第二章

ムシャ


   ◆


 ――二年後。


 木を割る音がこだまする。

 森の中で斧を振るい、切り株の上に置いた材木を次々と薪にしていく。風呂焚き用の薪である。

「何をやってるんだろう、俺」

 悠々自適な生活をしている場合ではなかった。盈にはあのとき以来、シノギの動向が気になっている。だが、ここは外から遮断された地で、何者にも干渉されない場所だ。

 迷いの森の奥深くにこんなところがあるなど、思ってもみなかった。

 二年前のあの惨劇のあと、馬に引きずられ、気づけば縄はほどけ、迷いの森のおそらく奥地の、この場所にいた。

 あの日、姉は凶刃に倒れた。

 気づけば盈は充と同じ十七歳になった。姉の仇を何らかの形で取らなければならない。

 周囲は大樹に囲まれ、繁茂する地面にも太い枝が入り組んでいる。容易に外に出ることはできないし、並大抵の手段でここを出ようと思うことをやめた。

 畑と田圃たんぼそして果樹一本があり、一軒家がひとつ。

 それと……。大樹に囲まれているとはいえ、この場所の出入り口がないわけではなかった。ただそこには、なぜか外から施錠された巨大な鉄扉が聳え立つ。あの鉄扉をどうにかして開けられないだろうかと盈は必死に考えを巡らせて二年が経過した。

「薪割りは終わった?」

 縦縞の厚手の服と、きつく締めた帯。花笠を目深に被り、彼女は盈の様子を見に来た。

 志摩家がいた村ではおじいさまが仰る「和風」という風土に染まっていたが、村の外はおおかたこの服装が一般的である。

「断面が綺麗。見ていて清々すがすがしくなってくるわね」

「そりゃどうも」

 彼女の名前はムシャ。彼女もここに閉じ込められている。

 顔も肌も見せず、彼女は外にいるときは年中黒い手袋をはめていた。

 薪を切り終え、夜闇が林の端から訪れてくる頃合いが来た。

 風呂場の裏で、盈は火加減が落ち着くまで団扇であおぐ。

 あおいだ薪からホタルのように火の粉が輝いて飛ぶ。

「湯加減、どうだ?」

「うん、ありがとう」

 木板一枚の間隔で、風呂場に入っているムシャが答えた。

「ねえ盈。いつものように、背中流してくれる?」

「いいぜ」

 一張羅を脱ぎ、薄い下着で風呂場に入る。すでに彼女はぴかぴかの身体を洗い場に晒す。

 ロウソクの火で照らされた彼女の、この肢体を見ながら、いざ盈は洗うための彼女の背中に触れた。


 ――ガリガリガリガリッ!


 金属が削れる音を立てながら、盈は力を込めていた。

「この鉄サビっ! この鉄サビっ!」

 ヤスリで盈はムシャの錆びついた背中を研ぐ。

「ごめんなさい、いつも盈にこんなことをやらせてしまって」

 彼女は鎧を着たまま風呂に入っている。

 いや、こう言うべきか。ムシャのこの鎧は脱ぐことができないのだ。

 いまのところ、この鎧は壊せない。盈はその鎧に刀線を見ることはできない。

 定期的に鎧の錆を落とさなければ、彼女は全身が動けなくなってしまう。だからこうして盈は彼女の鎧をヤスリで研ぐ。

 ちなみに湯船は柑橘類の果物を入れ、弱酸が鎧に染み渡るようにしてる。そのように盈は、鎧の錆を落としやすくする配慮を忘れてはいない。

 鎧も脱げない状態ではムシャは死んでしまうのではないか。と盈も最初は疑問に思った。

 死ねないのだ。

 どういうわけかムシャは鎧の中で飲まず食わずの状態で生きていられる。

 この鎧、奇怪な力が染みついているようで。そのおかげで彼女は生きながらえているらしかった。

 二年前のあの頃を思い出す。盈がここに来たとき、ムシャは鎧が全身が錆びついて畑に倒れ込んでいた。何日もその状態だったという。盈は石で錆を落とし、ムシャの身体を動けるようにした。

 彼女は厄介に鎧を着込んでいる。それどころか顔も仮面で塞がれている。ムシャの容姿を盈はいまだかつて見たことがない。ムシャもなぜこのように鎧を着込んでいるのか記憶がないらしく、いつも一人でこの場所で生きる、そんな生活をずっと送ってきたのだという。

 盈がここに来てから二年、二人は生活をともにした。

 志摩家の本家を称する志摩シノギはいま何をしているだろうか。シノギはまた斬鉄剣を作り上げでもしたのだろうか。武器に頼って自分を強くするなどもってのほかだと盈は考えている。そうなれば、彼の考えることはひとつ。自分の強さをもって斬鉄剣を破壊しなくてはならない。そういうこともムシャにはすでに話をしている。


 二番風呂を済ませ、軒端で腰を下ろす。するとちょうどよくムシャが夕餉を差し出した。

 芋粥と、野菜だしの吸い物と、野菜の煮付け。すべてここで収穫したものを工夫し、ムシャがいつも作ってくれる。

「いただきます」

 そう言いながら、盈は行儀は悪くも、男のように飯にありつく。

 ムシャは食べ物を口にできないので、いつも盈を笑顔で見ている。仮面で隠されてはいえど、声の調子で笑っていることは自明にわかる。

 感謝に夕餉を終えた後、白湯を飲んで一息吐く。

 ふいに風が走る猛虎のように通り抜けた。もうここに来て二年も経つが、これほど風の強かったことはない。

 屋根が悲鳴をあげ、家が壊れやしないかと心配になる。

 そんなときに聞き慣れない音が聞こえてきた。

 金属が軋む音だ。どこから聞こえてくるのは盈はその音の元を目と耳で探る。

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