笑った。その後で、清水君をすごい形相で睨みつける。

 ……なるほど、女子が怒ると怖いんだな。花園は俺のために怒ってくれている。俺にとって嬉しい事だ。


「は、華さん、俺は……陸上部のエースである俺は――君と釣り合いが取れている! 俺と付き合えばいいじゃないか! こんな男の何が良いんだっ!」


「はっ? 私、清水と喋った事あったっけ? 全然無いよね? それに清水、陸上部で問題起こして首になるって聞いたよ? エースどころの話じゃないよね」


「ち、違うっ!? そ、それは……笹身が……こいつのせいで――」


「馬鹿っ!! 人のせいにしないの!! 全部自分のせいでしょ! 藤堂の事全然知らないくせにっ! 藤堂の方が百万倍素敵よ!! あんたなんて小学生からやり直しなさいっ!! 顔も見たくないわよ!!」


 強烈な言葉の強さであった。

 意思の強さを感じられる。なるほど、花園は素敵な女の子である。


 清水君は「あうぅ……あう……」と言いながらその場で泣き崩れた。

 大丈夫、彼にも友達がいるはずだ。きっと友達が傷を癒やしてくれる。俺には関係ない。




 花園は俺に向き直った。

 さっきとは全然違う声色で俺に話しかける。


「あっ、藤堂、さっちゃんもう立てるから大丈夫。あははっ、たまには藤堂も私の友達と一緒に登校しよっか? ほら、さっちゃん――」


 彼女――さっちゃんは大分顔色が良くなっていた。

 もう一人で歩ける程度には回復している。


 さっちゃんはゆっくりと俺たちの方に近づいてきた。


「……ふう、やっと落ち着いた。……清水君って最低だね。――藤堂君、ありがとう」


 む、やはり女子と喋るのは緊張する……。


「そ、そうか、良かった――」


 さっちゃんは何故か俺と花園に向かって頭を下げた。


「――華ちゃん、藤堂君、私――ごめんなさい。私が華ちゃんの事をからかったから……二人の仲が悪くなっちゃって……。藤堂君……すごく優しいね。華ちゃん見る目あるよ」


 あの時の陰口の事か……。もう過去の事だ。

 俺は気にしていない。


「気にするな。それよりも学校に遅れるぞ」


「私も気にしてないよ。だって、おかげで藤堂と新しい関係が出来たんだからさっ! ふふっ、藤堂素敵でしょ?」


 さっちゃんは少し顔を赤らめながら俺に言った。

 まだ調子が悪いのか?


「うん、超かっこいいっ!!」


 俺たちは地面で泣き崩れている清水君を置いて、学校へと向かった――








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