2021年2月5日(大安)その2(※約5000字)
明衣と未來は音楽室前の屋上ではなく、中庭を見下ろす中棟上の屋上に出た。
ここならベンチがあるためだ。だが吹きっさらしで風が強い。
「さっむ」
「風強いねー」
「やっぱり中はいりません?」
「どっか空き教室探そうか」
そう言って二人は引き返し、上層階の予備室の札の下がった空き教室に入った。
机の上にひっくり返して積まれた椅子を下ろす。そして窓からの陽の当たる暖かそうなあたりに持っていき、それぞれ好きな方を向いて座った。
「さて、何から話そうか」
「りょうのことですよね」
明衣は食い気味に、そして単刀直入に切り出した。
未來はすこしびっくりしたような目をして、だがすぐ笑んで頷く。
「うん、彼のこと」
「あいつ、いくら聞いても答えないんですよね。先輩、あいつのことどう思ってるんですか?」
「あはは、ぐいぐいくるね」
「ほかに用件ってないじゃないですか」
「そう? パートも違うからあまり話したことないな、って思ったから、もっといろいろあると思ったんだけど」
「例えば」
「あの嘘をつかない優柔不断ぶり」
明衣はぶっと噴き出した。
りょう以外の話題のそぶりを見せてこれである。この一笑いで、明衣がうっすらまとっていた剣呑さは失せた。
「ほんっとそれ、まじそれですよ」
「柾目くんは優しすぎるわ。優しすぎて結果的に何も守れない」
「あー、わかります」
「ねえ、これ以上私に気を使わないでいいからね。どうせあと2か月でどっか行っちゃう女なんだから」
「いやいや練習見に来てくださいよ。コロナで私ふくめて新入り育ってないんですから、大変ですから」
瞬く間に人懐っこくゆるむ明衣の目じりを見て、未來も調子を合わせた。
「そうなのよー。それふくめて、これから先もなんだかんだで私と明衣ちゃんは接点あるはずなのよ」
「まあ、そうですね」
「だから、真剣に考えたの。ずばり聞くけど、彼とはどこまでいってるの?」
「はいっ?」
「んー、エッチまではしてる?」
「あ、そこまでは行ってないです。お互いの家行ってもゲームばっかりしてますから」
「あー、そういう付き合い方もあるのかー。健全ねえ。エッチをする流れになったことは?」
「まだ17歳ですし」
「17歳だったら十分よ」
「ちょっ、問題発言ですよ」
「何言ってんの、良く焦らないわね。それとも彼にはそういう気持ちにならない?」
「いやいやそんなことないですし。っていうか、興味がないこともないですけど、やったらそればっかりになっちゃうのかなって」
それをきいて、未來は急に神妙な目つきになり、こくこくと頷く。
「確かにあるわ。そういう時期」
それを聞いて明衣は頭を抱えた。
「やっぱり、ありますか」
「私はそこで前の彼氏と失敗した」
「なんで失敗したんですか」
「コンドーム」
「つけてくれなかったんですか」
「うん、最初のうちはつけてくれたんだけど、だんだんエスカレートというか、ずさんというか、そういうケアがおざなりになってきて」
「あー、手抜きじゃないけど、付けるの面倒みたいな」
「うん、実際つけてるとつけてないとだと感触も違うんだけどね」
「へー、知らなかった」
「それで時々産婦人科に緊急避妊薬をもらいに走ってた」
「彼氏は?」
「ううん、独りで、お金も自分の小遣いから出して、領収書とか診察券とか細かく切ってコンビニのゴミ箱にポイして帰る感じ」
「あ、それ聞いてりょうのヤツOBぶん殴ったんですか」
「ううん、まさかまさか。それはもう少し後の別の件。……うん、あれはあれで正直、感動したの。うちの学校、基本暴力NGでしょ。それ承知でそこまで思い切ってやってくれる子っているんだーって」
「今までいなかったんですか?」
「んー、中学から数えて3人くらい経験してるけど、そういうレベルの真剣さで接してくれる子は柾目くんだけ」
「経験?」
「あ、柾目くんとはまだ純粋な感じで、数に入れないで」
「あ、そういう3人そうですか、数に入れない、そうですか……ふう」
「ほっとした?」
「いや、いっちゃあなんですけど、先輩色気ありますし。しかし、3人か――最初は?」
「中1の3学期」
「……は、早すぎません?」
「相手が2コ上だったから」
明衣はあーと納得した。
「明衣ちゃんは?」
「まともにつきあったのは、あいつが初めてです」
「ほんとに? よく独占しようって感じにならないわね」
そう言われて、明衣は一瞬だけ鼻にしわを寄せて見せた。
「できるものならしたいですよ。けど、あいつが先輩好きなの知ってるし。それとは別に、あいつはあいつで、私がどんな人間か知ってて受け入れようとしてくれてるし」
「じゃあ、柾目くんがぐいぐいきたら、体開いちゃう感じ?」
「まあ、なくもないかな……。いや、ないな。りょうがぐいぐい来るのがまずあり得ない」
「そうなの?」
「あいつめちゃめちゃ真面目ですから。うちの犬より忠犬ですよ。多分先輩あたりが『待て』って言ったら地球が終わるまで待ってると思います」
「犬飼ってるんだ。……んふふ、けど忠犬はわかるなあ。そこが可愛いんだもん」
「ですよねー。一応、セックスは今後どうするかみたいなことは、話してはいるんですけどね。それより不思議なんですよ、友達で居過ぎたせいですかね、キスしても噂に聞くほどドキドキしないというか」
「あー、親戚のちっちゃい子にチューしてるみたいな感じ?」
「そうそう、飼ってる犬に顔なめられるのと変わらない感じ」
「あーん、それはちょっと残念ねー」
「それで、自分と付き合って、そんな風でいるくらいなら、先輩とあいつがもし両想いなら、そっちできちんと付き合った方が彼のためになると……」
「そんなんで譲っちゃだめよー」
未來は食い気味に、やや声を強くして言った。
「本気で言ってんですか」
「本気よ。いや、本気になっちゃだめか、自分の事でもあるし」
「先輩も天然なとこあるタイプですね」
「えへへ。――けどね、あの子は私には勿体ないと思うの。それに、あなたが後悔する」
「後悔は、そうですね。けど、勿体ないってことはないですって」
「ううん。だってあんなに可愛いんだよ。全部正直に話しちゃうし、嘘つかないし、泣いちゃうし、心配になってほっとけないでしょ」
「え、あいつ泣いたんすか」
明衣は素に戻って聞いた。その表情の落差に、未來はすこしテンションを下げる。
「え……うん」
明衣は何か深く合点がいったというように額に手を当てた。
「はー、それでかー」
「最近元気ない件?」
「そうですー。あいつ泣くと魂抜けるんです。7年の時、ずっと飼ってた犬が死んで、学校きても思い出して泣くほどだったんですよ。その時もしばらく魂抜けてましたもん」
「まあ、ペットロスはたしかにつらいけど、それほどなの……」
「逆に言えば、そのくらいにならないと泣かないっす。……なんで泣いたんですか」
これには、未來は困ったような笑みをつくって何も言わない。
……少なくとも、未來には明衣とりょうには強く結び合う心があるように感じていた。
そのために彼は泣いた、などと話して聞かせて、ふたりのためになるものだろうか。未來はならないと思ったのだ。
未來は未來なりに、それだけ真剣に明衣とりょうが結ばれればよいと思っていた。むろんその裏でどれほどか自分が一人で泣いて過ごすのを承知の上である。
――何も言わないかわりに、未來は明衣の肩にもたれかかった。
「ねえ、わたし達、なんであの子なのかしらね」
「それですよねぇ……まあ、いい奴なのは間違いないし、清潔感もそこそこだし」
「それはそう」
「……正直、失いたくないです」
「そう思うなら、もう寝ちゃいなよ」
未來はやや投げやり気味に言った。
「え」
「わたしだって、あの子と付き合うなら、きちんと信頼関係結んでからにしよう、って思ってる。そういうレベルに至りたいから、今はピュアなまま、ちゃんとしてるつもり。だけど、あなたはもうそんな段階じゃないでしょ」
「いや、さっきも言いましたけど、まだそういうのは早いです」
「あなたがそういうってことは、柾目くんもそう思ってるってことよね」
「そうです。そういう風な話にはなってます」
「……さっきも気になったんだけど、セックスについて話し合ってるの?」
明衣は一瞬ぽかんとして、はい、としっかり頷いた。
「わりとよく。変な話、自分一人でしたときとかの経験で、この辺はこんな感じになってるよとか、ゴムのつけ方一緒にググったり」
未來はしんじられないというようにマスクの上から口元に手を当てた。
「あなたたち、わたしが想像してたより、理性的というか、大人なのね」
「いやいや、知識の共有って感じで、お互い未経験ですし」
「……変なこと聞いてごめんなさいね」
そうわびつつ、未來はいつしか頭を抱えている。
「いえいえ、どうしました?」
「いやその、わたしなんかものの弾みというか、成り行きでやるものとばかり……」
「先輩、それはそれで問題ありません?」
「うん、たまに、そう思う。っていうか、そう思って、OBとは別れた。決め手はあっちの浮気だったけど」
「はぁ!? 後輩に中出しするだけじゃなくて浮気までしたんすか。そいつどいつっすか。っつうかカメラロールに残ってます? 顔覚えますから、今度来たら私蹴ります」
「ちょっとやめてー、もう片付いた事だから、もう他人他人って感じだから」
「じゃあ、せめて大学どこっすか。同じとこ行きたくない!」
「それは――」
二人の話は、いつしかそのようにしてりょうの事から話題がそれていった。
再び戻ってきたのは、彼の進路の話になってからである。
「――そっか、彼、大学行くとしても奨学金なのか」
「学資ローンって感じなんですよね。奨学金って名前だけど」
「それで将来、同じ道を目指して、っていうのは無理があるのね」
「ええ、思ったより無茶な事言いましたね」
「ううん、彼ソルフェ履修してるし、ピアノ触れるし、譜面読めるし、音憶えるの早いでしょ。だからてっきり本気で音楽系志望してるんだと思ってたの」
「中学までピアノ習ってて、今も部活大好きですからね……」
「中学まで習わせるなら最後までやればいいのに!」
「9年の時、柔道の授業で腕骨折してやめたんですよ。そこで塾の授業もまともに受けられないから、って高校受験も白紙に戻して……まあ、習い事ってそういうものですよ」
「いやわたし、ずっとピアノ習い続けてるよ。声楽も一応芸大受験までは週1で通うし」
「それはそれは凄いですけども」
未來は頭を抱えた。
「わたし、もしかしてすごくひどい事を言ったのかな」
「え、なんでです?」
「だって、もしかしたら高校までで合唱辞めるかもしれない子に音楽薦めたんでしょ?」
そう言われて、明衣は未來の肩を抱いた。
「先輩、そんなことないと思います。大学にもよりますけど、合唱部はあるところはありますし。あいつなりの形で将来音楽は続けたいって言ってますから」
「けど、プロではない」
「それはそうかもしれませんけど」
「そっか……私、振った方がいいのかな」
「なんでです?」
「あの子、そんな話私にはしてくれなかった。あれだけ正直な子が、そういうところだけ隠したの。私の言葉に下手に突っ込まないために――。付き合ったら、きっとそういう我慢をもっとたくさんさせちゃう」
明衣は首を横に振って、こう言った。
「きっと見栄を張っただけですよ。――我慢してでも好きな人のためにありたいっていうのは、私だってあります。……それに、別にプロでなくても、同じ大学でなくても交際を続けることはできると思います。あいつが東京の大学選ぶ限りは、遠距離恋愛もないでしょうし」
「――ねえ、あなた自分が、愛してる男を別の女に差し出そうとしてるってわかっててそれ言ってる?」
未來にそう問われて、明衣は一瞬、動揺したように黙った。
「……わかってます」
「今の間は、無理してるからよね?」
「……もちろん」
明衣は涙目になってうなずいた。
未來も涙ぐんでその肩を抱きすくめる。
「なんでわたし達、おんなじ人を好きになったんだろうね」
「そんなの私が聞きたいくらいですよ」
その昼休みいっぱい、ふたりは泣き合った。
泣きながらそれぞれに、知っている限りのりょうの事を語らった。
午後の授業の予鈴で涙をぬぐって、二人はそれぞれの教室へと帰った。
放課後はそれぞれ何食わぬ顔で部活に参加した。
その日は演劇部と合唱部両方の活動日であり、明衣は堤と共に演劇部の方に参加した。
明衣にとって、中学の演劇クラブから上がってきた子らの多いこちらは以前にもましてホームとしての実感が強まっていた。
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