第1章:滅びへの決意

光臨の時

 あれから、どれくらいの月日が経っただろうか。

 

 聖女候補の資格を剥奪され、二度と帰れない旅路へと追放されたセイラ・アウス・シュテルベンの意識が蘇ったとき、彼女は自分自身がどこか静かな、そして暖かな場所にいる事に気が付いた。彼女の中で最後に残っていた記憶は『帰らずの森』をさまよい続けた挙句、ついに辿り着いた『光の神殿』にあと一歩で手が届くところで倒れこみ、動く事すら出来ないまま意識が遠のいた所で途切れていた。だからこそ、彼女が真っ先に抱いたのは、明らかにその時の場所とは異なる地点に自分自身がいる事への違和感だった。


 一体どうなっているのだろうか。とにかく周りを見てみないと――そう思った時、彼女は更なる違和感に気が付いた。本来なら、傷だらけで疲労困憊し、前に進む事すら出来ない状態だった体がまるで何ともなかったかのように思いに合わせて動くと言うのは良いことなのだが、最後に覚えているセイラ自身の体の状態とは間違いなく異なっていた。暗い森をさ迷う中で無数の傷を負い、体力を消耗した結果立ち上がることも困難になったはずの体が、自由に動かせるのだ。


「……えっ……?」


 どうして、とつい口から出た言葉も、あの時の懸命に絞り出したか細いものではなくはっきりと耳に届く大きなものに戻っている。加えて、彼女はごく自然に立ち上がる事すら出来る。そして何より、あれほど大量についていた体の傷、ボロボロに破れ脱げ落ちる寸前にまで至っていた純白のビキニアーマー、そして押し寄せる恐怖や困難、疲労により極限にまですり減っていたはずの彼女自身の心も、すっかり元の健康的な状態へと戻っていたのである。


 何がどうなっているのか、と見渡した彼女の瞳に映ったのは、暗黒の『帰らずの森』とは正反対、無数の暖かな光が包み込む不思議な空間だった。四方八方から絶え間なく注ぎ込む光によって、天井はおろか壁も床もどこにあるのか分からない程であった。一瞬、セイラは自分が既にこの世のものではなく、命が絶えてあの世へ旅立った存在になってしまったと推測したが、彼女の素足が暖かな床を踏みしめる感触がそれを否定させてくれた。傷一つない滑らかな肌を取り戻した彼女の脚の下からも、柔らかな光が注ぎ込まれている。

 一体ここはどこなのか、そもそも自分以外に誰かいるのか。決意の頷きをした後、大きな声で誰かを呼ぼうとした、まさにその時だった。


「おはよう、セイラ♪」


 その声は、セイラの背後から聞こえた。


「……えっ……」


 そして、彼女はその声を聴いて驚いた。当然だろう、この声は間違いなく自分自身と同じ響きだったのだから。だが彼女はそのような声など発していない。では一体この声はどこから聞こえるのだろうか、誰が口にしているのだろうか――驚きながら後ろを振り向こうとした瞬間、彼女の瞳に信じられない存在が映った。


 新緑を思わせる緑色の長い髪、見る者を魅了する穏やかかつ美しい顔、奇麗な素肌があらわになる美しい肉体、たわわに実った大きな胸、そして全身を僅かに包み込む純白に輝くビキニアーマー――笑顔を見せながらセイラを眺めるその存在の特徴は、全てにおいてセイラ・アウス・シュテルベンと同一の特徴を有していたのである。勿論、その美しく響く声も。


「え……えっ……えっ!?!?」


 鏡が喋った、と口走りかけたセイラ――突如現れた人物に存在に驚く方の彼女は、更に重要なことに気が付いた。もしそこにいる自分自身が鏡の中に映る像ならば、前髪の偏り方は自分と正反対のはずである。だが、目の前にいる自分そっくりの何かは『鏡像』と逆のたなびかせ方をしている。それが示すのは、目の前にいる存在は間違いなく現実にいる、もう1人のセイラ・アウス・シュテルベンその人だという事である!


「え、え、え!?!?!?あ、あ、貴方はだ、誰ですか!?!?」


 困惑と驚き、そして心の中から湧き上がる様々な感情に混乱しながら、彼女は目の前にいるもう1人の彼女に声をかけた。困惑からか、それともからか、その顔やその全身はあっという間に真っ赤に染め上がっていた。一方、そんなもう1人の『セイラ』の方はにこやかな表情を崩さず、彼女に優しい言葉をかけた。私もセイラ・アウス・シュテルベンだ、と。


「え!?わ、わた、私がセイラ・アウス・シュテルベンです!!」

「あら、私もセイラ・アウス・シュテルベンよ♪」

「そ、そんな!?私がもう1人いるなんて……!そんな……!」

「あり得ない?ふふ、でもこうやって私はここにいるじゃない♪」


「ふ、ふえぇ……っ」


 どれだけ否定しようとしても、彼女の傍にいるのは間違いなく純白のビキニアーマーのみを着込んだ元・聖女候補のセイラ本人である事実を更に補強するだけだった。セイラは自信に起きている状況を把握することができず、あっという間に混乱の極致に陥ってしまった。ただ、彼女の心からは決して恐怖や憎しみ、悲しみといった、目の前にいるもう1人の自分を拒絶するような感情は生まれていなかった。それどころか、セイラは隣にいる自分と瓜二つの存在に対して嬉しさ、楽しさ、喜ばしさといったしか溢れてこなかった。それがあまりにも大きすぎたため、彼女自身で処理ができない状態になっていたのである。


 そんな、今にも心が破裂しそうな彼女を落ち着かせたのは――。


「……!!」


 ――もう1人の『セイラ・アウス・シュテルベン』から授けられた、頬への唇の感触だった。今まで1度も感じたことがないほどの柔らかさや潤い、滑らかさは、彼女の混乱しきった心を鎮めるのに十分程の温かさや優しさを有していた。その分更に顔や頬が真っ赤に染めあがってしまったものの、ようやくセイラはもう1人の自分――いや、自分自身と瓜二つの姿をした存在をじっくりとその目に焼き付けることができる心の余裕を持つことができた。そして改めて彼女は尋ねた。貴方は一体誰なのか、と。


 その問いに返ってきたのは、自分と同じ声からの謝罪だった。


「……ふふ、ごめんなさい。ちょっと驚かしすぎちゃったかしら」

「……えっ……?」


「正確に言うと、私は貴方――セイラ・アウス・シュテルベンじゃない。貴方の心や体を『借りた』存在、といえば分かりやすいかしら」

「私の姿を……借りた……?」


 この純白のビキニアーマーもね、と片眼を瞑るその表情は、何度見てもセイラ本人にしか見えなかった。ただし、どこまでも謙虚かつ誠実な態度を突き通そうとするセイラ本人とは少し違い、彼女の目の前にいる『セイラ』はどこか悪戯っぽい笑顔を見せていた。私が誰だか分かるかしら、という言葉もまた同様に、セイラ本人を諭しつつどこか楽しんでいるような響きに感じた。しかし、セイラはそのような自分そっくりの存在に対して一切の嫌悪感を抱かなかった。


「貴方は……私ではないのですよね……?」

「そう。残念ながらね、セイラ?」

「ふえっ!?わ、わ、私は残念だなんて……」

「まあまあ。私は貴方の姿を『借りて』貴方自身の前に姿を見せている」


 これだけいえば、聡明なセイラなら私が誰だかすぐに分かるはずだ――そういって笑顔を見せる純白のビキニアーマーを着た美女の言葉を受け、彼女は自身の持つ知識を総動員し始めた。姿を『借りる』、しかも声も姿も胸の大きさも、そして愛らしさや美しさもすべて完璧に模倣できるだけの存在は明らかに人間ではない。人間ではないとすれば、彼女はいったい誰なのか。彼女は――。


「……!!」


 ――その瞬間、セイラの心に過去に読んだ書籍、それも聖女候補となる前から何度も読んだ初歩的な内容の教科書の内容がありありと思い起こされた。彼女を追放したコンチネンタル聖王国は、女神の加護によって生まれた国。女神自身が混乱に満ちていた世界に降りたち、長らく続いていた戦乱を鎮め、聖王国に広大な土地や権利を授けたのだ。そしてその時、女神は単に女神自身の姿でこの世に降り立ったのではなく、少女の姿を『模して』、聖女と名乗り平和をもたらすために奮闘したというのだ。


 そう、姿を模して。



「……ま……ま、まさか……!!!」

 


 次の瞬間、思いもしなかった事に対する驚愕や畏怖の心に包まれ目を見開いたセイラの瞳に映ったのは、彼女の推理が見事に正解であることを示す頷きだった。

 信じられないという思いがセイラ自身の心を覆ったが、それを否定する事はできなかった。そもそも否定すること自体が非礼であり、自分自身の信念に反していた。目の前に起きていることは現実であり、奇跡そのものなのだ。それもそうだろう――。



「こんにちは、セイラ。私は『エクスティア』、貴方たち人間から『女神』と呼ばれている者よ」



 ――セイラが憧れ敬い常に信仰心を忘れなかった女神エクスティアが、セイラ自身の姿を模して、彼女自身の目の前に現れたのだから!

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