第37話 不本意な一撃――

「……はぁ、もういい疲れた。護衛でも見守り隊でも勝手にすれば。あたしはアンタがあの部屋に入りさえしなければもうどうでもいいし」


 そう言って、頭を抱えるしのぶの方から降参のため息が上がる。

 わたしとしてはもうしばらくこの茶番に付き合ってやってもいいのだが、軟弱な精神のしのぶにこれ以上負荷をかけても、後で凛子にどやされるだけなので適当に返事を返して茶番を切り上げる。


「おう。まぁお前の言うことを聞くかはわたし次第なんだけどな」


「……勝手にすれば。あたしはアンタがいようがいまいがいつも通り生活するだけだから」


 「ただ――」とそこで言葉が途切れ、


「――これ以上あたしに関わって死んでも知らないからね」


 唐突にそのほの暗い視線が僅かに尖る。

 そのブラウンの瞳がYシャツの下で無様に巻かれたの包帯の方へと向けられた。

 冷たい声が重圧となって和やかなカフェテラスに静かに溶けて消えていった。


「気がつかないと思ってるの? アンタ、実はあたしにやられてすっごいボロボロなんでしょ。次は前みたく簡単にやられたりしないし、いくらアンタが怪我人だからって今度あたしの大切な部屋に入ってきたら問答無用で外に叩きだす」


 ……なるほど。お前の気遣いは受け取ったよ。

 たしかにわたしの身体はボロボロだし、あと一回か二回無茶すれば使い物にならなくなるかもしれない。


 魔法だってそれこそ万能じゃない。特にこの制約の多い世界ではなおさらだ。

 だがな、しのぶ――


「おまえ、それで脅してるつもりか?」


 そう言ってどこ吹く風で飄々と残りのクレープを平らげれば、横から忌々しそうに顔を顰めるしのぶの姿があった。


「お前が悪ぶれない半端者ってのはもうわかってんだよ。いまさらこの程度の脅しでビビるかっての」


 それにわたしからしてみればこの程度の修羅場、日常茶飯事だったし。


「という訳で残念ながらこの超絶美少女神無ちゃんにはそんな脅しは屈しないのだ。……残念だったな、当てが外れて」


「なによ、それ――」


「幻死症ってのは、存在するってだけで価値があるからな。おおかた、凛子の奴からなにか取引でも持ちかけられてるんだろ? そんなくだらねぇ取引に応じるくらいだったらわたしと一緒に、――ッッ!?」


 そうして嘲笑気味に唇の端を持ち上げてみせれば、力任せに握られた拳が、行き場のない感情の矛先となってわたしの頬を穿った。

 ジンと痺れる痛みの後に、血の雫が僅かに唇の端から零れ落ちる。


 だが、むしろ一番驚いているのはしのぶ自身で――


「え、なんで、あたし。こんなことするつもりじゃ――」


 殴った右手を胸の中に抱え、フラフラと青白い肌が一層血の気が引いていく。

 そして、ついに付き合いきれないとばかりに荒々しく呼吸を荒げると、逃げ出すように踵を返し、胸を押さえて非常口まで続くドアノブをひねり出した。


 空間が歪む重圧。現実が捻じ曲がりつつあるこの気配には覚えがある。


「おい、その身体でどこいくつもりだ」


「うるさい、ついてこないで!! アンタみたいな野蛮な馬鹿と一緒に居られるわけないでしょ!! アンタが呆れて帰るまでどっかで時間つぶして、くる、の……?」


 叫ぶのに力を使ったからか。それとも蓄積した疲労が噴き出したのか。

 しのぶの膝が唐突に崩れ、前かがみに身体が傾く。

 本人も意図しないことに驚いているようで、小さく声が漏れ聞こえてくるが――


「あぶね――っと、おい、病人なんだから無理すんなよ」


 とフォークを咥えながら瞬時に距離を詰め、ふらつくしのぶの脇に手を差し込んでやれば、軽すぎる体重がわたしの肩にのしかかる。


「あたしに構わないでって言ってるでしょ!!」


 そう言って振り払うようにしてわたしの手を弾くしのぶ。


 その表情に一瞬だけ複雑な色が浮かび、すぐさま踵を返すようにカフェテラスを飛び出すと、遅れてやってきた重い非常口を締める音が、荒々しく響き渡った。

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