帰らずの森

 『帰らずの森』――全土に渡って温暖かつ豊潤な大地が広がり、ビキニアーマー1枚でも過ごす事が出来るエクスティア聖王国の中で、人っ子一人住み着かないという例外のような荒れ地の中に忽然と現れる不気味な森。人々が住む地域から遠い場所にあることもさる事ながら、この森の中に広がっているのは鋭い棘のような枝を生やした木々ばかりであり、地面からは草一本も生えていない異様な空間が広がっている。更に森の中からは声はすれど姿は見えない恐ろしい猛獣がうろついているとされており、この森に追放された罪人は食べ物も飲み物も見つからず森の中を恐怖と飢え、渇きに苦しみながら逃げ惑った末に命を落としてしまう。そのため、この森に追放された罪人は事実上の『国外追放』と同等の重い処分とされていた。


「……っ……」


 身に覚えがほとんどない罪を被せられた挙句、重い刑罰を受ける事態となったセイラは、そんな苦しみを味わい続けていた。


 聖女にふさわしい一寸の曇りもない純白の衣装と言われ、大神官から日常的に着続ける事を命じられた白いビキニアーマーは、何度も枝に引っかかっては引き裂かれ、何とか覆い隠していた胸や腰回りに傷をつける事を許してしまっていた。『アーマー』という名前は完全に意味をなさなくなっていたのだ。加えてそのビキニアーマーだけを着せられたまま追放された彼女は、腕も脚もそのまま外部に露出している状況であり、体中に傷が覆い、全身に痛みが走る状況になっていた。乱暴に言ってしまえば、になっていたのである。更に、延々と暗い森で方向感覚を失いかけていた彼女は何度も転び、更に痛みは広がり続けていた。

 

「……うっ……あぁ……」


 それでも、セイラは懸命に歩き続けた。彼女の肉体がどれほどボロボロになっても、その心だけは懸命に『諦め』『絶望』という言葉を拭い去ろうとしていたのである。自分自身が無実である事を証明するためにはこの自分自身が生き続けなければならないという彼女なりの覚悟、歩き続けなければ、姿なき猛獣に食べられてしまうかもしれないという恐れなど、その理由は様々であった。だが、その中に、彼女の記憶が教えてくれた、この『帰らずの森』に伝わる奇妙な伝承があった。


 『聖女候補』として伝承に伝わる白いビキニアーマーを着せられ、人々からの卑猥な視線に耐えながらも懸命に頑張り続けていた頃、セイラは大神殿の中に併設された書庫の中で不思議な記述を見つけていた。そこに書かれていたのは『帰らずの森』――決して誰も生き残ることができない永遠の牢獄のような場所にまつわる様々な情報だった。人々を突き刺す黒い木々や姿なき猛獣など、今もなお伝承として伝わる様々な事柄が書かれている中、彼女はそれまで見た事も聞いた事もない内容を発見した。

 無限に続くような黒い森の中で、それらとは真逆の眩い光を放つ『神殿』が眠っている。そこへ辿り着くためには、絶望や困難の中でも挫ける事がない強い心などが必要となる。それらの心がなく諦めを感じたものは決して『光の神殿』へ辿り着く事無く、死体も『帰らずの森』に取り込まれてしまう――内容の一部は書物の破れや文字の霞みのせいで読む事は出来なかったが、その時のセイラはこの内容に興味を持った。神殿ということは、間違いなく彼女が尊敬してやまない女神エクスティアを崇める場所。しかも常に光を放っているということは、女神にとって非常に特別なところなのだろう、と。


 ただ、その時に抱いた彼女の好奇心は、大神官によって一蹴されてしまっていた。このような内容を見つけた、と報告したところ――。


『そのようなくだらぬ迷信に心を動かされるとは、聖女の道も遠いな』

『……申し訳ございません……』

『謝るならさっさと修行を続けろ、この馬鹿者が』


 ――厳しい言葉によって全否定されてしまったのである。



 それから時は経ち、その『帰らずの森』へ追放される憂き目にあった彼女の脳裏に、その時の記憶が真っ先に蘇った。きっと迷信ではない、この森のどこかにあの『光の神殿』が眠っているはず。あの時の私の考えは間違えていない、このような状況だからこそ、たった1人信じることができる私自身を信じないと――痛みに耐えながら、彼女は必死に暗い森の中を歩き続けた。確かにビキニアーマーの聖女候補として厳しい環境を潜り抜けてきた彼女の心は諦めという言葉を知らないほど強くなっていた。だが、その体のほうは限界に近づこうとしていた。


「あっ……うぅ……」


 何も食べず、何も飲まない状況が続いた彼女の体は、立ち上がることすら難しくなるほど疲労困憊していたのである。それでも何とか体を動かし足を抱え込むようにして座り込んだセイラであったが、それきり体を動かすことが出来なくなった。心だけ鍛えても体が動かせなければどうしようもない現実が、彼女の瞳に悔し涙を流させた。立ち止まってしまった今、私はどうなってしまうのだろうか。姿が見えない猛獣の餌食にされるのか、周りに広がる森に取り込まれてしまうのか、それとも何か別の存在になってしまうのか。何もできないまま、私はここで息絶えてしまうのだろうか――後ろ向きな事を考え続ける中で、彼女の心には今までずっと我慢に我慢を重ね、心の中で押し殺していた感情が少しづつ沸き上がり始めていた。



 どうして私は罪を着せられてしまったのか。

 どうして私はこのような場所にいるのだろうか。

 どうしてあの時、誰も私の話を聞かないまま罪を被せたのだろうか。


 どうして誰も、私を信じてくれないのだろうか。


「うっ……うっ……」


 一度心の中に溢れた感情は、抑えられる事が出来なかった。今までずっと、彼女は『聖女』――女神エクスティアの心を受け継ぐ現世の代弁者として人々に夢と希望を与える存在を目指すため、嫉妬や妬み、欲望といった『負の感情』を懸命に我慢し続けていた。彼女を聖女候補に選び、文字通り厳しい修行を課した大神官から口煩く言われるなくても、彼女は自分自身でそのような形で生き続ける事を決めていた。それが、純白のビキニ1枚という格好をしていても、周りから奇異や好意、時に性的な視線でジロジロと見つめられても耐える事ができる心の強さを身に着けていた理由の1つであった。


 だが、今の彼女は『聖女』ではない。あらぬ罪を着せられ、聖女という地位を剥奪された彼女は、『帰らずの森』に追放された罪人の女性。最早そのような厳しい規則で自分自身を縛り付ける必要はなかった。好きなだけ感情を溢れさせ、好きなだけ怒り、好きなだけ泣いても許される環境を、彼女は図らずも手に入れていたのだ。セイラの中に渦巻くのは、思い出の中にしまい込んだ、と言うよりも封印し続けた、コンチネンタル聖王国に対する様々な思い――それも、聖王国に対する憎しみや恨み、辛みのような感情だった。


 許せない、許せない、泣いても謝っても許せない。私に罪を被せた人たちを、絶対に許すことはできない――涙があふれる中、心の中で感情が爆発しそうになった、まさにその時だった。突然、彼女は強く閉じた瞼の外に、眩い光を感じ取ったのである。それは、黒い木々が延々と生い茂る『帰らずの森』では絶対にあり得ないはずの光だった。やがて、少しづつその眩しさに慣れたセイラは、ゆっくりとその眼を開いた。


 彼女の目の前に聳え立っていたのは――。



「……光の……光の……神殿……」


 ――記憶の中に刻まれていた、過去の書物に描かれていた伝承そのままの姿で、眩い光を放って黒い森を明るく照らし、すべてを包み込むような巨大な建物、『光の神殿』その姿だった。

 夢でも見ているかのような幻想的かつ荘厳な神殿を前に、セイラは最後の力を振り絞ってその身をゆっくりと動かし始めた。例え目の前のものが自分を誑かす幻想だとしても、単なる伝承と一笑された存在、憧れの女神にとって特別な場所であると確信を抱いていた建物が現れた事は、彼女を奮い立たせるのに十分な力を持っていたのだ。そして、疲れ果て傷だらけになった彼女の顔には少しづつ笑顔が浮かんでいた。敗れ落ちる寸前のビキニアーマーや傷だらけの体で這うように歩くという状態になっても、彼女には消えかけていた希望が蘇り始めていたのである。


 だが、そんな最後の力もそこまでだった。


「……ふふ……」


 光の神殿にあと一歩で手が届くところで、セイラは体の動きを止めた。神殿を覆う眩い光は、次第に彼女を励ますかのようにやさしい光へと変わっていった。しかし、それでも倒れこんだ体を動かす気力も体力も、彼女には残されていなかったのである。



 そして、白いビキニアーマーを纏った元・聖女は、満足げな笑顔を見せたまま瞳を閉じ、一切動かなくなった。





 こうして完全に意識を失った彼女は、自分の身に何が起きているのか知る由もなかった。

 地面にうつ伏せの状態で倒れこんだセイラの体へ向けて『光の神殿』から無数の細かい光の粒が優しく舞い降り始めたのである。目に見えないほどの細かい無数の粒は、エクスティア聖王国で滅多に降らない雪のように舞い落ちてはセイラの体をゆっくりと包み込んでいった。それも背中やお尻、足回りばかりではなく、お腹や胸、そして顔など、地面に向いていた体の部分まで光の粒が包む範囲が及んでいたのである。やがて、ビキニアーマーを着たまま動けない彼女の体はすっかり光に覆われた。


 その直後、無数の光の粒はひと際眩しく輝き、そのまま一瞬で姿を消した。その代わり、セイラの傍には別の存在が現れた。その存在はゆっくりとしゃがみ込み、倒れたままの彼女を見ながら悲しそうに、そして優しそうに微笑んだ。


 その存在は、緑色の長い髪をたなびかせていた。

 その存在は、傷一つない滑らかで美しい肌や、誰もが振り向く美貌を有していた。

 その存在は、その全身を純白に輝くビキニアーマー1枚のみで覆っていた。



 そう、その存在は、セイラ・アウス・シュテルベンと寸分違わぬ姿を有していたのである。そして、その声も……。


「……ふふ……♪」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る