信じてくれる者たち

「はぁ……」


 コンチネンタル聖王国の宮殿の地下にある、様々な政治的な罪を犯した者たちが押し込められる地下牢。そこに、この国を治めるはずの王妃、アヴィス・コンチネンタルの姿があった。国王であるヒュマスに暴力を振るった、予算を着服し自分の好き勝手に使った、等の様々な罪を着せられた彼女は、やがて行われる裁判――国王によって操られ、一方的に罪人として扱われた挙句重い刑が科せられるのが目に見えている茶番まで、この場所に押し込められてしまったのである。

 だが、彼女には何らそういった罪を犯した過去はなかった。ヒュマス国王が自身に賛同する者たちと共に彼女を追い詰め、部屋に籠りきって大量の書類を片付けなければならない状況を作った事で、アヴィスは予算を思うがままに利用する暇がないほどの忙しさに押し潰された。毎日のように外へ出歩いては楽しく宴を開いたり、密室で何かしら好き勝手なことを繰り広げていた国王とは対照的に、彼女はひたすら仕事をし続けなければならない身になったのである。それに、ヒュマスに暴力を振るったのは嘘ではないが、それは決して彼女のせいではなかった。ヒュマスの方がアヴィスを挑発し、半ばそのような行動をしなければならない状況を作り出したのだ。


 しかし、この地下牢に閉じ込められてしまった以上、その反論を聞いてくれるものはどこにもいないはず。結局、今まで国のため、人々のため、と懸命に腐心し続けていた自分自身の行動は全て無駄に終わってしまった――そう考えながらため息をついているうち、アヴィスは奇妙な感情を覚えた。目から流れるのは明らかに自分の無力さを悔やむ涙であったはずなのに、心の中は逆に今の状況に対する嬉しさが溢れ出ていたのだ。一体どうしてなのか、何故笑いが止まらないのか、抑えきれぬ感情の理由を考えていた、その時だった。突然、彼女が閉じ込められている空間の鉄格子の前に、1人の男が現れたのは。


「……えっ……!」


 急いで涙を拭き、その方向を見たアヴィスは驚いた。そこにいたのは、この地下牢を監視する看守たちを纏め上げる立場である看守長――茶色がかった口ひげが似合う中年の男性その人だったからである。そして、直後に彼がとった行動に、彼女はさらに驚くこととなった。


「……申し訳ありません、王妃!!」


 彼女へ向けて、看守長は土手座――コンチネンタル聖王国に古くから伝わる最大限の謝罪の意思を示したからである。


「このような場所で、貴方とお会いする事になろうとは……!」


 ヒュマス国王やフォート大神官を含めたコンチネンタル聖王国の上層階級の多くが自分の幸せを優先的に望み、国民を蔑ろにしてでも日々の宴や快楽に身を注ぐ暮らしぶりをしている中で、この生真面目な看守長は非常に誠実な性格である、と言う事をアヴィスは以前から認識していた。国を脅かすものを排除し、コンチネンタル聖王国の永遠なる繁栄に貢献したい、と言うのが彼のモットーである事も。だが、そんな彼は今、自身のプライドがズタズタに傷つけられた事を示すような大粒の涙を流していた。それこそ、先程のアヴィスの悔し涙以上に。


「王妃のようなお方をこの場所に閉じ込めることになってしまい……なんとお詫びをすればよいのか……!」

「看守長……」


 そして、彼ははっきりと王妃に向けて告げた。貴方が無実であることは明白である、と。一所懸命に国のために影で奮闘し続けた王妃は決して悪人ではない、本来このような場所でみすぼらしい服を身に着けながら絶望に包まれるような存在ではない、と力説した。だが、同時に彼は自分の無力さに打ちひしがれるように残酷な現実を告げた。例え自分自身がそう感じても、この国を治める『国王』の命令に逆らうことは出来ない。国王の命令に逆らうことは、このコンチネンタル聖王国に逆らう事になってしまう。自分の一存だけで、アヴィスをこの暗く虚しい場所から救出する事は不可能である――そう言いながら頭を下げ続ける彼を見ているうち、次第に王妃の心にそれまでの絶望とは異なる、どこか穏やかで優しい感情が沸き上がり始めた。


 しばしの沈黙を経て、彼女は看守長に告げた。頭を上げても構わない、と。


「王妃……」

「……私は、貴方を決して悪く思っていません。貴方は、自分のなすべき事を一所懸命やり遂げてようとしているだけ。頑張っている貴方を批判する人など、どこにもいませんよ」

「そ、そんな……勿体ないお言葉……」


 それに、貴方はコンチネンタル聖王国を常に大事に思い続けている。このような誇り高き人物がこの場にいる事を知っただけでも、私はとても嬉しい――その言葉は、大量の書類という『牢獄』に閉じ込められ、孤独に苛まれ続けていたアヴィス王妃の本心であった。ところが、それを受けた看守長は、更に申し訳なさそうな表情を彼女に見せた。そして、彼自身もはっきりと自分自身の本心を告げたのである。


「……本当の事を言いますと……私は、『今』のコンチネンタル聖王国に愛想が尽きているのです……」

「『今』の……ですか?」

「ええ……今の聖王国は、どう考えてもおかしい!」


 その勢いで看守長は、自身の本音を一気にぶちまけた。ヒュマス国王の横暴のせいで多くの善良な人々が傷つけられ、地下牢や各地の監獄送りになっている。以前から続くフォート大神官の独善的な態度は、伝統ある『エクス教』を根本から腐らせようとしている。そして、今の聖女たるヒトアの踊りも、長らく聖女候補として奮闘していたセイラ・アウス・シュテルベンと比べて明らかに異質で、何かがおかしい。今のコンチネンタル聖王国は、自分自身が粉骨砕身すると決めていたものとは違う『異形』に変貌し続けている。最早、それは尊敬するに値しない場所だ――全てを言い終えた看守長は、最後に自分自身に対する自虐を付け加えた。結局、そのように変貌してしまった責任の1つは、取り返しのつかない状況になろうとしても行動する事がなかった自分自身にもある、と。


「そ、そんな事は……」

「王妃、貴方は本当に素晴らしいお方です。最後まで諦める事なく、この国を良いものにしようと奮戦されてきた。この看守長としての地位を守る事だけを考えていた私とは大違い……」

「いえ、看守長は何も悪くありません。先ほども申しましたでしょう?貴方は自身の職務を懸命に果たす事に粉骨砕身した、って。それを責める人は、誰一人いませんよ」


 王妃の優しい言葉を聞き、再度目が潤みだした看守長へ向け、突然どこからか拍手が聞こえ始めた。その音の主はだれなのか、壁に阻まれて王妃はその姿を黙視することができなかったものだが、看守長は彼を励まし、称えるような音を出したのが誰だかはっきりと認識できた。この王都から少し離れた場所を治めていた領主――領民のためヒュマス国王に食糧援助を訴え出た彼もまた、国王の機嫌を損ねた侮辱罪というだけでこの地下牢に押し込められてしまったのである。

 王妃の言う通り、君は何も悪くない。君は職務を全うしているだけだ――壁の向こうから聞こえたその言葉を聞いて、王妃も自分以外にも多くの人物がこの地下牢に閉じ込められているはずだという自分の推測が正しかった事を知った。


「そして王妃……このような場でお会いすることになるとは……」

「そうですわね……お元気にされてましたか?」


 少しづつ『冗談』が言えるほどの気力を取り戻し始めていた王妃の言葉に、一応まだ生きている、と領主もまた冗談を返した。堅苦しい事務的なものではなく、ほんの些細なことだが国家の義務や予算、今後の命運といった重いものとは無縁の会話が出来た事は、双方の心を安らげさせるのに十分なほどの安らぎとなった。そして、貴方も同じ理由でこの場所に追放されたのか、と言うアヴィス王妃の言葉に、領主もまた肯定の言葉を返し、自身の身の上を説明した。勿論、それらの言葉のやり取りは全て看守長の許可のもとで行われたものであった。


「そうですか……やはりあの『国王』が……」

「私も、正直看守長と同じ気持ちでございます……この国は、最早末期症状です……」


 やはり貴方もそう思っていましたか、と言う看守長の言葉、そして彼と声を交わし始めた領主の様子を耳に入れている中で、アヴィス王妃は何故あの時自分に笑いが零れたのか、どうして心の中に奇妙な安心感が芽生えていたのか、その理由が自分の中で理解できたような気がしてきた。皮肉な事に、ヒュマス国王によって『王妃』の座を事実上追放され、この国の中枢に立つ必要がなくなった事で、彼女はようやく激務から解放され、文字通りの『自由』――聖王国についての苛立ちを耳に入れても、他愛のない会話をしても良い状態を手に入れることができたのだ。そして、自分自身を理解してくれる者たちがこの場に確実に存在する、と言うのが認識できたこともまた、彼女の心を落ち着かせる大きな要因となっていた。あの時の大神官の言葉――外を見ない者に、この世界の情勢など分かるわけはない、と彼女を蔑むために投げた言葉は、ある意味では正しかったのかもしれない、と思い返す事が出来るほどに、王妃は落ち着きを取り戻し始めたのである。


 そして、自分の心の変化を認識した王妃の体を、とてつもない疲れが覆い始めた。つい大きなあくびを見せてしまい、恥ずかしがる王妃を見て、看守長は自身の部下である看守たちを呼び出し、彼女のために暖かな布団を用意するように告げた。大罪人たる自分にそのような事をして良いのか、と不安になった彼女であったが、看守長はそのような心配はいらない、と力強く語った。


「王妃……貴方を見て、私も勇気が溢れてきました。些細な事ですが、今の『コンチネンタル聖王国』に抗ってみようと思います」


 やがて鉄格子の扉が開けられ、ふかふかの毛布に心地よい枕、そして暖かな布団が看守たちによって届けられた。勿論、彼らも決して看守長の命令に逆らうことは無く、むしろ王妃のためにその身を捧げることができて光栄だ、と感謝の言葉を述べるほどであった。そして、離れた場所でそのやり取りを聞いていた領主もまた、この国を懸命に守り続けていた王妃にはその疲れを癒してくれる暖かな布団がふさわしい、と賛成の態度を見せていた。


「皆様……ありがとうございます……」

「いえ、礼を言いたいのは私たちの方です」

「王妃と話すことができて、私も勇気が湧いてきましたよ」



 そして、去り際に看守長は告げた。

 貴方がコンチネンタル聖王国の本当のリーダーになっていれば、どれだけ良かっただろうか、と。


「……私が……本当のリーダー……」


 その言葉を噛みしめながら、彼女はそっと眠りに就いた。

 やがて、彼女が『夢の世界』へ誘われた時、その身を覆う毛布や枕、そして布団が仄かに光り輝き出した。それはまるで、アヴィス王妃を含むこの国の多くの人々が敬愛してやまない女神エクスティアの祝福のようであった……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る