第25話 嘘でも想ってしまうのが愛

 マツユキは、何を守りたかったのだろう。


 十二年前はクソ姉を。

 昨日はわたしを。

 あるいはずっと、マツユキ自身を守ろうとしていたんじゃないか。ヘタクソな笑顔の下で何を考えているのか、わたしにはわからない。そもそも他人の考えていることがわかったことなんて一度もないから、わかるわけがない。


 いつもみたいに矛盾がないまぜになって、上手く言葉が出てこない。文字通りに手も足も出ない。せめて目の前で繰り広げられているのが嘘か誠か、見定める。


 九頭龍迦楼羅が首を傾げた。

「……貴方、誰?」

 男も首を傾げ、やれやれと肩を竦めてわたしたちの元へと近づいてくる。


「いやだなあ、迦楼羅ちゃん。僕だよ。十六夜待雪は君を守る為に帰ってきた。久遠じゃなくて君を選んだんだ。そう何度も同じ手が通じるとは思ってないし、思っているなんて思わないだろう?」


「ふうん、そう。そういうやり方で来るの」


 動けない私を余所に、二人は切迫する。今のまま近づけばあと五歩ずつ近づけばキスもお姫様抱っこも思いのまま。クソ姉は腕を組み、いや、組んだのではない。着物の袖からカッターナイフを取り出して、そのまま自らの左手首を切り裂いた。

 煩わしい虫でも追い払うみたいに血が付いた得物と血の滲む手首を振るうと、パタパタと音を立てて真っ赤な体液が撒き散らされる。


四月朔日わたぬきの軍門に下るなんて、八叉やまたも落ちたものね」


 八叉は高度な変身能力を持つ。

 参加者である八叉ミコトは四月朔日の病院に入院していたはずだった。

 昨日、マツユキは四月朔日千鳥に任せた。マツユキとの違いは、血の匂いが濃すぎる程度。なのに、この女は一瞬で見破ってみせた?


 迦楼羅の雫は男に向けて飛散していた。それらは全て質量を肥大させ、一つ一つが彼女の腕ほどの長さに伸びて硬く鋭く赤茶けた無数の杭に変化して、男の身体を貫いた。男は両腕を交差して顔を守り、しかし全身に無数の杭が打ち込まれている。腕、太もも、腹部、白いワイシャツが紫陽花と同じように曼殊沙華に変質していく。


「へえ、ネタは割れてんのかい」

 低く伸びやかな声が、トンネルを通る風の音をボイスチェンジャーにかけたような音に変わった。

「なら話は早い。九頭龍迦楼羅、お主は何を欲する?」


 八叉ミコトの髪が根元から白く染まり、地に着く勢いで伸び始める。八つの束を形成するそれぞれが頭をもたげる蛇のようにも見えた。


「質問には答えない。貴方の変身ヒーローごっこに付き合うつもりもない」


 今もなお赤い体液の零れる腕を見せつけるように差し出し、迦楼羅は拳を握る。小指から親指にかけて、虚空に張り詰めた糸でも掴むような所作。

 葬儀参列者然としていたはずの八叉は今や宮司や神主に見紛う白装束に着替えていた。鎖にも似た赤い紐を首から下げ、胸の上には白い勾玉が揺れていた。変身が始まっている。


「ああ理解わかる。理解わかるぞ。聞くまでもない。そしてそれは間違いじゃ。お主は十六夜待雪に好意を抱いているのではなく、十六夜待雪に好意を持たれている自分自身が大事なだけ。それ以外に縋れる記憶が何もないから消去法で愛していると思い込んでいるだけ。お主はただの恋に恋する乙女じゃよ」


 迦楼羅産体液の鉄杭が身体に突き刺さった時点で、勝負は決着したはずだった。彼女の体液は必殺だ。体内に侵入してしまえば、あとは彼女の体液が混ざった八叉の体液を煮えたぎらせるなり、血流の方向を反転させて多臓器不全を誘発するなり、内側から食い破るように水分の全てを奪うことだってできるはずだった。鉄杭は白装束の表面で食い止められていた。

 弾けるように持ち主に向けて還っていく。


 鋭さ以外の形を意図していない鉄杭は向きを反転させることもなく、牙を剥く。

 が、刺さらない。


 鉄杭は自らが液体であることを思い出したかのように伸縮し、迦楼羅の手前で止まるなりそれぞれが彼女を囲むように円を描く。


「そうね。私は恋に恋しているだけかもしれない。別にそれで構わない。だって愛ってそういうものでしょう? 突き詰めれば、愛することって自分のためでしょう? 最後に残ったものが愛だったなら、それが嘘でも想ってしまうのが愛でしょう?」


 迦楼羅が男に差し出していた手を開き掲げると、赤黒い刀が現れる。長さは太刀。握りしめて振るう表面の水分を切り払うような動きは、虚空から刀を引き抜いたようにも見えた。

 もう一方の手にも同じように脇差程度の刃渡りを構えていた。紫陽花の形をした曼殊沙華の花畑には、今や同じように数え切れないほどの刀が咲いている。


「貴方だって、そうでしょう? 八叉ミコトお爺様。それを間違いだなんてまあ、可哀想」


 もはや八叉にマツユキの名残はない。

 片方の手で顔を隠し、もう片方の手は刺された傷を庇うように下腹部にかざしている。


「――変身」

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