斬鉄ノ剣士 弐

 おじいさまの刀を斬鉄剣は折った。しかし心まで折れたわけではない。

 姉の顔はきっと雨で冷たくなって、白い顔と首を晒していた。けれど言葉も振れない状態で気力を振り絞ったのだろう、かすかな笑顔を浮かべている。

 折れた刀と最後の笑顔に報いるために、こいつらを……

「斬る!」

 一撃を振り下ろす、すんでのところで馬が横に逸れる。

「どこを見てるんだよぉ、坊主!」

 高みからの騎馬兵の横薙ぎに盈の双眸そうぼうに刃が迫る。瓜を包丁で真っ二つにでも切るかのように。奴らにとってみれば、小柄な盈が、容易く料理できる野菜か果物にしか見えていないのだろう。

 その期待を裏切ってやる。

 両足に力を込めて跳躍し、軽い身体をやすやすとその凶刃をかわして飛ぶ。盈は下駄履きの足を刀に乗っかる。

「なっ!」

 スイカに刃物をすり抜けられる気分はさぞ悔しかろう。

 盈は自分の強さでねじ伏せる。奴らの劣情をねじ伏せる。自分が斬鉄の剣士だと教え込むために、彼は犠牲とその悲しみに報いなければならない。

 俺たちは徒食されるため、ここにいるわけではない。盈はそう強い自己主張でもって、こいつらを絶対に倒す。そう心に決めていた。

 刀に乗って、指を弾く暇さえ与えてやるものかと。猛る情の波に身を任せる調子で盈は、さらに飛び上がる。下駄で騎馬兵の小汚い顔を蹴り潰し、奴の身体が馬の高みから背中を落とす。

「舐めるなぁ! 小僧!」

 そう言って奴は脅かしをかけるが、そんな威勢もこけおどしに終わる。二の句を継ぐ前に盈は刀を奴の首元に突きつける。

 騎兵は小さな悲鳴をあげて、命乞いをするときの哀れな目を見せる。

「降参しろ、人質にするつもりはねえ!」

 持っていた刀剣を頓珍漢とんちんかんな方向に投げてこの騎兵は、両手を挙げた。

「俺を殺されても文句を垂れない奴だけが来い! この斬鉄の剣士が、お前らに、このつまらねえ生き様を叩き込んでやる!」

 騎馬兵たちはおどおどとしながら、情けなくもシノギの指示を待つだけのカラクリ人形と化した。

 剣戟を交わして暫時ざんじの後、騎兵の持つ最後の刀剣一本を盈は叩き割った。刃こぼれがわずかにできたものの、盈は一本の刀を残し、変わらず雨が濡らす地に立つ。

 息苦しいながらも呼吸の間隔は乱さない。

 さきほど乗馬していた騎兵は放心して倒れたまま。それを見てシノギは鐙(あぶみ)に足をかけ、馬に乗る。そして、左手を素早く挙げた。

「逃げる気かよ!」

 負けを認めたと見て、警戒を一時怠る。瞬間、遠くの林の中で何かが光る。風を切る音が鳴って、盈の右肩に激痛が貫く。

 矢が刺さっていた。

 肩が痺れ出し、やがて痺れは全身に回り、盈はひざまずく。

「毒矢か……」

 手綱を引いてシノギは盈に接近する。

「油断してんじゃねえ、先生気取りがよ」

 生き様を教え込もうとしていた盈がこんな見落としをして不覚を取る。敵はここにいる騎馬兵だけかと思い違いをしていた。

「俺の顔に泥を塗った後悔を死ぬほどさせて、その後に本当に死なせてやるよ。だがその前に、……」

 馬から降りてシノギは、跪いたままの盈にそっと耳打ちする。

「あの玉鋼の作り方を教えろ」

「なっ……」

 盈は声を上げ、返す言葉も出ない。

「あの玉鋼は斬鉄剣を壊した。実にいい玉鋼だ。あれがあればもっと素晴らしい斬鉄剣が作れる」

 どこまで業突く張りな奴だろうか。

「嫌ならいいんだ、言わなければさっき言った通りにしてやる」

 死ぬほどの後悔の後に、本当に死なせる。

 その言葉が頭の中で反響する。そうしているうちに痺れた身体を仰向けに倒し、太い綱で足を縛り、それを馬の装具に強く結びつける。

「お前の返答次第で後悔するか否かは決まる。このまま馬で引き回すだけだ」

「う……」

「さぁ、選べ。玉鋼の製造方法を教えるか、この馬に引き回されるか。どっちだ!」

 手が痺れていた。指先の感覚がない。

 盈は最後の力を振り絞る。

 都合よくそばにあった石のつぶてを握り込め、投げつけた。

 投げた石は馬の尻に当たって、いななきの声を上げてから、馬が走り出した。

「貴様っ!」

 シノギが反応するが遅く、馬は背に人を乗せない状態で勢いよく駆け出す。望み通り盈は引きずり回されて、馬とともに遠くのほうへと行く。




「シノギ様!」

 騎兵の一人がシノギに判断を仰ぐ。

 シノギは無言である一点を見つめながら歩み寄る。かがみ込み斬鉄剣を砕いた憎き玉鋼を拾う。これがあればもしかしたら……と呟く。

「追いましょうか、シノギ様」

 遠くなる蹄鉄の音を、耳を澄ませるよう聞く。

「やめておけ! お前らがわかっているはずだろ。あの方角は迷いの森だ。一度入り込めば二度と出ることは叶わない」

「ですが、しかし!」

「ああ……志摩家の者がいなくとも問題ない。おそらく玉鋼の製法についてそれなりの記録をこの村には残しているはずだ。また改めてここに訪れよう」

 シノギは騎兵に告げた。

「帰るぞ。お前ら」

「はっ!」

 村民が逃げ、隠れ、あるいは殺された村の惨状。

 奴らはそんなことに罪悪感など持たず足早に村の外へと去っていった。

 何事もなかったかのよう。漂う血の臭いを、降りしきる雨が洗い流す。

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