2021年2月5日(大安)その1

 この週より、部活動は再開された。

 例の『感染対策を徹底した上での15人以下での音楽室利用』を学校側が受け入れたのである。

 だがいまだ緊急事態宣言下であり、合唱部も全体練習ではない。ドアも窓も開け放っての吹きさらしのような換気状態での曜日ごとのパート別や学年別の練習に留まっている。むろん、全員不織布のマスク着用の上である。

 

 未來はそんな中の金曜の午後、明衣を昼食に誘った。

 2月初週、翌日より高校の入学試験期間入りを目前とした最後の昼休みである。

 場所は3学期より営業を再開させたばかりの学食だ。


 長テーブルのパイプ椅子は以前の半分に減り、カウンター席もアクリルの衝立が各席をへだてている。

 壁には『教室までの食器の持ち出し可(ただし食後返却すること!)』という張り紙がある。


 2人掛けのティーテーブルは衝立の設置をまぬがれており、未來は先んじてその席で明衣を待っていた。

 先日のりょうとの約束に反して、対話は2人きりである。


「ごめんね、呼び出して」

「いえ」

 明衣はやや緊張していた。


 未來は手持ちのカバンから2本のお茶のペットボトルを取り出し、片方を明衣に差し出した。

 明衣はこれを受け取って、向かいに座る。


「ありがとう、ございます」

 明衣の声は周囲の音にかき消えそうなほど弱弱しかった。

 りょうや演劇部や合唱部で過ごしている時の奔放ほんぽうな明るさはない。まるで気配を消しているかのようだった。

 これが普段の、友達の少ない女の子としての明衣なのだ。


 明衣はこの日は弁当だった。未來は学食の肉野菜炒め定食である。

 昼時の学食はせわしない。調理場の物音や注文のやりとりの声は高く、誰もがアクリル板の衝立越しであることをいいことに会話をしている。笑う声もげらげらと大きい。


 それに加えて、未來をすれ違いざまにちらちらと見る目も多い。

 だが、当の未來はこれについては慣れた風で、いちいち視線を返すことすらしない。


 それでもわずらわしいようで、未來はしいっと歯の間から息を吸うような舌打ちをした。

「やめた」

 突然の宣言に、明衣は「えっ」と少し面食らう。


 未來はスマホを取り出して、言った。

「これもってるでしょ。出して」

 言われるままに明衣も携帯電話を出した。すぐにラインの着信が来る。未來からだった。

『お互い、言いたいことがあるでしょ。柾目くんについて』

 明衣は少し困った顔をして、うなずいた。


「ええ、まあ、あるといえば……」

『ここなら騒々しいし、何言っても大丈夫かと思ったけど、そうでもない気がしてきた』

 明衣は、猫背気味のかっこうのままあたりを見渡して、納得してうなずいた。


「さっさと食べて屋上行きましょう。話はそこで」

「え、はい」

 明衣は促されるまま、未來と食事を始めた。


 二人はスマホをテーブルの上に出したまま箸をとる。まもなく、未來はそれをついついっと食べる合間に指先で操作する。

 すぐさま、明衣のスマホの画面が光った。

『鈴木さんは、なんで演劇部に?』

 未來からだった。

 明衣は、おっという顔をして返信を打つ。

『中学からの流れ、ですかね』


『内部進学だっけ』

『はい。中学のクラブ活動で一緒だった子らは、香坂以外みんな他所の学校行っちゃったので』

『シャープレスの子? 沖原よりちょっと背のある』

『そうですそうです』


 ――なぜこのふたりは面と向かって座っているのにスマホアプリ越しに会話をしているのか。

 その理由はひとえに、会食中の飛沫感染対策である。

 これは3学期始業とともに再発令された新型コロナウィルス対策の緊急事態宣言下での、美星高内でのちょっとした流行りであった。教員たちも、感染対策ということならば、と一応目をつむってくれている。


『2人だと大変でしょ』

『けどたぶん堤も戻ってきてくれそうな感じですから、10年生も5人くらい入ってくれたし』

『じゃあ、部としては来年以降も続けられそうな感じで』

『なんとかやっていけそうです。オリジナル脚本は来年は難しそうだけど』


『そうなるとつつみん部活3股か。あの子、進路とかどうする気なんだろうね』

『(『それな』のスタンプ)』

 明衣はそこで手を止めず、メッセージを連投する。

『専門学校しか考えてないとか言ってますけど、あの子こそきちんと受験して、尚美みたいなミュージカル系の学科のある大学受けた方がいいと思うんですけどね』

『あの子も赤点の常連みたいな子だからね。受験はあきらめてるのかも』

『(『そうなんだ……』のスタンプ)』


『クラス違うんだっけ』

『私は4組で、堤は5組です』

『しばみくと一緒?』

『小柴さん?』

『(『イエス!』のスタンプ)』


『小柴さんはびっくりしました。教室だと全然ああいうタイプじゃないから』

『え、もっとだらしないの?』

『(ノンノンと首を振るスタンプ)いいトコのお嬢さんっていうか、背すじピンって感じで。笑う時も口に手を添えて小声でって感じで』


『きちんとしてるんだね。じゃあ、つつみんから『みくにゃー!』とか呼ばれてべたべた抱きつかれてる感じじゃないんだ』

『そこなんです。あのギャル全開の堤とずっといちゃいちゃおしゃべりしてるっていうのが、なんか不思議で』

『そうかもね。けど二人とも柾目くんと一緒で入学直後から入部で、仲が古いのよ』

『(『なるほど』のスタンプ)』


『つつみんが受験しないって言ってるの、多分しばみくみたいにはなれないって思ってるからっていうのもあると思うんだよね』

『そんな風に見えますか』


『オペラ部の歌い手と曲決めたの、間宮先生と部長たちなのね』

『(ふむふむ、とうなずくスタンプ)』

『その時に、コーラスパートからソリストの役を奪いたい子向けにオーディションをやったの』

『(ほうほう、とうなずくスタンプ)』

『つつみん、それ挑戦して弾かれてるから。逆にしばみくは最初からあの曲確定』


『上手かったですもんねー』

『11年のソプラノで一番技術あるから。元々歌は習ってる子だし』

『そうなんですか』

『しばみくは親も音楽系。お父さんはプロでドラマーだったかな。男子が言うには専門の雑誌見るとたまに載ってるって』


『音楽一家だ。その割に軽音部じゃなくて合唱部なんですね』

『それは児童合唱団上がりだから、しばみく』

『なんか土台が違う感じですね』

『つつみんは、高校から合唱で始めた子だから。まあ頑張り屋だから、12年ならワンチャンあったと思うけどね』


『先輩はどうなんです?』

『(『ワタシ?』というスタンプ)』

『歌はいつから?』

『中学で2年だけ合唱やって、中3で東京来てから声楽ならうようになって、美星高入ってから合唱と声楽』


『なんで合唱始めたんですか?』

『(頭を抱えるクマのスタンプ)』

 ――実際、未來は返事になやんでいるようで、首をひねったまま入力する手が止まっている。

 これを見て、明衣がすすっと入力する。

『(長考中の将棋のスタンプ)』

 目の前の未來がくすっと笑う。それから彼女の指は再び動き、帰ってきた返事が来る。

『色々あるけど、友達がいなかったからかなー』

『またまたー』

『いやいや、元いじめられっ子なの。こう見えて』


 明衣はぎょっとして目を剥いた。

『そうは見えないっす』

『自信ありそう?』

『それもあるけど、ソサエティみというか。スクールカースト高めというか(キラキラの絵文字)』

 これに未來はこまったというように苦笑いをして、明衣の向かいの席で首を振っている。

『こう見えて根は地味だから。見た目が派手だから、悪目立ちしてるだけだし。今みたいに自信が持てるようになったのは、こっちに来て声楽はじめて、美星の合唱部で歌ってみんなにほめられてから』

 それをきいて、明衣は納得した。


『そっちこそ、中学から男子と遊んでて冷やかされなかった?(ハートマークの連なった絵文字)』

 明衣はくすりとした。

『冷やかされまくりですよ。(青いハートマークの絵文字)けど、その都度乗り越えてきました』

『(『なかよしねー』と寄り添ったぬいぐるみの絵文字)』


『っていうか、ヤツは冷やかしに負けるのを許してくれないんですよ。何かあると『俺たちの今後の方向性について話そうか』って……。7年生からそれですよ。方向性って解散前のバンドかよって』

 これにくすくすと笑った。

『カタブツよねえ』

『そうなんです。メンタルも強いんだか弱いんだか』


 2人はそのようにしてほとんど声を発することなく談笑しながら、食事をすませた。

 そして、いよいよ屋上に上がった。

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