第5話
金色のカブト虫戦士は、爆炎に背を向けた。
「全ては、母なる世界樹のために!」
そして、炎よりも紅いマシンで疾走したのである。
既に滅んだとされる魔獣だが、中でも昆虫に類似した生態を持つ者だけは、実は「世界樹の森」にて秘かに生き延びて、あくなき森林破壊を行う人類と敵対しているのだった。
今では彼らは、人間たちから「魔虫」と恐れられているのである。
真紅のマシン—— 「ブラッディービートル」は、前方に強力な敵の存在を検知した。
カブト虫戦士は、挨拶がわりに、後方宙返りを披露しつつ愛機から飛び降りて、自律モードのブラッディービートルを、敵へとぶつけたのだった。
相手は、一見したところ人間の少女のような姿形で、東方風の装いであった。
「おほほほ……このような進物は、わたくしの好みではありませんわ!」
少女が、ただ指差すように槍の穂先を向けただけで、ブラッディービートルは、突如、見えない檻に閉じ込められたかのように、前進も後退もできなくなったのである。
「蝶火女よ、きさまはなぜ、人間どもの肩を持つのだ」
「笑止の沙汰ですわ、フォレスト・カブトよ!人間どもが言うのです。魔虫に滅ぼされるくらいなら、われら妖魔の玩具になったほうが、幾億万倍も楽しめると。
さあ、行きますわよ!」
蝶火女は、槍をバトンのようにくるくると回しながら、自分の背丈の何倍もの高さまで、軽やかに跳躍したのだった。
「はい、カーーーットッッ!」
監督の声が響き渡り、蝶火女は、空中でぴたりと静止した。実は彼女は、撮影用のワイヤーに吊られていたのである。
「アナタってばもう最高よ、クルミっち♡着ぐるみ職人としても、スーツアクターとしても、どんだけイケてるのお!」
監督は、まずはカブト虫戦士——フォレスト・カブトへと、その中の人を労うべく駆け寄ったのである。カブト虫戦士と今時のマシンの取り合わせには、撮影前からご執心だっただけに、順当なことだろう。
「旦那〜お安い御用でさ〜」
クルミっちも至ってご機嫌である。
クルミっちとは、蝶火女役のシュゼットが、「着ぐるみ職人」をもじったあだ名だ。当人が本名より気に入ったということで、撮影現場で定着したのである。
ちなみに、クルミっちは、先日のイベントにおけるエントリーナンバーK-492、つまりは優勝者だ。イベントは部分的に中止されたが、優勝者の決定に異議を唱える者などいなかった。
ただ、優勝者が参加するはずの映画制作については、「ミイラものになるらしい」と噂されるものの未だ不透明で、クルミっちのスケジュールが空いているうちにと、監督が本作へと口説き落としたのだ。
「シュゼットさん、下ろしまーす」
「はい、よろしくですわー」
ワイヤー担当のスタッフに笑顔で応じつつ、彼女は、高所からだと目につきやすい光景もあるのだなと感じた。例えば、撮影現場の片隅で、背中を丸めて体育座りしているカブト虫戦士だ。こちらは着ぐるみではなく生身、つまりはヴァレスである。
ヴァレスもまたこの時代のマシンに惚れ込み、映画出演の依頼を快諾したらしい。しかし、大型二輪の実技はめきめきと上達したものの、正式な免許を取得するには至らず、免許を持つクルミっちにオイシイ所を持って行かれてしまったのだ。
「は〜あ、ちょっとだけ疲れましたわ」
シュゼットは、甘い飲み物を手にして、ヴァレスの隣に座る。
「クルミっち殿は今日も絶好調だな。あの後方宙返りのキレなぞ、只者とは思えん。
私はほとんどいらない虫だ……」
どうやらヴァレスは、撮影風景を目にしてから全力で丸まったらしい。まるで成虫から幼虫へと退行してしまったかのようだ。
映画の撮影が開始されて数日になる。芸能活動において一日の長があり、アルドやギルドナの旅の仲間でもあるシュゼットと、ヴァレスがあれこれと話す機会も増えているのだった。
「『魔獣』をせめて『魔虫』と言い換えていただけないかと食い下がって以来、監督殿とギクシャクしている気がしてな」
「……どうして、そんなことを頼んだんですの?」
シュゼットは、ヴァレスの背後をちらりと見遣ってから尋ねた。
「私は、中世では、魔獣と人間の本物の和平交渉に臨んだ身だぞ!芝居とはいえ、両者が何ひとつ学習しなかったかのように全面対決するなど、もうたくさんだ。
それに何より、私の主君は、母なる世界樹などではない。未来永劫、ギルドナ様ただお一人なのだ!
しかし、そうした事情を、監督殿に赤裸々に打ち明けるわけにもいかんし……」
「その思いってさ〜、監督はともかく、ギルドナにはバッチリと伝わったはずですわよ」
「はっ、何を根拠に!」
「はい、これ」
シュゼットはヴァレスに、緑色の果実を手渡したのだ。それは、どこからどう見ても、コニウム産のワニナシだった。
「……なぜ……ここに……」
「陣中見舞いに決まってますわ!あっちこっちでスタッフに挨拶して、手渡してましたもの」
シュゼットは、「誰が」とは言わなかった。言うまでもないほど、それは、ヴァレスにとっては唯一絶対の人物であるからだ。
そして、ちょうど通りかかったスタッフたちも、立派なワニナシを手にしていたのである。
「結局、あれって誰だったの?」
「マクミナル一族の誰かだろ?『わが一族の者をよろしく頼みたい』なんて推してたから。お忍び感を出すためにコスプレしてたんだろうが、クオリティーが高すぎて正体不明だったな」
ヴァレスは、「うわあああ」と観念した。シュゼットは、答え合わせを続ける。
「最後は、丸まってたあなたの後ろに、黙って立ってた。もう帰っちゃったけど、『ギルドナ様ただお一人なのだ!』くらいまでは聞いてたし、ちょっと笑ってましたわ」
そこへ、監督がやって来た。
「ヴァレスちゃん、次はいよいよ戦闘シーンよ!アタシがアナタの家柄に目が眩んじゃったわけじゃあないってところを、ガツンと見せつけてちょうだいな!」
監督をはじめスタッフたちは、今でもヴァレスをマクミナル一族だと思い込んでいるのだ。ある意味好都合なことである。
「御意!」
一気に武人の風格を取り戻したヴァレスの隣で、シュゼットもまた不敵な笑みをたたえたのである。
しかし実のところ、監督には監督の悩みがあった。
今回の映画は、「蝶火女伝説」の続編である。しかし、「フォレスト・カブト/一騎当千」というタイトルを閃いて、心奪われてしまったのである。
いずれにせよ、想定外の「続編」が、未来世界にて幕を開けようとしていた。
森のカブト虫 如月姫蝶 @k-kiss
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