女神エクスティア

 かつて戦乱の中にあった世界の中に女性の姿を借りて忽然と現れ、『聖女』と名乗って各地の争いを鎮めて人々を導き、コンチネンタル聖王国にこの広大な大地を収める権利や力を与えて人々の前から去ったという伝説が残され、今もなお聖王国において絶大な支持を集め『エクス教』という彼女を崇める組織まで存在する女神エクスティア。勿論、聖女候補の身から追放されてもなお誇りと美しさを捨てなかったセイラ・アウス・シュテルベンも、彼女を日々尊敬し崇拝する1人であった。


 そんな、愛してやまない女神エクスティアが、純白のビキニアーマーを纏い続けるセイラ本人の姿をそのまま借りて彼女の前に姿を現す――このような状況、かつて『聖女候補』だった頃のセイラなら逆に信じることは出来なかっただろう。エクスティア様に憧れ続けるあまり、神聖なる彼女に自分の姿を重ね合わせるという愚挙を犯してしまったと反省し、見なかったことにしたに違いない。だが、その身分を無理やり捨てられ、人々の手の届かない場所へと追放されてしまった今の彼女は、このようなあまりにも贅沢かつ信じがたい状況でも、すんなりと心の中に受け入れることができた。

 何よりも、あれほど『帰らずの森』を彷徨い続け、ビキニアーマーにも素肌にも数えきれないほどの深い傷を負い肉体的にも精神的にも疲労困憊していたはずなのに、今のセイラには一切の傷もビキニの破れも存在せず、一切の疲れも感じない。このような軌跡というべき状況を起こせるのは、間違いなく女神さまのような存在しかあり得ないからだ。


 そして、彼女は改めて目の前にいるもう1人の自分、いや自分自身と何もかも同じ姿を模倣した存在が、尊敬してやまない女神エクスティアである事をもう一度確認したうえで――。


「……申し訳ありません、女神エクスティア様!!」


 ――『土手座』とも呼ばれるコンチネンタル聖王国に伝わる文化、恥も外聞を捨てた上で行う最大級の謝罪をした。


 

「私は……私は貴方の名前を汚すような行為をしてしまい……それどころか、貴方を敬うという心も忘れかけ、浅ましい考えも抱いてしまいました……誉れ高き女神様の名誉を傷つけてしまった数々の無礼、どうかお許しください!」


 申し訳ありません、ごめんなさい、とセイラは必死にエクスティアに謝った。自分自身への責任の有無という問題ではない、そもそも女神がここに現れるという事は、きっと何かしら自分が無礼な事をしてしまったに違いない、と彼女は考えてしまっていた。エクスティアに対する敬意や畏怖が、逆に自分自身を責め立てる行為に走らせてしまったのである。

 どうか許してください、と必死の形相で頭を下げた時、彼女の耳に女神からの厳かな言葉が飛んできた。立ち上がって、私の姿を見て欲しい、と。勿論その言葉に従わない理由などなく、セイラはすぐさま土手座の態勢を解いてゆっくりと立ち、目の前にいる自分と瓜二つの姿かたちをした存在を恐る恐る見つめた。そのままこちらに近づきなさい、と言う女神の真剣な表情から出た言葉にも彼女は素直に従った。そして、彼女と女神が有する同じ大きさの胸がビキニアーマー越しに今にも当たりそうな位置に達した、その時だった。


「……ふえっ!?」


 セイラの体は、自分の姿を模した女神によって抱かれていたのである。その顔は、先程とは全く異なる心からの優しい笑顔――セイラ・アウス・シュテルベンが今まで作りたくても作ることのできなかった表情で満ちていた。自分自身と全く同じ感触の柔らかい胸や柔らかい素肌、そしてビキニアーマーの感触がたっぷり当たるのを惜しまない女神に、セイラは顔や全身を真っ赤に染め上げながらも、今までずっと頑なに閉ざし続けていた『心』が解き放たれるような感触を覚えた。


「……セイラ、もう我慢する必要はないわ。貴方はもう『聖女』に無理やりならされる身じゃない。そうでしょ?」

「め、女神様……」

「……ふふ、それに、貴方は何も悪くない。貴方は何も悪いことなんてしていない」

「……!!」


 セイラ・アウス・シュテルベンという存在が無実であるという事は、この私がすべて知っている――その言葉は、我慢に我慢の日々を強いられ続けていた彼女から『聖女候補』という強引に押し付けられた役職と縛り続けられていた心を完全に解き放つのに十分すぎる効果があった。心を通わす存在がすべて遠くへ去り、たった1人純白のビキニアーマーのみを着用して人々の前で舞い、好奇や下種な視線を浴びせながらも懸命に本物の『聖女』を目指して奮闘し続けていた日々は、決して無駄ではなかった。彼女を始めとする全ての人々が崇め、尊敬する女神エクスティアは、セイラという存在をしっかりと見守っていたのだ。


「……め……女神様……ふぇ……ぅえええええええん!」

「ふふ……よしよし……」

 

 大粒の涙を流し始めたセイラを、エクスティアは優しく抱き続け、緑色の髪に包まれた頭を優しく撫でた。姿かたちこそセイラと瓜二つの女神エクスティアであったが、その姿勢や頭を撫でる手触りは、セイラを慰める『母親』のようであった。その暖かな感触が、更にセイラの涙を溢れさせた。ずっとずっと耐え続けた感情を我慢する理由は最早どこにもなかった。いつまでも泣きじゃくり、瞳を潤ませ続ける彼女を、女神は心行くまでいつまでも優しく抱きしめ、慰め、そして心を癒し続けた。


 セイラがようやく泣き止んだのは、それから更に時間を費やす事となった。あまりにも涙を流しすぎてすっかり目頭や鼻が真っ赤に染まってしまった顔を恥ずかしそうに覆いながらも、彼女の顔はどこか落ち着いたような笑顔を見せていた。女神エクスティアからの文字通り直接の加護のお陰で、彼女はようやく本当に心が癒されたのかもしれない。そして、改めてセイラは畏まった直立姿勢を見せたのち、頭を下げて女神へ向けてお礼の言葉を発した。


「女神エクスティア様、この度は、聖女候補の身分を剥奪された私の元へ現出され、更に私の姿をも借りて頂き、感謝申し上げます」

「こちらこそ、いつも私のことを敬ってくれて本当にありがとう」


 貴方のような存在がいるから、私は『女神』として居る事が出来る、と述べたエクスティアに対し、セイラは更に感謝の言葉を返した。『帰らずの森』の中で全身に深い傷を負い、立ち上がることすらできない状態であった彼女は、今やその事がまるで嘘のように滑らかな素肌、豊かに実る胸、そして喜びを全身に表すことができる体力を取り戻していた。そのような『奇跡』が出来るのは女神たる貴方しかいない、と素直な気持ちを伝えたところ、返ってきたのは彼女にとって少し意外な返事だった。エクスティアが治癒したのは身体だけではなく、重い役職を背負わされ何年もの間懸命に我慢に我慢を重ね、最早自分自身が我慢をすることが当たり前、日常となる状態にまですり減っていた彼女自身の心も対象に含まれていた、というのである。その言葉を受けたセイラは、確かにあの『帰らずの森』で追放され絶望の中に叩き落されていた時よりも、どこか自分自身の心の中の重苦しい感触が消えている事に気が付いた。



「女神様……私のためにそのような事までして頂くとは……本当になんとお礼を……」

「どういたしまして。貴方が無事に笑顔を見せてくれただけでも、私にとっては最高に幸せなのだから」

「女神様……」


 しかし、その直後セイラは、自分自身と同じ顔を借りて温和な笑みを見せていた女神の表情が、突然真剣かつ何かの怒りに満ちているようなものへ変貌した事に気が付いた。そして、彼女は思いもよらぬことを口にした。体も心も全て治癒されるまで、半年以上もの時間を費やす事になった、と。あの『光の神殿』の前で倒れ、光に包まれたこの空間で目覚めるまで、セイラ・アウス・シュテルベンはそれほどの長い間、女神の加護の下で永い眠りに就いていたと言うのだ。


「私は……そんなにも……」

「ええ。貴方はそれほどにまで苦しみ、それに耐え続けていた。貴方自身も気づかない……いいえ、気づけないほどに心を麻痺させて、ね」

「私がそんな事に……」


 ただ、『聖女候補』だからこそ受け続けた仕打ちに対しても、セイラは決して女神本人へ苦言を述べることは無かった。彼女が純白のビキニアーマーだけを付け、人々の奇異や下種な視線に耐え、大神官や宗教幹部から胸や尻など体の部位を触られてもなお必死に耐え続けたのは、女神エクスティアという存在を尊敬し、彼女にもっと近づきたいという憧れを持ち続けていたからであった。女神への強い想いがあったからこそ、彼女は懸命に生き続け、聖女を目指す者として日々励むことが出来たのだ。そんな過去の自分自身、そして女神自身を決して否定したくない、と言うのが偽りのない本音だったのである。


 しかし、そんな彼女でも、女神本人から出た思わぬ言葉の前には、一瞬唖然とせざるを得なかった。



「……私は、貴方、そしてこの国を腐らせた存在を許さない。聖女を目指した貴方の苦しみを増幅させた存在を、生かす訳にはいかない」

「……えっ……?」


 

 私は、コンチネンタル聖王国を滅ぼそうと考えている。



 真剣な表情で、女神エクスティアは元・聖女のセイラ・アウス・シュテルベンへ向け、はっきりと自身の想いを伝えた……。

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