半年後の聖王国

 セイラ・アウス・シュテルベンにとって、彼女が住んでいたコンチネンタル聖王国の創造主たる女神エクスティアは自分の身を捧げてもなお足りないほどの尊敬に値する存在の1人だった。嬉しいことを感じた時には彼女に感謝の念を伝え、苦しい時や辛い時には彼女の存在を身に感じながらその時間を懸命に耐え抜いた。特に、現在の大神官から半ば強制的に聖女候補に選ばれて以降は、周りからの嫉妬、好奇、そして下種な視線ばかりを受け、厳しい試練を課せられるなどつらい日々ばかりが続き、ますます彼女の存在がセイラにとって大きくなっていた。だからこそ、女神自身からずっと見守り続けていたと聞かされた時は何物にも代えがたい嬉しさを感じたのである。


 だが、そんな彼女でも、その直後に女神から飛び出した言葉は、一瞬耳を疑ってしまうようなものだった。


 コンチネンタル聖王国を滅ぼす――本当に自分の聞いた言葉は間違えていないか、セイラはもう一度女神エクスティアへと尋ねなおした。だが、自分自身の姿を完全に模倣した女神からは、セイラと同じ声色で『コンチネンタル聖王国を滅ぼさなければならない』と更に強い口調で返事が届いたのである。



「……そ……そんな……聖王国を……滅ぼすなんて……!」

「ええ。既にこれは決定事項よ。突然の事だけど……」

「……女神様、恐れながら申し上げます……あまりにも突然すぎます!!」


 そして、セイラは生まれて初めて女神エクスティアに対して反抗的な態度を示した。当然だろう、例えどのような思いを抱えていようと、たとえ自分自身を追放していようと、コンチネンタル聖王国はセイラ・アウス・シュテルベンが生まれ育った国。その場所を呆気なく『滅ぼす』――完全に消し去ると言われてしまえば、流石の彼女でも困惑は隠せなかったのだから。自分を陥れた存在を許さない、と言う思いが『帰らずの森』の中で溢れそうになったのは間違いないが、それ以外のあらゆる存在まで1人残らず抹消する所まで、セイラの考えは及んでいなかったのである。


 いきなりそのような事を言われても、私にはどうすれば良いか分からない。貴方が女神だとしても、簡単にそのような言葉を使ってほしく無い、とセイラは思うがままに言葉を述べ続けた。このように思いを全て吐き出す行為自体、我慢に我慢を重ね続けていたセイラにとって本当に久しぶりの事であった。


「女神様……どうして……そのような事を……お考えに……!?」

「どうしてって……言葉にすると簡潔になってしまうわね。今のコンチネンタル聖王国は腐り切っている。一度完全に滅ぼさなければ、私が預けた土地が穢れてしまう……」 

「……でも……!私は納得いきません……!ただ、確か女神様がおっしゃる通り……」


 『この国は腐っている』と言われれば一切の反論ができない――完全に納得できないという思いと同様にセイラが抱える本音であった。自分自身に対して卑しい目つきを見せ、彼女の我慢の一線を危うく越えさせかけた若き国王陛下を筆頭に、彼女にビキニアーマーを切るよう義務付けたうえで聖女候補へと持ち上げた挙句どん底へ突き落した大神官、セイラの言葉など耳にも入れず国王や大神官たちの味方にのみ立ち続けた宗教幹部、そして彼女の気持ちなど一切察することがなかった国民たち――最早聖女を目指す身ではなくなった事で我慢をする必要も同時になくなった彼女には、女神が語る言葉に思い当たる節が有り余るほど浮かんでいた。そのような状況を他者、しかも彼らに国を託したはずの存在が見ていれば、確かに滅ぼしたくもなってしまうのも無理はない、と。

 だが、それでもなお彼女は女神の言葉を受け入れる事ができなかった。1人の人間として『滅び』を宣告された重みを、セイラは受け止めることができなかったのだ。その事を何とか言葉を見つけながら女神に伝えていくうち、彼女にはある1つの疑問が浮かんだ。


「……あの、女神エクスティア様……恐れながら申し上げたい事が……」

「……あら、どうしたの?」

「一つ、お伺いしたい事があります……」



 私が眠っていた半年の間、一体何が起きていたのか。そして、半年経った世界はどうなっているのか。


 

 『世界を滅ぼす』と伝えた直前、女神エクスティアはセイラが半年もの間眠りに就いていた、と確かに彼女に伝えていた。体全体の傷は勿論、何年もの間聖女候補として我慢の日々を続ける中で擦り減った心を取り戻すには、それほどの時間が必要になった、と。もしかして、自身が女神の加護によってゆっくりと治癒される日々の間、女神があのような結論に至るまでの何かがこの世界に起きたのではないか――彼女はその疑問、そして自身の考えを女神に打ち明けたのである。


 その言葉を聞いた女神エクスティアは、まるでセイラの考えが正しかった事を示すかのように大きく頷いた。その上で、彼女に対して強い言葉で問い質した。女神自身の力を使えば、見たいものなら何でも自由自在に見せる事が出来る。だが、それは同時に眠っている間に起きたありとあらゆる出来事を、女神は自由自在に見せてしまうことが出来ると言う事でもある。それこそ、目を背けたくなるような内容も。見たくない、と言うなら今しかない、と。それは、セイラに対しての警告であった。


「……生半可な思いでの返答は決して許さない。そのうえで尋ねるわ」


 知らない世界、見たくもない世界をその目に焼き付ける覚悟はあるか。



 セイラが結論を出すには、しばしの沈黙が必要だった。彼女が選ぶ答えは1つしか無いし、何より彼女自身もその答えを選ぶ事を既に決めていた。しかし、その答えを導き出すともう2度と今までの日々は戻ってこない、と言う若干の恐れが、セイラの心に沸いてしまったのだ。だが、彼女はすぐにそのような考え――敢えて厳しい言葉で言えば『邪念』を払いのけた。あの日――強引に『聖女』候補として選ばれた日から、既にセイラは大きく道を逸れている。何を恐れている必要があるのか、と彼女は自分自身に喝を入れ、純白のビキニアーマーに包まれた胸を揺らした。


 そして、彼女は女神に対し、覚悟を示す頷きを見せた。

 その様子を見て、女神は嬉しそうな笑顔を見せたのち、早速彼女に自分の指さす方向を見てほしい、と告げた。そこには、彼女たちの周りを包む眩くも温かな光が包む空間が広がっていた。何故そのような事を言ったのか、一瞬疑問に思ったセイラであったが、すぐに答えは分かった。光の空間を破るかのように、四角い形状をした黒い物体が空中に浮かび上がってきたのだ。



「まず、貴方が気になっていた半年後の『映像』を用意したわ」

「えい……ぞう……?」


「ふふ、私たちが使う言葉よ。ここから遠く離れた聖都で行われた『女神エクスティアを祀る儀式』の様子を、貴方に見て貰うわね」

「……!?」


 聞き慣れない言葉以上に、女神を祀る儀式、と言う女神本人の口から飛び出した単語が、純白のビキニアーマーのみを纏うセイラにとってより驚かされる内容だった。エクスティアを崇め、忠誠を誓うための儀式を行うには、人々の思いを女神に伝える舞を踊る『聖女』という役割が必要となる。つまり、セイラを事実上の国外追放とした後、大神官を筆頭とした女神を崇める『エクス教』の面々は、新たな聖女を任命した、と言う事だ。それも、僅か半年にも満たない間に。


 どういう事ですか、と尋ねるセイラに、『映像』とやらを見た方が説明するよりも早く伝わる、と女神は告げた。そして、指さす先に浮かび続けていた黒い物体に、セイラにとって幾つもの信じられない要素が混ざったものが映り始めた。どんな絵描きでもここまで精密に描き出すのは不可能なほど実際の情景に非常によく似た『絵』が、まるで生きているかのように動き出したからだ。これが女神様が持つ奇跡の力の1つか、と納得しようとした彼女であったが、そんな彼女を更に、しかも悪い意味で驚かせるような存在が、突如として映し出された。


「……えっ!?」


 女神へ捧げるのにふさわしい伝統の衣装という名目で質素な純白のビキニアーマー1枚のみを着せられ、何度も何度も体で覚えさせられ、時に鞭やビンタなど罰を受けるほど厳しい特訓を経て必死に記憶するもの――それが、セイラにとっての女神エクスティアへの神聖な舞であり、当たり前のものである、と認識していた。だが、祭壇の上に存在した女性――セイラに代わる新たな『聖女』は、彼女とは正反対に漆黒の生地に黄金に輝く装飾を幾つも付け、更に腕周りを除いて全身をそのドレスで包み込むという衣装だったのである。それこそ、絶対にこのような衣装は着るな、聖女にふさわしくない、と大神官が何度も何度も断言したはずの、多種多様な装飾に彩られた豪華絢爛そのものな外見だったのだ。

 しかも、驚くのはそればかりではなかった。


「……えっ……」


 女神が『映像』と呼ぶ動く絵の中で踊るその女性を見て、セイラが引いたのも無理はない。祭壇に立つ『聖女』の舞は、彼女が覚えた内容とまるで異なり、体を思うがまま成すがまま、自由気ままに動かしているだけの、乱暴に言ってしまえば出鱈目極まりない内容だったのだから。腕や足をぶん回し、腰を好きなように捻り、挙句の果てに大きく実った胸を突き動かして聴衆たちに自身の肉体をアピールする――セイラが文字通り血の滲むような思いで覚え続けた『女神への舞』とは根本的なものが大きく異なっていた。それはまるで、女神ではなく自分自身の美貌を表現するかのような、独りよがりな舞だった。

そして、セイラの心の中には、少しづつ、今までに感じたこともないほどの負の感情――目を覆いたくなるような不快感が溢れ始めた。自分自身の尊厳を踏みにじられるようなものを目の前で見せられてしまえば、当然の反応かもしれない。


 そんな彼女へ、横から女神エクスティアが声をかけた。この『聖女』を女性を覚えているか、と。


「この女性……ですか……」

「ええ。貴方はあの女性に見覚えも聞き覚えもあれば、その存在をはっきりと認識しているはず。違うかしら?」


「……相違ありません……」


 そして、セイラは若干の怒りと失望を込めた声で、その名を告げた。

 ヒトア・ポリュート。エクス教の最高幹部たる大神官、フォート・ポリュートの娘だ、と……。 

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