盈に心はない、雨雲のように。


   ◆


 炎の機嫌はシノギの手に負えない。燻り立てることを繰り返す。

 ノロと呼ばれる炉に熱を留まらせる溶鉄を、定期的に外に出す。湿気を追い出すために蹈鞴を踏んで鞴を唸らす。

 玉の汗が噴き出て、顔は煤で汚れ、シノギが弱音を上げる頃合いだった。ようやく丸ごと半日が経った。休む時間もなく、この現場での作業に従事する。盈は教える側として真面目に作業をするが、疲れの色すら見せない。

 息が切れ始めたところで、盈から制止の声がかかり、シノギは背中を屋内の壁にもたれて、目がとろんとする。

 そこをすかさず盈が手籠で頭を殴る。

「眠るんじゃねえ!」

「俺は疲れてるんだよ! 仕事中の休憩に眠るくらい、いいだろ?」

「何言ってるんだ、俺は休む暇なく始終教えてるんだよ。人が教育してるときに居眠りするな」

 物言いに多少の問題がある。けれど盈はそんな所作の善し悪しにこだわってはいられない。

「お前に休憩時間なんかねえ、俺に先生をさせる以上、俺から技を盗め、技を真似ろ、そして技を会得しろ!」


 玉鋼作りはひたすら炎との語り合いだ、と。これもただの言葉でしかない。そこに具体的な意味など最初から存在しない。そこに意味を込めるのは玉鋼を作る自分自身だ。

 シノギはひたすら炎と語り合おうとした。その炎に自分の込める言葉を投げかける。砂鉄と炭を交互に入れていく。ぞんざいさがあれば、ただちに炎の態度が現れてくる。時には炎が消えかける事態すらある。盈から叱責が飛ぶ。




 作業は二日目に入った。シノギが目蓋を開くだけで精一杯だった。だからぞんざいさがシノギの所作に現れてくる。そんな眠気まなこでの語れば、炎だって眠って消えそうになるのは当たり前だ。

 しかし盈は眠そうな顔をしないどころか、あくびひとつすらしなかった。

 これで当の指南役が眠そうになれば、文句のつけようがあるのだが、その様子がまったく見られないからシノギの心は悔しさでいっぱいになる。

「盈」

 気づけば二度目の夕闇が訪れようとしてたとき、ムシャが蹈鞴の場所に顔を覗かせた。

「なんだ、ムシャか」

 何か用事がありそうな顔をしていたので、盈はムシャを見て頷く。

「ちょっと小一時間席を空ける。炎を消さないように気をつけろよ」

「わかってる、いちいち……」


   ◆


 一足早い夜風の涼しさが吹き抜け、ムシャの金色の髪が靡く。盈の火照った顔がゆっくりと冷めていく。

「ちょっと厳しすぎない? 盈の怒鳴り声が外まで聞こえてたよ」

「わかってるよ」

 ぶっきらぼうに叫ぶ盈に、ムシャの身体が小さく跳ねる。

「相手は盈と同じ人間なんだよ?」

「だから、怒鳴るのをやめろ、と?」

 蹈鞴は変わらず燃える炎の明るさを放っている。愁いを帯び俯いたムシャの顔に陰が差す。

「盈のお姉さんが、シノギに殺されたこと、やっぱり恨んで……」

「ああ、そうとも恨んでるさ。だが! それとこれとは別のことだ!」

 冷たく罵るつもりに傍から見える、そのように誤解される、その覚悟で盈はこう言う。

「いま言ったな。相手は俺と同じ人間だって? とんでもない、あいつが俺と同じ人間なんて、とんでもない傲慢な考え方だぜ」

「酷いよ、盈。心がないよ」

「ああ、俺には心がない。だがシノギには心があることはわかってる。だから、俺はシノギと同じような人間じゃないんだ」

 ムシャがそれに反論の言葉を重ねようとするが、言葉を反芻する様子で、ふと開きかけた口が止まる。

「俺に感情をぶつけてくるときは、たいてい俺に心があると思ってるからだ」

「盈、どういうこと?」

「たとえばムシャは外で土砂降りにあったとき、雨雲に心があると思うか?」

 しとやかな様子でいちおう思考した顔をしてから、ムシャはふるふると首を横に動かした。

「ないと思う」

「じゃあそれを知った上で言うが。ムシャは心のない土砂降りの雲に、抵抗するよう不平を言ったり処遇を求めたり、あるいは恩情を求めたりするかい?」

 決して日照りの儀式ではない、そのときたいてい人は雨雲に心があることを前提にしている。だがいま言ったように雨雲に心はない。だから、不平、待遇といったことを言う奴が主だっているかと言えば。

「そんなことはしないと思う」

「それと同じだ」

 盈は顔を背け、心のない自分をムシャにも曝ける。顔を見せたら心が見えてしまいそうだから。

「俺が厳しく怒鳴り散らしたり、叱責するのは、俺がシノギに技術を教えるためだ。俺にはわかるんだ、常人そうでもしないと身体が動かないってことをな。仇討ちの一環とか、そんな他意は一切ない。俺としちゃあな、まったく、さっさと技を会得して帰ってくれってもんだ」

「盈」

「試練なんだよ結局は。俺なんか心が存在しない雨雲だ、叱責なんて土砂降りと変わりはないと思えばいいんだよ」

 だから盈はそのようにシノギに教え込む。これは決して八つ当たりではない。だが、これが八つ当たり以上に酷いだろうこと、盈が重々感じている。

「俺がおじいさまや父親に玉鋼作りを教えられるときもそうだった。これ以上に厳しかったかもしれない。そんなとき、俺はおじいさまも父親も人間の心なんか持ってねえ、と割り切ることにしたんだ。そうしたら、玉鋼作りの厳しさも土砂降りと同じように感じられたんだ」

 それが自分が教えられ自分が手にした流儀、盈の与えた意味であった。

「おじいさま、父親の目的がそれにあったかは実のところ知らねえ。だけど、俺はそうやって乗り越えてきた。これが二人から教わったことだ」

 優しく手取り足取り教えるなんて甘えだとか、そういう問題だけではない。おじいさまと父親がそう教えてきたから、シノギにもそう教える。それだけだ。

「そっか。シノギのことを思って、ああいう当たり方をしていたんだ」

「のっけから俺の言ったこと忘れてるな、ムシャ」

「え?」

 ムシャが豆鉄砲を面に食らった顔をする。

「いまの俺に心なんてない。シノギのことなんか何ひとつ思っちゃいねえ。俺が試練を与え、それに屈することなくあいつが解決すればいいんだ」

 あ、と言ってムシャは心なしか頬がじんわりと暖かくなる。

「盈、私は盈に心があると思ってるよ?」

「ふっ」

 おそらく荒療治かもしれない。盈自身が心の存在しない人間と思ってくれることを、こと早くに悟って欲しいと思った。

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