一代の終わりに


   ◆


 無遠慮にこの男をしごいたものだ。おじいさまと父親から叩き込まれたときは、これ以上に厳しかったトラウマはあった。それでもこのしごきはきついだろうと盈は猛省したくなる。差し詰めこの仕打ちを、姉を殺した報いとでも思ってくれれば……。

 愛の鞭などと容易く言いたくはない。けれど、こんな処遇をどうして受けないのか。その理由はシノギ自ら身体で動くように、しごきを加えているからだ。そんな戯れ言を遠回しに教えようと思うこともしばしばあった。

 けれど、それが無意味どころか害悪になることは、盈が一番知っていた。だから遠回しにもそんな意図を開示してやるなどという考えはとっくに捨てていた。

 もちろん暴力を振るってはならないことは重々わかっている。それは教育ではなく虐げだと十分理解をしている。

 だがそれでも盈は暴力を振るっている、言葉の暴力を。暴力のうちに入らないなどと甘っちょろい考えをしてはならない。だが、人を動かすためには仕方ないと思ってもいけない。そんな指南役もまた駄目な人間だ、葛藤の中で盈が自身の中で苦しまなければならない。

 それでもこの二日三日と、炎との見つめ合いをしていく中。シノギは芯の強い男であることはわかりつつあった。これを無理に叩き直して伸べるなどは愚の骨頂だ。それはシノギ自身がそうするそうしたい、あるいはそうしたくないの話である。盈にそんな心の鍛錬をさせるなどと傲慢にも思ってはいけない。

 いまの状況ですら、盈こそが叱責に値する人間かもしれない。それを一番に感じていたのはきっと盈のほうだった。

 けれど優しく教えることがシノギのためにならないことは、何度も説明が上がった通りである。身体で覚えること……否、身体で覚えさせるというのは、こういうことなのだ。

 当初のシノギを見て盈はそう思った。知識だとか科学だとかがどうとか言ってる時点で駄目だ。そのような人間がすぐに動けるのかどうか、それは否だ。この村ではそれを盈が一番よく知っていた。

 もし仮に自分の技術なりを言葉で八割九割教えることができたとて、そんなものは実益にはならない。それで生徒役がうまく動けるかどうか言われても、望めはしない。また九割教えたところでそれは未完である。残りの一割はその業を習得した自分自身が開拓しなければならないからだ。

 そう、考え込んでできることなんてたかが知れている。十割教えた時点で、その技術は一瞬で死んだものになる。箱形だけで終わる。そんなからっぽの死物は無用だ。

 動け、とにかく動け、それが肝心だ。盈はそう考え続けシノギの様子をつぶさに見続けた。

 息も絶え絶えになりかけていて、弱音を吐きそうな顔をしていた。村人を無理に働かせた復讐だ、と言うつもりは毛頭ない。だがそう思ってくれるならそれでいい。シノギが自身でしごかれる言われになるから、彼もそれに従うべく動くしかなくなる。

 動け、技を見ろ、盗め、真似しろ、自分のものにしろ。

 ひたすら盈はそう願うばかりである。

 ましてここでふてくされるのも仕方がない。

 しかし、聖剣の頼みだ。何があっても彼に教えなければならない。

 それは聖剣様に追従してるからとか、聖剣様が村人の解放を条件に教える、その義務を果たすためとかそういうことでもない。

 はっきり言えば聖剣様の意向は極めて理不尽だ。その命令で村を襲撃し、村人を犠牲にし、玉鋼作りの継承者が見つかった途端に、シノギにその業を教えろなどと。盈も聖剣に対し、極めて傲慢だとは思わざるをえない。

 だがその報いはシノギの自尊心を壊すだけに留めてやろう。彼が齢十七の年下に教えられていることが、被虐な思いを持って苦しんでることは、盈自身にもわかっていた。だが彼はわかっていないふりをした。きっと立場が真逆であれば、盈だって被虐に思いをすることはわかっている。

 だからといって慢心していいわけがない。義務はしっかりと果たさせてもらう。それが消極的な思いを与えることであっても、果たすべき義務は義務だ。

「ちっくしょ」

 炭の配合具合と扱いで炎の色が変わる。それが悔しみに変わってシノギも参りそうになる。

 そもそもならば恩義なんてものはいまここに存在しない。だから、ここでシノギの弱音を無理に聞き出して、教えを中断することだってしてもいいことだ。

 けれどシノギはいま頑張って炎と向き合っているから。その心だけは無駄にはしたくなかった。

 くだらない性根だけは叩き直されて、実に洗練されつつある。これからあとほどして、どんな鉧が出てくるかはすべてシノギが注いできた心にかかってくる。みじめな結果になっても、目の前に現れたものがすべて自分の責任なのだ。

 三日間の不眠不休を嘆いてもいい。ただそのときは盈が指南をやめるときではあるが。

 反抗的な態度はいまのシノギにはなかった。早くこんなことやめてやりたいと思い始めているだろう。盈もそれは察していた。

 炎の色がまた変わる。その瞬間、シノギの目の色が変わった。紫色に炎が燃えているにも関わらず、彼の瞳は山吹色に光っていた。それが目の錯覚なのか、成長したということなのかは傍目からではわからない。けれど盈は教えた手応えを感じつつあった。

 そして最初ぞんざいだった炭のかけ方は、前よりもシノギの心を感じた。力強い乱暴さではなく、力強い優しさが垣間見えた。

 かつておじいさまに教えを乞う立場だった盈も果たしてそんな瞳をしていただろうか。そんなことはおじいさまに聞かねばわからない。いまの盈が心を燃やしたら、瞳は山吹色になるだろうか、と彼は思ってみる。

 はっきり言って盈はまだまだ勉強しなくてはならないことはたくさんある。生意気な若造であることは承知している。けれど、そんな甘えは言えない。いや、そんな甘えを言うことは逃げることと同じだ。だから盈は音を上げない。ひたすらシノギに業を叩き込む。ひたすらシノギに自分の生き方を叩き込むだけだ。自分が村下ならば、引き下がることは決して許されないのだ。

 盈の生き様がシノギの身体に染みこむまで続ける。

 不意に村人から声がかかり、席を離れる旨をシノギに伝える。

 咳き込みが酷く病に伏せっていた者がいたことを把握していたので、駆けつける。

 幸い薬が切れていただけなので、周りの者にすり鉢で薬を調合させて飲ませたらすぐに楽になって眠った。

 それを安心して見届け、蹈鞴に戻る。

「……逃げたか?」

 そこにいなくてはならないシノギが、まさにそこにいなかった。

 ほんの少しだけ目を離した隙を狙って逃げ出したのだ。

 炎が燻って消えそうになっていた。

 まだ消えてはいないその炎を消すわけにはいかなかった。その炎の息を殺してはいけない。すぐに炭をかけて炎の息を吹き返してやる。

 三日間、あれだけ努力したのに。最後の仕上げを放り出してしまった。

 怒りを通り越して、茫然とした心だけが残った。

 盈の計らいで炎は燃え続けているが、シノギの灯っていた炎は間違いなく消えてしまった。

 この炎だけは玉鋼のためにも最後まで看取らなくては……。

 盈は確かに時折シノギを教え込むために見本を見せたのは確かだ。しかし、この玉鋼は間違いなくシノギのものだ。彼の注いだ努力をここで無駄にするわけにはいかない。


 半日が過ぎて炉を壊すときが来た。あとは慎重に取り出して、その鉧の出来具合を見定める。

「こんなところで逃げやがって」

 盈は悪態を吐いて、村人の手伝いを頼りながら、鉧を取り出す。

「馬鹿野郎……」

 荒っぽい鉧だった。ひときわ凹凸が目立つ、焼けた鋼の塊だった。けれど。

「もったいない野郎だ」

 盈もまだまだ甘いほうである。シノギはもっと甘い人間だ。

 けれど、その鉧を見て盈は「素質はあったのに」と言いながら。あちこちに刀線が走っているのを見て取れた。

 明らかに失敗作だ。鉧から目を背けた。

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