アヴィスと女神

『……ス……ヴィス……アヴィス……』


 彼女を信頼してくれる者たちが用意してくれた善意の塊である暖かな布団に包まれながら眠りに就いたアヴィス・コンチネンタル王妃は、自分の名を呼ぶ声で次第に意識が覚醒し始めた。もう少しこの心地よい空間で眠っていたい、と言う、今まで露にできなかった正直な思いとともに『布団』を握りしめようとした直後、ゆっくりと開いた瞳は一瞬にして驚きとともに見開くこととなった。当然だろう、彼女が最後にいたのは宮殿の地下にある政治犯を閉じ込める地下牢のはず。ところが、彼女の視界に広がっていたのは、それとはまったく異なるほのかな光に包まれた、今まで見たこともない空間だったからだ。同時にアヴィスは、自分自身を包み込んでいた暖かさは『布団』ではなく、その柔らかな光そのものである事にも気が付いた。


 一体ここはどこなのか。私を呼ぶ声は誰なのか。そもそも私はどうなっているのか――困惑するアヴィスを鎮めるかのように、再びその声が響き始めた。


『心配する事はありません、アヴィス・コンチネンタル王妃』

「あ……貴方は何者ですか……?ここは……もしかしてあの世……?」

『いえ、ここは間違いなく「この世」の空間。貴方は、私に招かれてこの場所に辿り着いたのです』


 どうして私が、この不思議な場所に招かれたのか――更なる疑問が湧き立つアヴィスであったが、その疑問の一端は、声の主が自身の名を告げる事で解決された。だが、その名前は彼女にとってあまりにも衝撃的なものだった。信じ難い、と言ってしまえば非常に失礼に値してしまうかもしれないが、今までずっと憧れ、敬愛し、そして自身の心の支えになっていた存在の名が、ここまで呆気なく飛び出す事になるとは予想だにしなかったからである。


 女神エクスティア――このコンチネンタル聖王国を創造し、国に住む人々を守護する存在。間違いなく、その声はこの名前を名乗ったのだ。


「……め……女神……」

『ええ、私は貴方たちからそう呼ばれている者』

「ほ……本当に……女神様……なのですか……?」

『……そうですね……』


 これなら信じてくれるでしょう――そう『声』が告げた直後、突然無数の眩い光の粒子――ずっと前にコンチネンタル聖王国中に降り注いだ眩くあたたかな『雪』に似た物体がアヴィスの体を包み込んだ。そして無数の粒子が更に眩く輝いた直後、それらは一瞬で彼女が着ていた服の形を劇的に変化させた。囚人として収監された事で着用する羽目となったみすぼらしく穴まで開いていた古い衣装から、『王妃』と言う名にふさわしい、装飾こそ少ないが厳かで美しい、まるで輝きを内包したかのような純白のロングドレスへと、服装が一瞬で変化したのである。まさにそれは『奇跡』と呼ぶしかない現象、そしてそのようなことを実現させるのはこの世界にたった1人しかいない事を示していた。


「……め……女神様……本当に……」

『アヴィス王妃、信じていただけ……』

「……親愛なる女神エクスティア様!!申し訳ありません!!」


 その直後、彼女は姿なき声が聞こえる方向へ向けて土手座をした。一体どうしたのか、と慌てようでその理由を尋ねる声に対し、王妃は素直に自分自身の非を謝った。この国が様々な形で危機的な状況に陥り、その中で多くの人々が苦しむのを尻目にごく一部の層が自分の快楽ばかりを優先し続けている。以前の実り豊かですべての人々が平穏に暮らし続けていた聖王国は最早失われようとしている。その要因を作ってしまった張本人の1人が、それを変える動きを作ることが出来なかった自分自身だ――憧れの『女神』を前に、彼女は自身の行動を必死になって謝り続けた。


『アヴィス王妃……貴方は……』

「女神エクスティア様!私は貴方からどのような罰も受けるつもりです!私もまた、この国を腐らせた要因の1人なのです……!」


 それらの言葉は、決して自分の身の安全を守るかのようなその場凌ぎの謝罪ではなかった。女神エクスティアと言う敬愛する存在を前に、彼女は自分自身の心の中に抱いていた後悔や自虐、そして悔しさや悲しさの心を一気に吐き出していたのである。その言葉は女神への謝罪であると同時に、アヴィス・コンチネンタル自身への懺悔でもあった。

 どうか私に何なりと処罰をお与えください、どんな形でも覚悟はできています――懸命に言葉を述べ続ける彼女の言葉は、突然その身に感じた暖かさ、そしてどこか柔らかい感触によって遮られた。体を捩じりながら背後を向いたアヴィスの前に映ったのは、意外な人物であった。柔らかい胸を押し付けながら、彼女を慰めるかのように背後から抱きしめていたのは、女神に対して侮辱を働いた事で『帰らずの森』に追放されたという情報だけが耳に入っていた、元・聖女候補の『セイラ・アウス・シュテルベン』であった。


「……せ、セイラ……どうして……?」


 驚くアヴィス王妃を前に、『セイラ』は述べた。貴方には、この姿がセイラ・アウス・シュテルベンに見えているかもしれない、と。その言葉が何を意味するのか、聡明な王妃はすぐにその言葉の意味を自分の中で解釈した。そこにいるのは確かに見まごう事なきセイラ――忘れもしない、純白のビキニアーマーを身に着け、日々懸命に聖女を目指して奮闘し続けていた女性だが、そこにいるのはセイラ本人ではなく、彼女の身を借りた『女神エクスティア』本人である、と。


「し、失礼しました……女神エクスティア様……」


 その言葉に、ほんの一瞬だけ寂しそうな顔を見せた『セイラ』は、改めて彼女に伝えた。アヴィス・コンチネンタルには1つを除いて何の罪も存在しない。イラ・アウス・シュテルベンと言う、女神エクスティアが真に認める聖女が罪深き者たちによって放逐されるのを黙ってみている事しかできなかった、何の行動もできなかったと言うを除けば、彼女は文字通り清廉潔白である――尊敬する女神からの言葉は、彼女にとって何よりも説得力がある言葉だった。


「セイラ……やはり彼女は『無実』だったのですね……」

「その通りですわ。は自身の欲望に溺れる者たちによって、人間たちの世界から抹殺されたのです」

「……欲望に溺れる者……身に覚えがあります、それも大勢……」


 そして、次第に悲しみの表情から真剣な表情へと変わり始めたアヴィスへ向けて、『セイラ』ははっきりとコンチネンタル聖王国の命運について短く、だが率直に伝えた。全てが根本から腐りきったこの国は、もう間もなく滅びる、と。



「……ほろ……滅びる……のですか!?」

「ええ。この国は根本から浄化しなければならない。堕落の限りを尽くした者たちに、これ以上この国を我が物顔で居続けさせるわけには……」

「……私めの立場から意見を言う事をお許しください、女神エクスティア様!」


 そんな女神の言葉を遮るかのように、慌てた口調でアヴィスは告げた。コンチネンタル聖王国が滅び去るという運命は、正直仕方ないというのが本音であった。国を司る国王や大神官の堕落ぶりをこれでもかと目の当たりにしてきた彼女は、『滅び』をもたらそうとする女神の言葉への反論はできなかった。そして、彼女自身も真の聖女候補が追放されるという罪が与えられている以上、彼女自身もこの滅びゆく国と運命を共にする覚悟があった。だが、自分以外にも真に女神エクスティアを想い敬い、自分ばかりではなく他人のために奮闘し続けている者たちは大勢いる。彼らだけでも、救い出すことは出来ないのか、と。


「投獄されたとはいえ、私はコンチネンタル聖王国の王妃、この国の責任を負う立場の者……私の身はどうなっても構いません。どうか、善良な人々をお救いになる事は出来ませんでしょうか……!」


 どうかお願いします、と懸命に請うアヴィスの耳に、顔を上げて欲しいと告げる『セイラ』の優しい声が聞こえた。そっとその表情を見た彼女の瞳には、女神自身が認めたという真の聖女候補たる女性の美貌、そして満面の笑みが見えた。まさに自分自身も、その事に対する解決策を用意していた、と言う言葉を添えて。それを聞いて感激の様子を見せるアヴィスであったが、続いて『セイラ』から告げられた言葉を聞いて、一瞬年甲斐も立場もなくはしゃぎ倒しそうになった自分の態度を反省した。善良な人々を救う鍵は、アヴィス・コンチネンタル自身にある、と。


「……失礼しました……私ですか……?」

「アヴィス、貴方には先ほども申しました通り、真の聖女候補が虐げられるのを止められなかったという『罪』があります。人々を救うために、貴方はその『罪』に呼応した『罰』を受けなければなりません」

「女神エクスティア様、どのような罰であろうと、私は受け入れる所存です……」


 その言葉を受け、『セイラ』はそれを了承したように頷いた後、彼女に『罰』、そして1つの使命を託した。

 滅びの運命を突き付けられたこの国から『脱出』する善良な人々のため、アヴィス・コンチネンタルがリーダーとなって彼らを導きなさい――その言葉と同時に、『セイラ』は彼女の額に指を当てた。その直後、アヴィスの心の中に様々な情報が一気に流れ始めた。


「……こ、これは……!」

「説明すると長くなりますので、貴方の『心』に直接情報を伝えます」


 彼女の中に、女神の啓示が次々と溢れた。やがて滅びゆくであろう聖王国の現状、そこから逃げる事を保証された人々、彼らがこの国から脱出するための手ほどき、そしてアヴィス・コンチネンタルという存在が為すべきこと――膨大な情報が一気に駆け巡り、一瞬怯んでしまった彼女であったが、すぐに体制を立て直し、自身の中で女神の想いを反芻した。突然の事態に戸惑い続けるであろう大勢の人々を救う事が出来るのは自分自身しかいない、いや、自分だけではなく大勢の人々と協力して、この滅びゆく国から脱出しなければならない、と言う思いを込めて。

 やがて、自身の中で情報が整理できたことを示すかのように、アヴィスは大きな息を吐いた。そして、ゆっくりと女神の前に跪いた。



「女神エクスティア様……私は、貴方の啓示に従いま……ふえっ!?」


 堅苦しくなりかけたその思いを和らげるかのように、再度『セイラ』はアヴィスの体を抱いた。純白のビキニアーマー越しにたっぷり放たれる柔らかな胸の心地に、彼女はつい顔を赤らめてしまった。しかも、敬愛する女神自身の口から計画に賛同してくれることへの感謝の気持ちを伝えられ、アヴィスは嬉しさと恐縮のあまり困惑の顔色を覗かせてしまった。自分自身が女神に許して頂けないといけない立場なのに、と本音を漏らした彼女に向けて、『セイラ』は優しい口調で語った。このコンチネンタル聖王国を新たに立て直す時、必要となるのは人々の支えとなり、人々を纏めるための実力を持つリーダーである。苦しみや憎しみ、妬み、恨みといった負の感情の恐ろしさ、それを乗り越えて誰かを理解する事の大切さや素晴らしさ、そして何より他人を思いやれる素質を持つ貴方こそ、コンチネンタル聖王国を『脱出』した後、人々を導ける存在にふさわしい、と。


「……自信をお持ちください、アヴィス王妃。私は、貴方を応援しています。そして、皆もきっとあなたの良き支えになってくれるはずです」

「……ありがとうございます、女神エクスティア様……」


 つい目頭が熱くなるのを我慢しながらも、アヴィスは大きく頷いた後、堂々と自身の想いを宣言した。

 女神エクスティアから与えられた啓示に従い、人々を新たな地へ導く事を。 


「……他の人々にもこの国を待つ事態、何をすべきかなどの要件を伝えております。後は、人々と貴方の想い次第です」

「かしこまりました、女神エクスティア……」


 間もなく夜が明ける。この腐りきった地から脱出できる、最初で最後の機会が訪れる。頼みましたよ――『セイラ』からのその言葉に、アヴィスは了承の頷きをした。その直後、彼女は目の前にいる存在、セイラ・アウス・シュテルベンと同じ姿を模したであろう『女神エクスティア』と名乗る存在に対し、ある伝言を頼んだ。もし、真の聖女候補たるセイラが、女神の加護などの奇跡によって今も生き長らえているとしたら、是非この言葉を伝えてほしい、と。



 コンチネンタル聖王国の王妃、アヴィス・コンチネンタルの名において、セイラの無実を証明する。

 そして、長年に渡って辛い目に遭わせてしまい、本当に申し訳なかった、と。


「……伝えておきましょう……」


 目の前にいる『セイラ』の顔が、どこか感極まったような表情になっていた事に、アヴィスは気づかなかった。彼女の意識は、心の奥底から湧いてくる心地よい暖かさに包まれ、ゆっくりと薄まっていったのだから。

 だが、瞳をゆっくりと閉じる寸前に彼女が見たものは、優しく微笑みながら全てを託したかのように温和な笑顔を見せる、見まごう事なきセイラ・アウス・シュテルベンその者の姿だった……。


「……セイラ……?」

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