斬鉄ノ剣士


 剣術はおじいさまと父から充と盈に教え込まれている。どの者よりも遜色なく、二人は騎馬兵をすべて斬り倒すつもりだった。

 村人は散り散りに家屋に籠もる者と、逃げ出す者多数。敵前逃亡ができるのなら問題ない。三人の被害が出ている。これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。

 胸倉を掴む青年が一人。

「志摩家はどこにある、言え!」

 刀剣を構えて、彼の首を斬ろうとする。

「ひぃっ、助けてくれい!」

「その手を離せ!」

 盈と充がこの場に現れた。

「なんだ、お前ら俺らに逆ら……」

 騎馬兵が驚いた顔を見せる。当然充と盈も目を変える。

 手を離した兵の後ろからひたひたと青年が歩いてくる。

「盈が二人?」

 肌の色加減が違えど、目の前にはもう一人の盈がいた。

「志摩家の子孫だな、俺が誰だかわかるか?」

「うるせえ!」

 刀を振るって盈は眼光の鋭いこの青年に刃を向ける。

「ハハハッ、俺にもお前らと同じ名があるんだ」

「何を言って……」

 充が不思議がる瞬間に胸倉をつかんでいた人質の身を投げ、彼女が慌てて村人の身を両手で受ける。

「俺の名はな、志摩シノギだ」

「志摩……」

 充はそれを聞いて口が開く。だが盈は物怖じしない身構えで一歩前へ進む。

「は、何を言ってやがんだ、志摩家を騙って俺らを葬って、我こそが本当の志摩家などと言うつもりだろう?」

 するとシノギと名乗った青年は首を横に振った。

「それは半分間違っていて、半分正しい。お前は日本という国を知っているか?」

「ああ、じっちゃんの故郷のことは何度も聞いている」

「日本で、日露戦争が終わった後、志摩家の子息はその血を継いできたのだ」

 充はすぐに合点がついた顔をする。

「お前らのような分家も同然の人間とは違う」

 それを聞いて盈は、頭で理解するよりも先に察しがついた。

「俺こそ志摩家の血を濃く受け継いだ末裔だ! お前たちを葬り去ったのちに、俺が正式に志摩家の本家をこの世界で名乗る。それだけだ」

 シノギは眼光をぎらつかせて見つめる。その目は敵を見る目ではなかった。部外者を見る目だった。

「神剣は俺を呼んだ。そして完成した、この斬鉄剣というありとある鉄を斬る剣を!」

 決してハッタリではないことが盈にはわかった。

 向けられた斬鉄剣。盈は、聞くほどに堅牢な剣に、刀線を見ることができなかった。

「お前ら二人に志摩家を名乗る資格などない。俺こそが神剣により選ばれた、斬鉄剣の士だ!」

 五人の騎兵、蹄の音が八方からお目見えする。

「斬れ」

 やおら接近を試み、刀を振りかざして充にまず斬りかかる。

「姉ちゃん!」

 だがおじいさまが鍛えた刀で充は斬撃を金属音を立てて受け止める。

「がきんちょのくせにやるじゃないか! 小娘!」

「私は十七だ!」

 俯瞰とあおりで互いに視線を交わす騎馬兵と充は、一手すらも譲らず隙をまったく見せない。

「目がお留守だぜ、ガキが」

 もう一人の騎兵が刀剣を掲げる。

「覚悟!」

 目を凝らし、相手と刀剣の動きを目線を注ぐ。

 長剣の鎬の表から裏まで。

 網膜に焼き付くほど、はっきりと赤い刀線が、この狼藉の剣に走るのを見定める。

 刀剣を振り下ろされる。覚えていた剣術の型を思い出すよりも先に、盈の身体が動いた。

 鞘から刀を抜いて、刀線に峰をぶち当てた刹那だ。

「か、刀がっ!」

 横に亀裂が走って剣が真っ二つに割れた。

「くっ、このクソガキが」

「クソガキに下されて情けなく思わないのか。おっさん」

 周囲を見回す、騎馬兵の刀にはどれも荒々しく刀線が走っていた。刀線が見えないのは青年大将、シノギの刀だけだった。

 瞬くあいだだけ静まり、もう一人の騎兵が肉薄を試みる。

「このガキャア! ぶっ殺してやる!」

「待て!」

 接近するより前に騎兵の向こうずねに鞘で打撃を食らわせ、騎兵は「ぐあ……」と言いながら引き下がる。

「お前にこの剣が壊せるか?」

 ぶしつけにその剣の刃を見せつけてくるシノギ。

 赤い刀線がまったく見えない。思わず唾を飲み下す音が、盈の耳より奥で聞こえる。

「ふっ、やはり無理だろうな。この斬鉄剣は神剣に似せて作ったものだ。誰にも壊せるはずがない」

「斬鉄剣……」

「そう、字の通り鉄さえも容易に斬ることのできる剣だ。神剣に宿る御神様が俺にこう言ってくださった、汝こそ斬鉄剣の士であると。神剣を象った斬鉄剣に敵もない、まして斬れないものも何ひとつない」

 瞬きをするいとまも見せられない。

 シノギは一歩また一歩と盈に距離を詰める。

 背中を見せて逃げたら足早に斬りつけてくるだろう。

 足を地面につけたまま、濡れた砂利道を、ずずっと後ずさる。

 なんとしても、なんとしてもシノギの隙を見つけなければ。攻撃の機を見定めなければ。

 一方、刀身が軋む音を立てて、充の足が後ろに動く。騎馬兵が押しの強さで押し戻す。

「姉ちゃん!」

「もらった!」とシノギが叫んで、姉の心配をする一瞬の油断を見逃さなかった。構えた刀に斬鉄剣をぶち当てて、盈の刀が脆くも壊れた。

「盈!」

 弟のほうを見た瞬間、後ろから騎馬兵が充の背中に肉薄する。

 彼女の背中から血の飛沫が舞った。

「姉ちゃん!」

 折れた刀を捨て、姉のほうへ駆け寄る。

 倒れる前にそのしなやかな身体を抱き留める。

「盈……」

 雨に濡れた姉の肢体。血が抜けてゆく。身体はすぐに冷たくなっていくだろう。

「逃げ……て……」

 姉の身体がくずおれて、背中から血が流れ続ける。この深手でもう助からない。盈は辛くも悟ってしまう。

「無様だな、次はお前だ。さらに無様なお前の死に様を晒してやろう」

「よくも……よくも、姉ちゃんを!」

 いつも拳骨で殴られていた。そうやって盈を叱ってくれた。そんな盈の無茶ぶりにどこまでも付き合ってくれていた。そばに生える大木たいぼくに姉の身体を運び、もたれる。

 姉はいつもなら、逃げろなんて、決して言わなかった。そんなのは男じゃないといつも教えてくれた。だが、姉は盈に言った、逃げろと。

 そう、だから反骨の精神を盈は最後まで行こう。彼はそう決めた。

 逃げろ、という最後の彼女の言葉に抗おう。かつて男だったら逃げるなという彼女の言葉に従う。

「なんだ、気に入らない目つきをするんじゃねえ!」

 斬鉄剣の士はそう言いつつ、盈を睥睨の眼で見る。

「そうだ、気に入らないだろ。弱い自分を見ているみたいだろ?」

 瓜二つの顔が水平に対峙する。

「お前のその気に入らない面をこの剣で切り裂く。悪く思うな」

 盈はすっと懐の中に手を入れる。

「悪あがきか、何をしようがお前に勝機など微塵もない」

 しっかり見据える。刀線の見えない斬鉄剣を。

 まさにこいつの名前がシノギというように、斬鉄剣も鎬に反撃を与えればきっと。

 シノギが斬鉄剣に頼らなければならないほど人間であることを、いまここで証明してやる。盈は視線を斬鉄剣の鎬に注視する。

「同じ顔は二ついらん、死ね!」

 振りかぶった次の瞬間、盈は懐から取り出し、それを斬鉄剣に投げつけた。

 陶器でも割れたかのような音が聞こえた。

 斬鉄剣が、折れた。

「なっ!」

「そんなおもちゃは一人遊びに使え」

 真剣な眼差しでシノギを見つめる。シノギが後方を見て、投げられたそれを見る。

「玉鋼! それほど強い玉鋼が、この鉄をも斬る剣を砕くほどのものがあるはずが……」

「末裔も零落したもんだな」

「き、貴様ぁ!」

 残りの兵は並の刀剣だ。盈にはすべての刀剣に赤い線が見える。だから。

 樹にもたれた姉の刀を取り、怒りとも違う眼で奴らを見つめた。それはきっと教示するためだ。こいつらがやっていることが間違っていることを。

 おじいさま、父、姉から叩き込まれた心得を、同じようにこいつらに叩き込んでやる。その思いが盈の心に炎を立てた。

「こんのガキャァア!」

 騎馬に乗った状態で襲い来る凶刃が、首の皮をかすりさえせず、切っ先の軌跡が走り抜ける。巧みに回避した盈。振り向いて翻って赤い刀線に、刃の鉄を斬る。

 気色がいいほど奴の刀は真っ二つに割れる。

「いいかお前ら、斬鉄剣がどうとか神剣がどうとか俺は一切聞くつもりはない。そんなものに頼る何ひとつ心のないお前が斬鉄剣の士だとか名乗るなら、俺はこう名乗ろう」

 盈は奴らに真向かいに開眼する。氷雨の冷たさなど熱情のほとばしりに比べたら、何の障りにもならない。

「俺は、斬鉄の剣士だ!」

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