第36話 『くだらない』からこそ真剣に――

◇◇◇


「というよりくだらねぇ悩みだよな。実際」


 そう言い残した時、しのぶの中で切れてはいけない何かが切れる音が聞こえた。


 ギリっと歯が軋む音と共にクレープを地面にたたきつける生々しい音が鼓膜を震わし、黒い影がわたしの胸ぐらを無遠慮につかみ上げる。


 そしてその竦みあがりそうになる喉が一度何かを吐き出すのを必死に堪えたかと思うと、


「――だったらッッ!! だったらなんで、そこまでこの依頼にこだわるのよ!!」


 感情のままに吐き出された言葉がわたしの薄い胸を叩いた。


 しんと静まり返るカフェテラス。


 なにごとかと騒めきだす喧騒。客の視線がわたし達に集まり、中にはスマホをこちらに掲げているようなものまでいるが、もはやそんなことを気にしている余裕はわたし達にはなかった。


 煌々と熱を持ち、感情のままに輝きを放つ暗がりの視線がわたしに注がれ、わたしも胸ぐらをつかまれながらもその視線を正面から受けてたてば


「あたしは、助けてくれなんて頼んでないッッ!!」


 絞り出すような訴えが涙となって溢れ出し、ギリっと締め上げる胸ぐらに、震える喉が僅かに鳴った。

 この枯れ木のような身体のどこにそんな力が隠されてあったのだろう。


 キッッと睨みつける栗色の瞳に初めて感情的な大粒の涙が浮かび上がる。


 その瞳に浮かび上がる涙はどこまでも純粋な訴えで――


「だいたい、お金が入るなら、もうそれでいいでしょ。あたしのことなんか適当に放っておいて、あとは自由にどっか行ってよ。なんでそこまで意固地になるのさ!!」


 涙交じりに紡ぎだされる言葉はこれまた単純で、滑稽なほど聞くに堪えない言い訳ばかりだったが、そんなもの決まっている。


「――オタ活の為だ!!」


「――は?」


 そう言って堂々と病人の訴えを鼻で笑ってやれば、一瞬だけ表情が抜け落ちたしのぶと目線がかち合った。


 どうやら予想外の答えに、脳みそがフリーズを起こしているらしい。

 この顔は事の重大さを本気で理解してない顔だ。


 確かにあんたが死のうが生きようがわたしにとってはどうでもいいことだけど――


「お前さ。さっきから死ぬ死ぬ言ってるけど、残されたヤツの気持ちってのを考えたことあるのかよ」


「なに? 今更、一般論振りかざして同情買おうっての? そんなものこっちは聞き飽きてんのよ!! どうして家族でもないアンタの気持ちをこれから死ぬあたしが気にしなきゃいけないのよ!」


「お前は知らないからそんなこと言えるかもしれないけど。わたし、この依頼失敗したら地元の片田舎に強制送還させられるんだぞ。せっかく念願の一人暮らし出来たってのにそりゃ――あんまりだろうが!!」


「アンタ、それ正気で言ってるの?」


 そう言って同じように胸ぐらをつかみ、今度こそ呆気にとられたような顔を浮かべるしのぶの口からと理解しがたいと言いたげな声が漏れた。


「そんなことのために、アンタはあたしの願いを踏みにじるの?」


「そりゃこっちの台詞だよ。まったく、なにが悲しくて思春期の小娘のくだらない我が儘につき合わされて今後のオタ活を邪魔されなきゃいけなきゃいのさ。そっちの方がありえねぇだろうが」


 握りしめた拳が解かれ、半ば宙に浮きかけた上体が元に戻る。

 フラフラと立ち尽くすしのぶの瞳には先ほどまでの力強い意志はない。


「おっと、この際だから言っとくが、趣味の為だからって馬鹿にするのは早計だからな。お前は知らねぇようだから教えといてやるが、人間の持つ執着心ってのはすげぇんだぞ。それこそ他人の人生を変えちまうくらいな」


「……だったらなおさら面白半分で首突っ込まないでよ。あたしは一人でひっそり死にたいだけなの。たかが趣味なんかで助けられても迷惑なだけだし」


「趣味だからこそだよ。バカやろう」


 そう言って軽く頭を小突いてやれば、目を点にした生意気な小娘と久しぶりに目が合った。


「わたしはわたしのために依頼を遂行すんだ。別にお前を助ける為じゃないし、みーちゃん以外の人間がどうなろうと知ったこっちゃない。別にお前はお前で勝手に一人で死にたいように死ねばいい」


 だけどな――と言葉を区切り、わたしはそのしょぼくれた眉間に人差し指を突き当てれば、よろけたしのぶが自分の額を押さえてわたしを睨みつけてきた。


「もっかい言ってやるよ。いくら泣いて頼まれようと、わたしはこの依頼は死んでも投げ出すつもりはねぇよ。せいぜい悔し涙で枕を濡らして残りの寿命を数えるんだな」


「なに、よ。それ――仕事に誇りとか、もっとましな言い訳ないわけ? よりにもよって地元に強制送還って。……結局、自分の為じゃない」


「そうだな。期待してもらって悪いが、わたしがアンタに付き纏う理由はたったそれだけだ。まぁ、ぶっちゃけお前が死のうが生きようがどうでもいいが、こればっかりはお前に付き合ってもらうしかねぇんだわ」


 そうしてあからさまに殻をすくめてみせれば、わざとらしく唇の端を持ち上げ、目の前の小娘に向かって厭味っぽく、それでいて堂々とした勝利宣言を口にする。


「まっ、そんなわけで? わたしと一刻も早く距離を置きたいお前にとっては不本意だろうが、お前はどうあがいてもわたしに救われる定めなんだよ。もう素直に諦めてわたしの野望に付き合いな」


「諦めろって、……あたしに拒否権はないわけ?」


 基本的にないな。

 それこそわたしとお前の縁が切れるのはこの厄介な幻想が綺麗さっぱり消え去った時だ。

 まぁそれもあと数日のことだろうが――、


「そう怒るなよ。どうせお前が死ぬまでそんな時間もねぇんだ。それまでは仲良くしようぜ、しのぶ」


 そう言って渾身のスマイルをもって親指を天に突き出せば、唖然としたしのぶの表情が驚愕から一転。怒りに変わった。


「――ッ、ほんっと信じられない!! 言うに事欠いて、その――死ぬなんて。あたしが死んだらアンタも死ぬかもしれないんだよ? 本当にわかってる?」


「おう!! つか別にその程度のことどうでもよくね? 自己陶酔とか思春期にやりがちだけどこれはちょっと恥ずかしすぎるだろ」


 わたしとしては群衆の前で堂々と黒歴史刻ざみこんじゃったお前が、そっちの方面の羞恥心で死にゃしないかが心配んだがね。


「~~~~ッッ、ほんと無神経な奴って大っ嫌い!! パパもパパよ、なんでこんなガサツな女に観察されながら死ななきゃなんないのよ」


「パパ?」


 ハッとなるしのぶ。

 完全に無意識から出た言葉らしいが不用心すぎないか?

 よりにもよってこのわたしなんかに自分の弱みを見せつけるなんて。


「へぇ~~~~、パパねぇ~~~~」


「あ、いや、これはその違くて――」


 かぁと赤面する顔が。どうやら本当に無意識だったらしい。

 だとしたら滑稽だ。


「ぷっ――、なんだよお前、やっぱり大人になり切れてなんかないんじゃない。父親をパパって読んだり、好きなものも好きって言えないかったり、やっぱりお前はお子様だよ」


「う、うっさい! アンタみたいなガサツ女に言われたくないのよこのヒキニート!! 無一文!! 脳筋ゴリラ!!」


「お前は言ってはならないことを言った!!」


 グルルルッと野生の獣のように威嚇しあう。

 周りは完全に白けたのか、すでにいつもの『ヲタク』な会話で華を咲かせている。


 そうして茶番じみた罵り合いを続けることしばらく――

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